【第十話 勘弁してください】
「どちら様です?」
「……はい?」
ウリエルが目を丸くした。我ながら、無理があると思った。だが、仕方がないだろう。ロニアは正体を隠したい。
しかしウリエルは「久しぶり」と来た。人間界の伝承では、ウリエルは救済を齎すタイプではない。
どうせならザドキエルとかラファエルあたりが良かった。
「い、いえ、何を仰っているのです。その魔力、その魂。あなたはロニアでしょう?」
「人違いです。ボクは……えっと、そう、通りすがりのライルです」
「そんな馬鹿な……」
最後に見たウリエルは、こんなにも動揺する天使ではなかった。一応、彼女も熾天使のはずなのだが。
かつてミカエルに詰められて泣いてしまった過去を思い出した。あの頃のロニアは、まだ子供だった。
「え、えっと、天使ウリエル様――」
カレンが恐る恐るウリエルに話しかけた。
「大天使」
「……大天使ウリエル様、助けていただきありがとうございました」
「心配には及びません。人を救い導くのが、【天使】の役目です」
天使を強調する必要はあったのか。もしやイヤミのつもりか。 そう思ったが顔に出さなかった。
人間ロニア・ロンドを知るカレンと、天使ロニアを知るウリエルに板挟みにされ、頭が痛くなる。
「カレン。本物の天……大天使を前に畏れないんだね」
「人の姿をしていない、って伝承は言ってたけど、本当は私たちと同じ姿をしているんだねって。それにとても綺麗だし」
「改良を加えたのです。見た目が怖すぎると、前デザインは不評でしたので」
ウリエルは真面目な顔で、どこか遠くを見るように続けた。
「私よりも美しい天使はごまんといますよ。今は、ここにはいませんが――」
ルシフェル。かつて最も美しかった、【明けの明星】。
ウリエルの言葉から出たその名前に、ロニアはげんなりした。
散々聞かされてきた名前だ。偉大で、そしてお騒がせな熾天使。
彼のようになれ。だが彼にはなるな。そう教えられ、じゃあどうすればいいんだと眉を顰めた記憶。
ああいうのに関わるとロクなことにならない。ウリエル然り、ミカエル然り。
ウリエルの手首に巻かれていた、風変わりな器具が振動した。ウリエルは失礼とだけ言うと、その器具に向けて話しかけた。
ロニアが時々使っている通信用の水晶と同じ用途だとすぐにわかった。
「ウリエルです。……天界に帰投? はい、わかりました。直ちに」
ロニア達をちらりと見ながら、天界と通信していた。相手はミカエル、それとも【お父様】か。
しかし、こいつらと縁を切ったはずなのに、また出会うことになるとは予想だにしていなかった。
「レヴィアタンに取り込まれた彼の処遇は、あなた達に任せます。それと、ロニア。あまり、人間界だからといって怠惰に過ごしてはいけませんよ」
「だから人違いですって。ボクはライルです。けどまあ、心に留めておきます」
「……あくまでシラを切るつもりですか。まあ良いでしょう」
ウリエルは呆れたように溜息をつくと、カレンに向き直った。
「カレン、と言いましたか?」
はいと首肯するカレン。
「ロニ……ライルを頼みます。彼は手がかかりますから」
光に包まれ、ウリエルは不可視の羽根を散らして昇天した。
言いたいことが山ほどあるといいたげな表情で、カレンがロニアを見つめている。見下ろしている。
「……何さ」
「ライルくん、大天使様と交流があるんだってね」
「ライルやめてね。あれは……方便というか」
「じゃあもしかしてあの時私たちを助けてくれたのも?」
「だからボクじゃないってば。昔事故って死にかけたの。その時にちょっとお世話になっただけ。ああいうのに覚えられちゃってさ。いけないよね、天使が人間を贔屓するのって」
左方向に目を逸らしながらロニアは言った。
「……ふぅん」
やっぱり無理がある。カレンの視線が痛い。
「……ねえ、ロニアくん」
「なに」
「日が暮れてきたね」
ステンドグラスから差す光は、微かに黄昏を帯びていた。
カレンがロニアの腕に抱き着く。心臓が飛び出そうな感覚。
「このまま帰ったら、警備に見つかっちゃうね」
「いいよ、形無し使うから」
「そんな水臭いこと言わないでさ、ウチに来なよ」
「……は?」
自信をつけさせすぎたか。強かな彼女は、手を放そうとはしなかった。
「それとも、ライルくんとしておもてなししてほしい?」
「……うっさいな」
ぷいっとそっぽを向いてみる。顔が熱い。
─────────◇─────────
