表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/35

【第十二話 あたたかい翼】

 天界の端。小さな茶屋。熾天使たちが、一堂に会していた。


「ミカエル。ご機嫌ナナメね」


 ラファエルが、淹れたばかりの茶を啜りながら言った。


熾天使(セラフィム)に感情はない。ワタシも、アナタも」


「コントロールしているだけよ。時には表情が必要になるわ。どうかしたの?」


 ミカエルが、眼を隠していた翼を解いた。

 真っ赤な瞳と、白い髪が現れた。


「あ! ミカたんの顔久しぶりに見たかも!」


 同じく熾天使のひとり、伝令の天使ガブリエルが、ミカエルに顔を近づけた。

 勿論、彼女に感情はない。その為、この陽気さは全て見せかけである。


「拒絶。キンキンうるさい。誰から影響されたの」


「だって、人間ちゃんが怖がるんだもん、アタシのこと。だから、イメチェン!」


 ラファエルが、口元を手で隠しながら笑った。その様はまるで、貴族の令嬢だった。


「ガブ、人間界でのイメチェンとは、見た目の変化を言うのですよ」


 えぇ、とガブリエルが声を漏らした。


「推測。パフォーマンス低下は、兄が原因」


「兄、ですか」


 無表情の茶会に参加していた三人の熾天使の表情が曇った。

 本来ならばここにウリエルも出席しているはずだが、仕事により欠席となっている。


「兄って言うと――」


「ルシフェル、のことかの」


 右手に茶菓子の箱を、左手に椅子を伴って、神が入室した。

 ミカエルが勢いよく立ち上がったが、神はよいと言い制した。


「……そっか。ミカたんのお兄ちゃんは」


「最悪の叛逆者。堕天使ルシフェル……」


 しばらく沈黙が走った。眉ひとつ動かさないミカエル。しかしその瞳の奥は、今にも泣きそうなほどに震えていた。


「……あやつは堕天した。今は地獄でサタンと名を変えているさ。さ、今は茶を楽しもう。スコーンもあるぞ」


 ガブリエルが子犬のように喜びを表した。無い筈の尻尾が振られているようにも見えた。


 ─────────◇─────────


 頭がクラクラする。まるで酩酊しているような感覚だ。


 天井が回る。臓腑がかき回され、胃液が口から溢れそうだ。

 頭部をぶつけなかったのは幸いだったが、それでも恥ずかしい姿を見せた。


 サイモン・フランカ・クリスチャン。

 曲者だが、根幹にある信念や性格は、カレンに似ているようにも見える。

 ……自分は、カレンの何を知っているのだろうかとも思った。


 しかし、このベッドは素晴らしいものだ。

 寮のベッドも大したものだが、これは使用者の心を見て作られている。


 夜中。ふと眠りが浅くなってきたころに寝返りを打てば、『何か違う』と違和感を覚え、ただそれの繰り返し。


 そうならないように、ところどころに窪みがあった。まるで母の胎内にいるような安心感。

 とは言ったものの、ロニアに母はいないし、どう生れたのかも知らない。人間の好む比喩表現というものだ。


 もうしばらく寝ていよう。柔らかいし、いい匂いもする。ご丁寧に、抱き枕まで。

 ふにっ。リアルな抱き心地で、あたたかい。流石名家だ。寝具に一切の妥協が――。


「ふにっ?」


 目を開く。抱き枕なんかじゃなかった。それは、本当の人間で――。


「あっ……ご、ごめん!」


 赤面し、唇をわなわなと震わせているカレンだった。裸眼で、髪は結んでいない。

 あたたかい抱き心地は、寝巻で繊維が薄かった彼女の体温だった。


 本来ならば、こうして抱き枕にされたら拒絶したりするだろう。

 少なくとも、ロニアが()で見ていたニンゲンたちならそうする。

 

