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【第十一話 フランカ家】

 「でっけぇ……」


 予想はできていた。ただ、現実の景色は想像よりも幾倍も大きいものだ。


 学院ほど大きくはない。だが、豪邸という言葉は、この邸宅を形容するには足りない。

 とにかくだだっ広い。


「お、お嬢様! 戒厳令ですぞ、なにゆえ外出なさっているのですか! それに、こんなにもびしょ濡れで……」


 口髭に白いものが混ざった老人が、駈足でこちらに向かってきた。

 お嬢様。カレンのことだろう。中腰気味だが、骨格は逞しい。


「ごめんなさい、セバス。でも、このコがいたら危ないことなんてないんですよ」


「あ、どうも。ロニア・ロンドって言います」


「ライルじゃないんだ」


「まだ言うか」


 セバスと呼ばれた男性は、ロニアを吟味する。

 旋毛(つむじ)から、つま先まで。


「ほお、女友達でしたか。ならば心配無用ですな。しかしお嬢様。二度とこのセバスの寿命を縮めないでくだされ」


「待って、女友達? ボクは男……」


「ほっほっほっ。嘘をおっしゃい。こんなにチャァミングな男がいますか」


「じゃあ見ます? 男って証明できますけど?」


 半ばヤケになったロニアは、ズボンに手をかけた。

 赤面したカレンに止められる。


「ロニア様、老人の冗談をお許しください」


「笑えない冗談ですけど」


「夜が近づいてきました。今夜は、ごゆっくりしていってくだされ」


 そのつもりですよ。ロニアはぶっきらぼうに笑った。


「ですが――」


 少し待て。そんな圧をロニアは感じた。


「もしも、お嬢様に手を出そうものなら、このセバスめがねじ切ってみせましょう」


「しないしない、しませんって。大丈夫ですからセバスさん」


 ロニアくんなら。そう言いかけたカレン。


 促されるまま、豪邸を案内された。高価そうな香水の甘い香り漂うロビーでは、見上げるとフランカ家の当主の肖像画がずらりと並んでいる。


 現状右端の男、あれがイザラムの(じじい)だろう。絵では随分と若い。腕の立つ画家だ。

 現実のイザラムは、ニコリとも笑いやしない。皺の間に埃が溜まっているはずだ。


 そうに違いない。生まれた時から眉間に皺を寄せているのだろう。


「迷わないように、手、つなごっか」


「腕に絡みついたまま言う?」


「……歩きにくくない?」


「最初から気づきなよそれ」


 困った。びしょ濡れの頭を掻きながら、ロニアはだだっ広い廊下を見渡した。


 流石に、躰を温めたかった。元天使であっても、今は人間の肉体。風邪は引くし、腹も減る。

 天使形態を維持できればその問題はないのだが、魔力消費が5倍に増えるので控えている。


 ロニアの魔力量はほぼ無尽蔵に近い。しかし、それでも疲労というのは蓄積する。

 人間で例えるならば、誰にでも出来るような単純作業を延々と繰り返しているようなものだ。


「しっかし、広いね。いつか迷って行き倒れるんじゃないの、これ」


「慣れればそうでもないよ? ほら、そこの角を曲がれば大浴じ――へっくし!」


「……温まったら、コックさんに頼んでスープでも作ってもらいな」


 そうする、とカレンは鼻を啜りながら肯じた。


 テルマエとは違う。こじんまりしているが、活気を一点に凝縮させたような場所だった。


 リウの故郷に近い極東の島国では、フロと呼んでいるらしい。この木は、ヒノキだろうか。このあたりでは珍しい。


 湯気が上がり、まだ浸かっていないのに熱い。


 誰の目を気にすることなく入浴するのは久しぶりだ。寮ではネヴィルがいるから、どうにも気を遣ってしまう。


 濡れた衣服を脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿で湯に浸かった。ぶら下がった灯りが、ロニアの白皙の肉体をさらに白く照らす。