「セス・アダマンティア。君の見解を聞かせていただこう。この砕獣害は、何が原因だ」
クリスタリア魔術学院、最上階。摩天楼の先端。円卓に招かれたセス。
教師陣の他に、院長イザラムと3つの協会の重鎮がいた。
クロウルだけは、欠席していた。
治安維持専門の、テンプル協会の代表、アガタ・ウィルソンがセスに尋ねた。
「仰せのままに。現場に残されていた痕跡から察するに、人型砕獣で間違いないでしょう。それの異常性は、お手元の資料をご確認ください」
紙をめくる音。何人かがうなった。
「人型砕獣による被害は、これが初めてではありません。しかし、奴らから襲撃してくるというケースは今までありませんでした。これは、知性の進化と言っても良いでしょう」
「知性の、進化とな」
「我々人類と同じように、奴らは進化するのです」
「進化だと?我々人類は、神がお創りくださった被造物だ。進化など、冒涜だろうが」
魔道具開発、アポテオシス協会代表、クレムノン・イックスが机を叩いた。
「クレムノン代表。信仰を今はお捨てになさってください。信じることで見逃してくれるほど、砕獣は優しくありません」
続けますと言って、セスは書類をめくった。
「ここまでは、私が初めて出会った時に建てた仮説です。本題に入らせていただきますね」
杖を取り出し、青魔法で空に映像を投影した。かつて彼女が、人型砕獣と接敵したときのものだ。
ざわめき。双斧を振るっている。ロニアが斃した個体だ。
「人型砕獣。あえて、ネフィリムと呼びます。お手元の資料にある、砕獣の生態を読み込んでいただければわかりますが……」
息を吸う。重い真実。
「ネフィリムはもはや、砕獣ではありません。人間と砕獣の間に産まれた、忌み子です」
「ま、待て待て! 資料によれば、砕獣の核は、いわば黴、菌糸核なんだろう!? 黴と人間が、どうやって子を為すというのだ!」
クレムノンの疑問に、ごもっともだと円卓が騒ぐ。イザラムだけは、ただ黙っていた。
「模倣」
静寂。
「も、模倣だと……?」
「資料6頁、【砕獣の生態模倣プロセス】の項目をご覧ください。黴が、死んだ生き物を模倣すると」
「ふむ、だがこの資料には知性を持たぬ生き物を、と書いてあるが?」
アガタが頁を捲り、指先でとんとんとそれを叩きながら指摘した。想定通りと、セスは淡々と説明を続ける。
「そこは進化、あるいは異常適応と呼ぶべきでしょう。私が言いたいのは、ダンジョンで死亡した人間を模倣した砕獣がいるということです。そうすれば、生きた人間として交配も可能です。ダンジョン付近の街に行けば、何体も潜んでいるでしょうね。我々が魔法という力を手にしたように、奴らの模倣の質も高まっているかと」
私情は後。今はとにかく、事実を伝えるのみ。
「やっと私が口を挟めるようね。学院付近の街、イクリミルでの異常事態に、【角の生えた子供たち】というのがあったわ。これもネフィリムということね」
「その認識で間違いありません。アレサ・イズマエル・シトリウス卿」
シトリウス騎士協会団長が、待ちわびたかのように挙手した。マチィナの姉でもあった。桃色の髪は変わらなかった。
「第二の、ラグナロクか」
イザラムが、ようやく口を開いた。古い過去を追憶するような口ぶりだった。
「喫緊の課題は、まず被害を最小限にまで抑えることです。方法は……まだ検証中ですが」
「ネフィリムの数を減らす。テンプル協会はそれを行おう」
「あら、ネフィリムの赤ちゃんも殺しちゃうの?」
「ネフィリムは自覚しない限り、自身をそうだと気付きません。自分を人間だと信じていますし、産まれてくる子供もまたネフィリムです」
「同じことだ。テンプル協会は、あくまで治安維持。ネフィリムのせいで脅かされるのなら、排除するのみ」
「産まれてくる赤ちゃんがネフィリムで、そのせいで自分もそうだと気付く。家族が引き裂かれるのね。確かにそこに愛はあったはずなのだけれど。仕事と言えど、まったく気分が悪いわ」
皮肉っぽく、アレサは笑った。マチィナに似た柔らかな目つきのせいか、より悲壮感が漂っている。
セスは唇を噛み締めた。ネフィリムと言えど、人を愛して子を儲けた。自身を人だと信じていたから。
危険だという理由で、子も、自身も殺されなければいけないのは、あんまりではないか。
「――理解とは、常に難いものだ。対策本部の発足を私は急ぐ」
イザラムがそう言い残して、退室した。
「……以上です」
セスが結んで、この会議は終わった。




