ep.12『追憶』⑩
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ヴォルガーの手に残された噛み跡を見た瞬間、ナディの脳裏に浮かんだ記憶。
それは一世紀前、ヴォルガーの師匠である開天盤古とともにこのダンジョンを訪れた時の情景であった。
「まったく……あんた自身がこの治療を受けることになるとはね」
呆れたようにそう言って、ナディは指先のアルミナヨモギをクシャッと摘み潰した。
このとき盤古は、ナディに襲いかかったコウモリを払いのけて怪我を負っていた。
現在のヴォルガーと似たような状況だが、違うところが二点あった。
一つは、追い払うのに手こずったこと。
盤古自身が開天法を開発するよりも前のこの時代、小型の魔物一体であっても素手で倒すのは簡単ではなかった。
開天法の存在を抜きにすれば、当時の盤古は現在のヴォルガーを凌駕する程の天才的な実力を持っていた。
そんな盤古であっても、小型の魔物一体の対処に時間がかかってしまう……それが、当時の人類にとっての現実であった。
もう一つは、負った傷の多さ。
対処に時間がかかれば、必然的に盤古の受けるダメージも大きくなる。
ナディは、盤古には緊急の治療が必要だと判断した。
盤古の頭は、正座したナディの太股に乗せられていた。
仰向けになった盤古の口に、ナディは摘み潰したアルミナヨモギをそっと近づける。
ナディの指先が光ると、潰れたアルミナヨモギから緑色のエキスが絞り出され、溢れていき、盤古の口に滴り落ちていく。
「良薬口に苦しだよ。よく味わいな」
「ああ……確かに効きそうだ」
ナディは盤古の首筋にそっと指先で触れ、光とともに魔力を送り込む。
「これがあんたの熱心に研究してた霊脈結晶化症の治療だよ。自分で受けられてラッキーだったね」
「かたじけない……研究の糧とさせてもらおう」
ナディは呆れたようにため息をつく。
「出会ったばかりのあたしを信じすぎるもんじゃないよ。こんなとこまで乗り込んで、こんな猛毒に中って……あたしが面倒になって放置してたらお陀仏だよ、あんた」
「いや……貴女は信頼に足る人だ」
「まったく何を根拠に……」
「ワシは貴女の考案した治療法をいくつも勉強したが……どれも患者の痛みや苦しみに寄り添った優しさがあった。勝手なことですまないが、ワシは出会う前から貴女が優しい人だと確信していた」
その言葉を聞いて、ナディは急に頬が熱くなるような感覚に襲われた。
股の上から真っ直ぐに見つめてくる盤古から目を逸らし、吐き捨てるように言う。
「その優しさにつけ込んでこんなとこまで付き合わせたってことかい。まったく本当に勝手なヤツだよ」
「いや、誠にかたじけない」
そう言って、盤古は微笑んだ。
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「そういえば、確かに毒があったな」
ナディの「あのコウモリには毒が」という指摘を受けたヴォルガーは、両手を合わせ、目を瞑る。
「あのコウモリに噛まれたのは久しぶりだな……修業時代以来か……」
そう呟いて精神を集中させ、解毒を始める。
ヒーラーであるナディの眼には見える。ヴォルガーの身体を高速で駆けめぐる強い魔力が。
そして、循環する魔力に飲まれた毒があっさりと薄まり、解毒されていく様が。
「ふむ……これくらいでいいだろう」
ナディが解毒を確認したのと同じタイミングで、ヴォルガーは自己治療の完了を判断した。
「念のため、異常が無いか看てみますね」
「ああ、ありがとう」
ラピアは魔物に噛まれたヴォルガーの手を、スリスリと優しく撫で回す。
診察しながら、ラピアはふと思い出す。
「そういえば……この毒をヴォルガーくんが自分で治療できるのも、盤古さんとナディさんのおかげなんですよね」
その言葉を受けて、ナディはふっと微笑む。
「そうだ。霊脈結晶化症を引き起こす毒は魔力循環の加速で解毒できるわけだけど……盤古とあたしが開天法を開発するまでは治療も面倒だった。アルミナヨモギが必要だったしな」
「本当にすごい発明ですよね……そうだ! 後学のためにこのダンジョンに生えてるアルミナヨモギも見ておきたいんですけど、流石に時間がありませんかね?」
「昔は結構深い階層じゃなきゃ見つからなかったけど」
そう言いながら、ナディは辺りを見回す。
「今はそこら辺にも生えてるみたいだぞ。摘んでいったらどうだ?」
「あ、本当だ!! ちょっと失礼します!!」
ラピアはヴォルガー達から少し離れて、壁に生る蔓状のアルミナヨモギを観察し始める。
摘んで持ち帰る前に、生えている状態での生体を知りたかったらしい。
二人の声が聞こえづらいくらい離れた、と判断したところでナディはヴォルガーにラピアについての話を振った。
「あたしくらいになると、少し見ただけで結構わかる。あいつ、なかなか腕のいいヒーラーだな」
「ああ。本当に頼りになる仲間だ」
その返しを聞いたナディは、少しニヤついた顔でヴォルガーをからかい始めた。
「仲間だ、なんて薄情な言い方だなぁ、おい。付き合ってんだろ?」
「……そういう噂も流れているが、俺とラピアさんは断じてそんな関係ではない」
「またまたぁ、そんな照れ隠しを――」
と、言い掛けたところでナディの思考は一時停止を選んだ。
自分にも覚えがある。かなり沢山ある。
実際にはそういう関係ではないのに『付き合ってんだろ?』と噂される状況……。
「――え、もしかして、マジで?」
「ああ……本当にそんな関係ではない」
そう言い切るヴォルガーの少し疲れたような瞳を見て、その言葉が本当であることをナディも悟った。
しかし、悟ると同時に一つの大きな疑問も浮かび上がる。
「……いや、待て。周りの人間がアレコレ勝手な噂をするのはよくわかるんだが……あたしはラピアから直接聞いたぞ? 恋人同士だって……」
「ラピアさんは……そういうことを言う人なんだ」
「え、マジで? え? 嘘をついてるような感じはしなかったけど……」
「俺にはわからんのだが、ラピアさんは嘘をついているというよりも……本気でそう思いこんでる節があるのだ。俺とその、そういう関係であると……心の底から確信しているところがある」
「えぇ……怖ぁ……」
得体の知れない怖さにしばし沈黙した後、ナディはヴォルガーの大きな肩にポンと手を置く。
「なんていうか……話くらいは聞いてやるよ……うん……」
「かたじけない……この話題になると、何故だか俺の話を信じてくれる人間は少なく……」
「うん……わかるよ……」
どんよりとした空気の中、観察と採取を終えたラピアが丁度戻ってきた。
「おまたせしました!! ディオニュシアへ行きましょう!!」