 女性のような滑らかな曲線を描く肉付きだったが、肩の骨格や手を見れば、それは確かに少年のものだ。入学当初、色んな人から声をかけられたことを覚えている。


 自身の美しさを、ロニアは理解していた。傲慢ながら、学院で一番美しいという自信がある。


 つま先で水面を突くと、思わずあつっ、と声を上げてしまう。足先がひりひりという感覚を覚えながらも、体が温まった。


 深呼吸。思いっきり。腰まで。


 煮込まれているようだ。肌が見る見るうちに紅潮する。何度、顔を赤らめればいいのだろう。いや、これはノーカンだ。


 しかし熱い。まるで釜茹でだ。髪先から滴る水滴が、反射するロニアの顔を打ち、波紋を広げた。


「あ? って、なんだ男か。みねぇ顔だなてめぇ。分家か?」


 やけに威勢のいい声が聞こえた。顔を上げると、ガラの悪い男がこちらを睨んでいる。

 茶髪で青い目。大方、カレンの親族だろう。


「……カレンの友人です」


「へっ、そうかい。カレンのか」


 半ば嘲笑を含んだ物言いで、男はロニアの隣に浸かった。

 やはり、ひとりの入浴はあり得ない。必ず、何かしらの妨害が挟まるのだ。

 目のやりどころに困るため、再び波紋広がる自身の姿を見つめることにした。

 沈黙。


「てめえ、名前は」


「……ロニア・ロンド」


「ロンド家、聞いたことねぇな。どこの地域だ」


 知らない。自分を見つめながらそう言った。ロンドという姓は、気づけば名乗っていた。

 入学の手続きも、住まいも、すべてイザラムの爺に任せた。


 人間界では、男子寮が実家と言っていい。考えれば、自分は全く属していないと気付いた。


「知らねぇ、と来たか。捨てられたのか、お前は」


 大方そうだろう。天界というひとつの家から弾き出された。それがロニア・ロンドだ。


 別に悲しんでいるわけでもない。慙愧の念も違う

『そうなったか』という、無関心だけが残った。


「……どうでしょう。多分、棄てられたかも」


「残念なこった。捨てネコか。カレンのやつ、変な友人ばかり持ちやがる」


「お望みなら、ボクの方から離れましょうか――あ、いや、これは」


「あ?」


 何を言っている。口が勝手に動いた。発してしまった言葉は取り戻せない。

 心がちくちく痛み、早鐘を打った。カレンから離れる? 自分が?


 ありえない。ありえない? なぜ自分はこう思っている。相手はただの人間だ。たった17年しか生きていないような、ロニアの瞬きにも追いつけないような若造に。


 眼鏡越しに見えるサファイアのような瞳。弾けるような、明星にも劣らぬ眩しい笑顔。ちょっと強引で、努力家。


 ロニアにはないものを、彼女は持っている。羨望ではない。個性の差異だ。そこに優劣はない。

 それなのに――。


 視界がぼやける。温かいし、お湯のせいだろう。しかし、口内に流れ込んだ液体はしょっぱい。


「……別に、カレンの奴を責めてるわけじゃねぇ。クソ親とは違うからな。あいつには、あいつの信じることをしてほしい。悪かった。変な言い方をしたな。カレンがウチに招くぐらいだ。マトモではあるんだろうな」


 マトモか。そう評されたのは初めてだ。天界にいたときから、マトモであることを褒められたことはない。

 むしろ、他と違う事ばかりしていたから小言がしばしばだった。


「ボクも、失礼なことを……」


 男はしばらく、俯くロニアを見ていた。顔は見えない。見えたとしても、水面に響いていてよく見えない。


 鋭い目つきの内に、年長者が年下を見るとき特有の、危なつかしいものを慈しむものがあった。


 所詮はガキだ。何も知らないし、何もわからない。知らないのが普通だ。

 そう思っているのだろう。目の前の少年が、何万年も生きてきた天使だと知らずに。


「俺、サイモン・フランカ・クリスチャン。カレンの兄貴だ。ほんで――」


 十二神徒【熱心者(ゼロテ)】を受け継いだ。何でもないように。向かいに住んでいると言うのと同じようなテンションで。


 ラグナロクを戦った賢者たちの末裔か、それともただその称号を受け継いだだけか。深入りするつもりも、興味もない。


 だが、フランカという家名が、よくわからなくなってきた。学院の長、イザラム。十二神徒という伝説を受け継いだサイモン。


 魔法という概念を牛耳ろうとしているのは薄々感じる。だからこそ、カレンはああまで重圧に喘いでいるのだろう。


 いたたまれなくなり、ロニアは水面に顔を預けた。ぶくぶくと泡を立てた。体は十分温まったし、そろそろ出ようかな。


 立ち上がるロニア。


「あれ」


 翼は展開していないはずなのに。体がこんなにも軽い。飛んでいるようだ。


 そうだ、カレンに会いに行きたい。さっき別れたはずなのに。

 貪欲なさまはまるでマモンだ。いや、カレンは女性だからアスモディウスだろうか?


 そんなことを考えているうちに、天井が遠く遠くへと離れていき――。


 眠くなった。


「な、おい!」


 ばしゃあと荒波立ててこちらに近づくサイモン。

 今日は疲れた。ちょっと休もう。ネヴィルは、どうしているかな。


「てめえ、茹ダコみてえに真っ赤じゃねぇか! セバアアアアス! 急患だあああ!」

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