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ep.3 『慕情』①

 日が傾き、街並みが朱く染まる。

 夜が近づくことは則ち、街の闇が濃くなるということ。

 多くの人と物が行き交う大都市であっても、それは同じことだ。


「助けて……誰かぁぁぁぁぁっっっ!!」


 若い女性――エマの悲鳴が裏通りに響いた。

 昼間の大通りであればすぐさま多くの通行人に届いたはずのその声も、この時間、この道では誰かに聞こえるかすらわからない。

 全力で逃げるエマは体力の消耗と恐怖で、最早悲鳴をあげることすら息苦しい。

 それに引き換え、彼女を追い立てる怪鳥の羽ばたきは憎らしいほど軽やかであった。

 魔物は知能が高い。人間が自分に怯えていることはよくわかるし、それを楽しいと感じるだけの感情も持ち合わせていた。

 そもそも、そこらの若い女性に魔物から逃げられるだけの走力などあるはずもない。

 偏に、怯える獲物が面白いからあえてゆっくりと追いかけているのだ。

 そんな魔物の心境など推し量る余裕もない。エマが逃げ続けていると、不意に魔物の飛行速度が急加速した。


「きゃぁぁっっ!!!」


 突然魔物が、エマの真横を通り過ぎた――かと思えば、ビリィィと音を立てながらエマの服が大きく裂けた。


「ひっ……!!」


 魔物が、すれ違いざまに爪を引っかけた。

 『お前など簡単に殺せるぞ』という、明らかな示威行為であった。

 とうとう、エマが恐怖にくずおれる。ひたすら顔を伏せ、現実から目を背けることしかできなかった。

 魔物の側も、いよいよ獲物を狩る頃合いが来た……と翼を広げたその時であった。 

 突然、鈍い音とともに魔物が地へと墜ちた。


「えっ……」


 助かった、と思うよりも何が起こったのかわからないという困惑の方が勝る。

 顔を上げて確認することも怖い……エマはただ怯えて呼吸を乱すばかりであった。


「大丈夫か?」


 そう問いかけてきた、聞き慣れない低い声にびくっと肩を震わせる。


「えっ、あっ、あの……」

「慌てなくていい。貴女の悲鳴が聞こえたから助けに来たのだ」


 素直に信じていいかわからない状況だが、事実として目の前には魔物の死骸が転がっていた。

 恐る恐る見上げると、目に入ったのは――金色の髪と碧い瞳をした精悍な顔つきの巨漢であった。

間違いない。

 魔王軍と戦う英雄、ヴォルガー・フィルヴォルグその人だ。

 新聞で何度も見かけた英雄が何故目の前にいるのか、そして何故絶好のタイミングで自分を助けてくれたのか……エマは自分が本当は死にかけていて、束の間の夢を見ているのではないかと疑った。


「あっ、あの、私、はぁ、はあ」


 お礼を言いたいが、呼吸が乱れて上手く話せない。

 助かったという事実を頭では理解していても、心がまだついて来れない。


「ひとまずここを離れよう。この通りは治安が悪いと聞いた」


 そう声をかけながら、ヴォルガーは周囲を見回した。横から獲物にありつこうとしていたのか、そこらに止まっていた同種の魔物が一斉に羽ばたいて逃げ出した。


「貴方のような戦う力を持たない女性(ひと)は一人で歩かない方がいい」


 ヴォルガーにそう言われた次の瞬間、エマの体はふわりと浮遊感を覚えた。

 エマはヴォルガーの腕に抱きかかえられる……いわゆる、お姫様抱っこだ。


「ひゃっ」


 逞しい腕に抱かれているという安心感のおかげだろうか?

 エマの心を包んでいた黒い影が一気に消えたようだった。

 まるで、学校に休むと連絡をした途端に体調が回復したような気まずさが少しある。

 しかしそれ以上に、不思議な温もりがエマの心に広がっていった。


「あ、あの……私、エマと申しますわ……」


 エマはヴォルガーに抱えられながら自分のことを話した。

 大学生で、この都市には美術館で開催されている特別展のために来たこと。

 本当は友達も一緒の予定だったが、急用で来られず一人になったこと。

 この都市には幼い頃から何度も来ていたが、この通りの治安が悪いという話は聞いたことが無く、実際危険な目にあったこともないということ。

 最後の話をしたとき、ヴォルガーの顔は俄に曇った。


「魔物が寄りつかない街中に……これも魔王軍侵攻の影響か」


 話をしているうちに、そろそろ大通りというところだ。


「あっ、あの、ありがとうございました!」


 夜が迫って人通りが少なくなったとはいえ、抱きかかえられたまま大通りを歩くのは恥ずかしく、エマは慌ててヴォルガーの腕から降りる。

 そして地面に降ろしたところでヴォルガーはふと気がつく。

 エマの胸元が大きく破れており、このまま大通りを歩かせるのは流石に気が引けるということに。


「すまない、無神経だったか」

「あっ、いえ、そんな……」


 恥ずかしげに目を伏せて、両手で胸元を隠すエマ。

 ヴォルガーは静かに黒いタンクトップを脱ぐと、そっとエマに手渡した。


「薄着で申し訳ないが、よければ隠すのに使ってくれ」

「は、はい……! ヴォルガー様……」


 エマは黒いタンクトップを受け取ると、両手で抱え込んだ。

 それは胸元を隠すというよりも、ぎゅっと抱き締めていると表現した方がふさわしかった。

 タンクトップの薄さには不釣り合いなほどの温もりがエマに伝わり、心を溶かしていく。

 裕福な家庭で平和に暮らしてきたエマにとって、ヴォルガーの逞しい暖かさはあまりにも刺激的だ。

 乳首がやたらと綺麗なピンク色で女性と見紛うほど立派な大きさをしていることは気になったが、胸の高鳴りの前では些細なセックスシンボルであった。

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