 けれど、カレンは赤面は見せるも抱擁を受け入れている。

 弱った目の前の少年を、彼女は無条件に包んでいる。


 先ほど彼女に触れていたときに聞こえてきた拍動。

 今、高鳴る自分の胸。


 情報を照合する。

 この感情の正体は、まさか──。


 彼女と出会ってから、自分という何かが決壊したような気がする。

 悪いことではないはずだ。セスに面倒を見てもらっていたときは、常に諦観があった。


 何もかもが、無意味無価値。石のように重い怠惰。剣のような傲慢なエゴ。


 でも、それらが少しだけ薄れたような。カレン。恐ろしい女だ。そう思った。


「セバスがね。運んできたんだよ」


「セバスって、あの執事さんが?」


 確かに、ロニアは軽いし運ぶのは造作もない。


「浴場でのぼせたんだって? もう、うっかりなんだから」


「あはは……。キミのお兄さんと一緒になっちゃってね」


「サイモン兄さまに……」


 カレンが顔を伏せる。やはり、彼女の重圧は、彼も関係していた。

 身内が、伝説を継ぐ者になればそうなるのも無理はない。

 ロニアが激励しても、考えは一日では変わらない。長い時間が必要だから。


「……悪い人じゃなかったよ。ま、ちょっと怖かったけどね」


 あんなことを口走った自分がとは言わなかった。


 経験上、人が嘘を吐いているかどうかは表情でわかる。

 あの顔は、妹を気に掛ける兄の顔だ。クソ親と彼は言ったが、少なくとも兄のように愛している人もいるのだろう。


 その中に、いつか自分が含まれるように。門の外から眺めていたロニアは、そう呟く。


「うん。兄さまは、口が悪いだけでひどい人じゃないから」


 でも、だからこそ。彼女はそう言いたげだった。


 悪意のない善意以上に、鋭い刃はない。

 それは何でもないように、バターを切り分ける包丁のように、すぅっと心を斬りつける。

 余計タチが悪いことに、包丁はそれに気づかない。善という風景に、悪はいない。


 時計の音が、妙に喧しかった。

 秒針を刻むごとに、だんだんと鼓動が聞こえなくなってくるようだ。


 この重い雰囲気を変えないと。やっぱり、彼女に悲しみは似合わない。


「そういえば、スープ貰った?」


 ラファエルが、冗談で言っていたこと。


『病魔は熱に弱い』


 治癒を主にする彼女だから、強ち間違いではないのだろう。


 入浴で外から温め、スープで内側から温める。

 退路なく、体内の病魔は死滅するという計算だ。


 カレンがかぶりを振った。少しの揺れで、彼女の茶髪が躍った。さらさらしている。


「じゃあ貰いにいこうか。案内してよ」


 ロニアがカレンに微笑みかけた。その顔を見て彼女もどこか安心したのか、いつもの微笑を取り戻した。


 心まで冷たくならぬように、今日はあたたかくしていよう。


 どうやらここはカレンの私室だったらしく、見回せば確かに女子らしい家具があった。

 かわいらしい人形や、砕獣の模型。……砕獣の模型?


「え、なんでこんなのがあるの?」


「私ね、砕獣の研究が好きなんだ。生き物とは違う。でも生きている。そんなアンバランスな生態を究明したいの」


「素敵な夢だね。応援してる」


 ロニアの性格だと皮肉っぽく伝わるかもしれない。それでも彼女は、好意的に受け取ってくれたようだ。

 やっぱり正反対だと思う。ロニアとカレンは。


 彼女が努力家だとは知っているが、机に堆く(うずたか)積まれた書籍の数々を見て、思わず感嘆の声を漏らした。


 さて、これ以上の詮索はレディに対し失礼だろう。さっさとスープを貰って、温かくして寝よう。

 カレンの手を握りながら、部屋を出た。


 まるで迷宮だ。メイドやセバスの部下らしきバトラーと何度もすれ違う。


 よくもまあ迷わぬものだ。こんなに広い家だと、ロニアならまず自室から出ようとしないだろう。

 それになんだか落ち着かない。鼓動が早くなっているのは何故だろう。


 すると、眼前に見知った人物がいた。セバスだ。両手には、スープの皿を持っている。

 助かったと、ロニアは安堵した。長い道を、また歩いて帰るのなら、いっそ飛んでしまおうかとも思っていたからだ。


「あ、セバス。持ってきてくれたんですか?」


「ええ。お嬢様と、ロニア様にご足労おかけするわけにはいきませんので」


「セバスさん……!」


 頼れる大人の背中は大きい。セスしかいなかった信頼できる大人に、今セバスが加わった。

 イザラムに恩はあるものの、なんだかウマが合わない。


「それでは、このセバスは就寝とさせていただきますぞ。くれぐれも、ハメを外さぬように」


「ありがとうございます、セバスさん!」


 ロニアは、心さえ開けば全幅の信頼を置く。

 ある意味では、一番ちょろいのかもしれない。


 部屋に戻って、スープを啜る。スープというよりも、シチューだった。

 ビートとタマネギがよく溶け込み、ニンニクの香りが引き立つ。

 色どりもパセリを散らし、腹を空かせた。あっという間に完食し、しばらく談話を交わして床に就いた。


 カレンがもう寝息を立てている。寒くないように――。


「【ちょこっとだけ赦して。ね、いいでしょ? 】」


 真っ白な片翼。抱きかかえるように、カレンを包んだ。

 せめて、夢の中ではあたたかく。綻んだカレンの寝顔を見ていると、自分の意識も泥に落ちた。

 きっと、今日は凍えることはないだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