【第十四話 ネコかぶり】
体を伸ばして。思いっきり息を吸う。
朝日を浴びて、ぱりっと乾いた制服に袖を通す。
協会からの声明。学院での危険は排除された。
「なんか妙にやる気だな、ロニア」
「なんだろ、なんでだろうね」
「へえ、好きな人ができて、その人に会いたいからとかだろ」
ネヴィルが、口角を上げてじと~っとロニアを観察した。
いつものロニアを知っている彼だからこそ、些細な変化。
いつも自堕落で、常に誰かを見下しているような表情ではない。
彼の表情に、微かな高揚が見えたのだ。
「……いいだろ、誰でもっ」
授業は退屈だから、ずっと寝たふりをしていたロニア。
でも、今はなんだか楽しみでしょうがない。
なんでだろうと考える。わからないけど、まあいいか。
この疑問に、不快感はない。解決を急ごうという気もない。
時間に身を任せていれば、いずれ理解できるとわかるから。
「……でさ、ロニア。一昨日はどこに行ってたんだ?」
「ん。友達の家」
「寂しかったんだぞ?お前のいない部屋はなんか静かすぎるんだ」
「あらら。幻影でも置くべきだった」
「人肌が恋しいの~!」
抱き着こうとするネヴィル。はらりと避け、鞄を手に取った。
いつもより、重い鞄。置いていくぞと、ドアを開けた。
いつもより、寄り道してみる。知らない道。どこに繋がるんだろう。
いつもより、歩幅を縮めてみる。もっと周りを見ていたい。
そのままの勢いで、かなり早く着いてしまった。
校門を通る生徒の数も少ない。でも。けれど。あの子は。
その人物を見つけた途端に、ロニアの口角は上がっていた。
無意識に駈足で。人混みを流水のように避けながら、彼女の元へ。
「や。おはよっ」
背を伸ばし、彼女の肩に触れる。
きゃっと声を漏らした彼女だが、振り返ると同じように表情にぱあっと花が咲いた。
「ロニアくん!」
もしも二人に尻尾があったら。きっとぶんぶん揺れていただろう。
よかった。もしもそうだったなら、面映ゆくて顔を直視できないから。
あの日から、二人の距離は大きく縮まったような気がする。
男女の仲、と言っていいのだろうか。そのあたりはよくわからない。色欲の悪魔、アスモディウスなら一家言あるのだろう。
悪魔に教えを乞うつもりはないけれど。
ただ、1つ言えることがある。彼女といると、心が落ち着くのだ。
「珍しいね。ロニアくんがこんなに早く登校するなんて」
「なんでだろうね。ボクにもわかんないや。早く行きたいって気持ちがずっとあって。寄り道もしちゃった」
「あっ、わかった」
カレンが、眼鏡越しのサファイアを光らせて悪戯気に笑った。
「ロニアくん。私に会いたかったんでしょ」
「えっ……あ、まさか、うん……違……くはないか、も」
クスっとカレンは微笑し、柔らかい掌が子供をあやすように優しく髪を梳く。
その温度がとても心地よくて、つい払いのけることすら忘れてしまう。
照れている。そう人間界では呼ぶらしい。自分も堕ちたものだ。まんざらでもないように、過去の自分が見つめているような感覚がした。
「もう、こんなんで顔赤くしちゃって、カワイイね」
「か、カワイイとか言わないでよ」
「そんなに会いたいなら、いつでも来ていいからね?」
目を逸らして、口を窄めながら肯じた。
内緒話が聞こえてくる。
『あれってさ、ロニアさんじゃない? ほら、【天才】の』
『ほんとだ~。あの人もあんな顔するんだね。ちょっと意外かも。人間らしくて』
『てかさ、カワイくない? 照れてるロニアくん』
「あの、聞こえてんだけど!?」
ロニアが背を伸ばしてそう言うと、慈しむような声色でごめんなさ~いと去っていった女子生徒たち。
全く、人を小ばかにして。ふんと鼻を鳴らすロニア。
「そういえばさ、朝ごはんは食べたの?」
「ん? いや、食べてないけど」
「一緒に食べよ?」
断る理由もない。一人で食べるのも退屈だ。
ロニアは首肯する。隣を歩くカレン。
