1-9:重要人物との邂逅
2025年4月21日、午後2時30分。
かけるは東京大学工学部の中庭で、一人の女性が建物の屋上を見上げているのを見つけた。
相原レナ。28歳。地下構造物設計の専門家。
しかし彼女は、今にも屋上から飛び降りそうな絶望的な表情をしていた。
「やめてください!」
かけるは思わず叫んで駆け寄った。
振り返ったレナの顔は涙に濡れている。黒縁の眼鏡越しに見える瞳には、深い絶望が宿っていた。
「あなたは...?」
「神崎翔です。大丈夫ですか?」
レナは小さく首を振った。
「大丈夫じゃありません。私は...私は人を殺した」
かけるの心臓が高鳴った。これはアプリにない情報だった。
「何があったんですか?」
「今朝、父から電話がありました。阪神・淡路大震災で父が設計したマンション...そこで亡くなった家族の遺族の方から、今でも恨みの手紙が届くって」
レナの声が震えている。
「父は言ったんです。『お前も建築士になったが、同じ失敗を繰り返すだけだ。人を救うどころか、人を殺すことになる』って」
かけるは思わず彼女の手を握った。
「それは違います」
「違わない!私の技術なんて、何の役にも立たない。いくら理論を完璧にしても、現実に人を守れるかわからない。なら、いっそ...」
「違う!」
かけるの声が響いた。通りかかった学生たちが振り返る。
「あなたは人を救うために生まれてきたんです」
「なぜそんなことが...」
「私は未来を見てきました」
レナが目を見開いた。
「未来?」
「信じられないかもしれません。でも、私は20年後の世界を知っています。巨大な災害が人類を襲い、99%の人が死ぬ未来を」
レナの涙が止まった。
「そして、その未来で唯一の希望が、あなたの技術なんです」
「私の...技術?」
「3,000万人を収容する地下都市。あなたにしか設計できない、人類最後の方舟」
かけるはコンプレッサーを見せた。アプリのホログラム機能で、未来の地下都市の映像を投影する。
美しく、機能的で、人間らしい温かみのある地下空間。そこで笑顔で暮らす家族たち。
「これは...」
「あなたが設計した地下都市です。3,000万人の命を救った、史上最高の建築」
レナの瞳に光が戻った。
「でも、なぜ私なの?」
「あなたのお父様の失敗があったからです」
レナが困惑する。
「阪神・淡路大震災の教訓があったからこそ、現在の耐震基準は向上した。あなたは父の失敗を乗り越え、真に人を救う建築を作れる唯一の人です」
長い沈黙。
桜の花びらが二人の間を舞い踊る。
「神崎さん、あなたの目は...」
レナが小さくつぶやいた。
「本当に絶望を見てきた目をしています。でも同時に、絶対に諦めない強さも感じる」
かけるは田村さんとユミちゃんの顔を思い出していた。
「私は多くの人を救えませんでした。でも、あなたとなら、今度は救える」
「私一人では無理です」
「一人じゃありません。私も、他の仲間も、みんなで力を合わせます」
レナが初めて微笑んだ。涙に濡れた頬に、希望の光が差している。
「神崎さん、あなたも過去に何か大きな失敗をしたんですね」
「はい。でも、その失敗があったから、今度は絶対に成功させる決意ができました」
「同じです」
レナは立ち上がった。もう屋上を見上げることはない。
「神崎さん、私にその地下都市を設計させてください」
「レナさん...」
「今度こそ、本当に人を救う建築を作ります。父の失敗も、私の迷いも、すべて乗り越えて」
その時、レナの表情が突然変わった。
「あれ...?」
「どうしましたか?」
「変な感覚です。今この瞬間を、前にも体験したような...」
レナは頭を押さえた。
「まるで、神崎さんと前にも同じ会話をしたような気がします。でも確実に初対面なのに」
既視感。コンプレッサーの量子フィールドの影響か。
「私の持っている技術が、あなたに何らかの影響を与えているのかもしれません」
「技術?」
「運命的な出会いというものは、時として不思議な現象を引き起こすのかもしれませんね」
レナは納得したような、困惑したような表情を見せた。
「神崎さん、いえ、翔さん」
「はい」
「私、あなたと出会うために生きてきたような気がします」
かけるの胸が熱くなった。
「私もです、レナさん」
春の陽射しに包まれた東京大学の中庭で、人類救済計画の最重要なパートナーシップが始まった。
田村さんとユミちゃんのために。
レナのお父様の無念のために。
そして、まだ見ぬ3,000万人の未来のために。
二人は手を取り合い、新たな歩みを始めた。
コンプレッサーが手首で温かく脈動している。まるで、運命の歯車が回り始めたことを告げているかのように。
《続く》