ep.5 『公転』⑤
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乳首開発の再開は遅々として進まなかった。
「普段は夜に開発しているのだから、日が暮れればきっと大丈夫」
そんな気休め半分の願望を自分に言い聞かせたヴォルガーであったが、結論をいえば時間帯に関わらず乳首の開発は不可能であった。
彼の身体を丸ごと包み込める大きなベッドも、今は癒しと眠りを与えてはくれない。
横たわる彼はただただ静かに、そして苦しく「お゛ぉん……お゛ぉぉん……」と唸るばかりであった。
日中はラピア共々、催眠術を解く方法を探して回った。
様々な医療関係者や魔法使いを頼り、文献を読み漁った。
元勇者パーティとしての伝手を使い、リア王女の故郷である魔法大国クレイオスの王認研究機関に所属する魔導師にも緊急で看てもらったが、解除は叶わなかった。
キルデイルのかけた催眠術が非常に高度だったこともあるが『乳首開発の禁止』という暗示に前例が存在しなかったことが最も事態の解決を困難にしていた。
話を聞いた王認魔導師も非常に困惑し、理解に苦しむ様子であった。他では聞いたことのない症例だったためであろう。
そして、何の手だても打てないまま三日が過ぎた。
この日は件の王認魔導師から紹介された別の魔法使いに相談し、やはり解決できずに終わった。
自分はこのまま死んでしまうのだろうか……そんな不安は、どうしてもヴォルガーの胸中に襲いかかった。
戦いで死ぬ覚悟はできていたが、乳首開発を封じられて死ぬ覚悟はできていない……そもそも、考えたことさえなかった。
そんな心の脆弱さに気づかされたヴォルガーは、ますます動揺と焦りを深めていった。
ヴォルガーは今、自らを鎮めるために精神統一を行っていた。
彼は村の公園の隅で、その巨体を足の親指一本で支えている。
肉体と精神のバランス感覚を養うための修行で、これを何年も続けているヴォルガーはその気になれば一日中姿勢を維持することが出来た。
両手の平をぴたりと合わせ、両目を閉じて余計な視覚情報を遮断し、右足の親指を支点として全身の神経を張り詰める。
体が、心が、少しでも乱れたらあっという間に崩れる体勢だ。
この精神統一を始めて、既に一時間が経過していた。
ラピアはただ、見守ることしかできなかった。
ヴォルガーの気が済むまで、それこそ一日中でも見守ろうと思っていた。
しかし……この時間は、予想外に、あっけなく崩れることとなった。
「あっ!!」
慌てた子供の声が聞こえてきた次の瞬間、ヴォルガーの脚にボールが軽くぶつかった。
そして、ヴォルガーのバランスは瞬く間に崩壊し、その場に膝をついた。
「……っ!」
予期せぬ失敗に、ヴォルガーは声もあげられない。
放心状態の彼に、ボールをぶつけてしまった子供達が怖がりながらも近づいてくる。
「あ、あの……その……」
「あっ、このボールですね! はい、どうぞ!」
呆然とするヴォルガーに代わってラピアがボールを返してあげると、子供達は「ごめんなさい!」と逃げるようにその場を去っていった。
そんな子供達を「怯えなくていい」と気遣うような余裕を、今のヴォルガーは持ち合わせていなかった。
ボールは、本当に軽くぶつかっただけだった。
ヴォルガーのように鍛えあげた人間でなくとも、怪我をする可能性は無いと断言できるほど軽い衝撃であった。
だからこそ、それであっさりとバランスを崩したという事実がヴォルガーにとっては凄まじいショックであった。
修行時代には、この足の親指一本でバランスを取る訓練は師匠から加えられる凄まじい衝撃とセットだった。
じっと集中している弟子の脚を、師匠が時折鋼鉄の棒で強かに打ち付ける――これだけの厳しい訓練であっても、ヴォルガーは一日中姿勢を維持できていた。
それが今では、ボールが軽くぶつかっただけであっさりと崩れてしまう。
バランスを崩したのは、身体だけではなかった。
打ちひしがれる彼の姿を見て、ラピアは一つの大きな決心を固める。
「ヴォルガーくん……もう大丈夫ですよ」
ラピアは、彼の背中にそっと優しく触れる。
「ラピアさん……」
「私が……乳首を開発してあげます!!」
「……え゛っ!!?」
ヴォルガーの精神に先ほど以上の衝撃が走る!!
「だからほら、お姉さんに見せてください!!」
「いっ、いやっ!! 遠慮する断じて遠慮する!!!」
「そんなに恥ずかしがることないじゃないですか!! 先っちょだけ!! 先っちょだけですから!!!」
「乳首は全部が先っちょじゃないか!!!」
「催眠術が解けるまで!! とりあえず一回だけ!! 一回だけでいいので!!!」
「違うんだラピアさん……!! たとえ一回だけでも許してしまえば、その一回だけで俺はきっと元のヴォルガー・フィルヴォルグには戻れなくなってしまう……!!」
二人が乳首問答を繰り広げている、その時だった!!
公園でくつろいでいる一般市民達が、その重大な異変に気がつき始めた!!
「おっ、おい……空を見ろ!!」「何かがこっちに落ちてくるぞ!!」「あれは……隕石じゃないか!!??」
「……えっ!!??」
衝撃的な情報に、思わず二人も乳首問答を打ち切って空を見上げた!!
そして視認する、紛れもなく地上に――この町に向けて落ちてくる隕石を……!!