寒い風が吹いた。こんなことなら、カレンみたいに上着を着てくればよかった。
マフラーだけでも貸してもらえないだろうか。
悴みそうな両手に息を吹きかけていると、カレンが手を差し伸べてきた。
「私、体温には自信あるんだよ。なんたって、ロニアくんに抱き枕にされたぐらいだからね!お墨付きだよ!」
「あ、あれはさ! ……違うじゃん。ぽかぽかして、あったかかったし」
「あったかいよ、私の手は。ほら、握らないの?」
「……ふん。緑魔法で十分あったまります~」
天界にいた時から、舌戦で負けたことはない。
でも、どうしてだろう。彼女と出会ってから、自分は弱くなったと感じる。
悪いことではないはずだ。セスに丸め込まれたときも、今も。
――カレンがいた。
この子は、ボクを変えてくれる。もしくは、変えてしまう。
どうしても、この子が眩しい。彼女はどう思っているんだろう。
やっぱり、自分は門の外なんだろう。
だから、必死に隠したいのに。猫を被っているのに。
「バレちゃうんだなあ」
「え、何が?」
「いいや、なんでも。ほら、食堂行くよ」
しばらくこの心は取っておこう。いつか、ちゃんと理解できる日が来る。
ドギマギ、なのか。ギクシャクなのか。トキメキ?とかいうやつなのか。
急ぐ必要はない。そんな気がする。カレンも、きっとそう思っているはず。
こう思うのは、傲慢かな。自分は傲慢だ。そうだね。ボクは傲慢だよ。
だからこそ、この気持ちが愛おしいんだよ。
自問自答を繰り返し、答えは出なかったがそう結論づけた。
手は握らない。でも、彼女の僅かに弛んだ上着の袖を摘まんだ。
絹の生地を通して、彼女のぬくもりが伝わった。
勝ったような、負けたような。なんだがおかしくなって、口元をほころばせた。
その様子を、後ろから見ていた人物が二人。
「ロニアのやつ……」
「カレンと付き合ってるです?」
リウとマチィナが、互いに顔を見合わせる。
「かもしんねぇ。追うぞマチィナ!」
「は、はぃい!」
目の前で、シチューが湯気を上げていた。
口に運ぶまでもない。熱いのは目に見えている。
冷めるまで、野菜が顔を覗かせる白い水面を眺めている。
「食べないの?」
「食べたいの」
「あっ、熱いんでしょ。猫舌なんだ~?」
「……うん」
「別に、恥ずかしがることないけどね。ふーふーしてあげよっか」
言って、カレンのスプーンがロニアのシチューを掬った。
口元に運び、ふぅふぅと息を吹きかける。眼鏡が湯気で曇っていたので、少しだけおかしかった。
「はい、あーん」
「しないよ。自分で口に運べます」
「強かだねえ」
「キミが強引なのさ」
カレンのスプーンだという事を忘れ、それを口に含んだ。
湯気は上がっていないはずなのに、まだ熱い。
はふはふと、口元を右手で隠した。
「水飲みな。かなり重度だね……」
苦笑するカレン。
ロニアが猫みたいだと時々感じていたが、こうして見てみると、猫が化けているのかと錯覚する。
素直ではないところ。ツンとしているところ。でも綻んだ時にはとても愛おしい。
カレンも、自身の感情の正体がわからずにいた。弟を愛でるような。もしくは、飼い猫か。
異性として意識する時だって勿論ないわけではない。だからといって、恋かと言われれば早計だろう。
「ふふっ」
でも、この一瞬が楽しいからいっか。
カレンは、目の前の彼を頬杖を突いて眼鏡越しに見つめていた。
小さな口で一生懸命パンを食べる彼を。
眼鏡とは、ある意味義足のようなものだ。視力が劣っているから、補助具を使用する必要がある。
カレンも、眼鏡を外せば視界がぼやける。教本を読み漁りすぎたせいだ。
叶うなら、この眼で。なんの壁を通さずに――。
ロニアくんの姿を見てみたい。
都合のいい視界じゃない、本当のロニアくんを。
私たちは、嘘を吐いている。互いに。そして自分自身に。
そして二匹の猫は、朝食を終えた。




