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1-5:2025年の東京・覚醒



 鳥のさえずりが聞こえる。それは、凍える地下世界では決して聞くことのできなかった、生命に満ちた音だった。


 かけるはゆっくりと目を開けた。頭上には眩しいほど青い空が広がり、新緑の枝葉が暖かな陽光に輝いている。肌に感じる春風の温もり、花の甘い香り、遠くから聞こえる子供たちの弾むような笑い声。


挿絵(By みてみん)


 ここは...どこだ?


 身体を起こすと、公園のベンチに座っていることがわかった。周囲を見回すと、夢のように穏やかな春の午後の光景が広がっている。桜の花びらがひらひらと舞い、家族連れがピクニックを楽しんでいる。犬を散歩させる人々が行き交い、ベンチで読書をする学生たちの姿もある。


 あの地下避難施設の薄暗さ、黴臭い腐敗の匂い、希望を失った人々の絶望的な雰囲気とは正反対の、生命力に満ち溢れた世界。


「本当に...過去に来たのか?」


 かけるは自分の手を見た。


 40歳のやつれた手ではない。血色がよく、筋肉質で健康的な25歳の手だった。皮膚にはハリがあり、血管もくっきりと浮かんでいる。指を動かしてみると、関節の痛みも、慢性的な疲労感もない。掌を握りしめると、確かな力強さを感じる。


 立ち上がって歩いてみる。膝の関節は軽やかに動き、足取りは弾むようだ。深呼吸をすると、肺の奥まで清々しい空気が入り込む。心臓の鼓動も力強く、全身に新鮮な血液が駆け巡っているのがわかる。


 これが25歳の身体か。栄養失調で衰弱しきった40歳の肉体とは、まるで別人だ。20年前の若さと活力が完全に戻ってきたのだ。


 手首を見ると、黒い金属製のコンプレッサーがしっかりと装着されている。表面の複雑な模様が、微かに光っているようにも見える。これが現実である証拠だった。


 ポケットを確認する。身分証明書、銀行カード、現金の入った財布、そしてスマートフォン。すべてユキトが約束した通りだ。


 身分証を開いてみる。「神崎翔、25歳」と記載されている。住所は東京都内のマンション。見たことのない場所だが、きっとユキトが用意してくれたのだろう。


 スマートフォンを手に取る。最新の機種で、画面には見慣れないアプリがいくつか並んでいる。その中でも目を引くのは「オルデン・プロジェクト」という名前のアプリだった。


 アプリを開こうとしたその時、近くにいた散歩中の老人が声をかけてきた。


「お兄さん、大丈夫かい?さっきからずっと寝てたから心配だったよ」


「ああ、すみません。ちょっと疲れて...」


「今日はいい天気だからね。お昼寝には最高だ。でも風邪をひかないよう気をつけなさい」


 老人は親切に微笑んで歩いていく。


 かけるは周りを改めて見回した。ここは代々木公園のようだ。遠くには高層ビル群が見える。2025年の東京。20年前の、まだ希望に満ちた世界。


 そして20年後、この美しい光景はすべて灰色の世界に変わる。


「絶対に...絶対に阻止してみせる」


 かけるは決意を新たにした。


 近くの売店で手鏡を買い、自分の顔を確認する。確かに25歳の頃の顔だった。若々しく、目に生気がある。40歳の時のような絶望的な表情ではない。


 この若い身体と、未来の知識、そしてコンプレッサー。これが自分の武器だ。


 人目につかない木陰に移動して、コンプレッサーの実験をしてみることにした。心臓が高鳴る。本当にユキトの言った通りの力があるのか。


 足元に落ちていた拳大の石を拾い上げる。ずっしりとした重量は500グラムほどだろうか。ざらざらした表面の感触が指先に伝わる。


 手首のコンプレッサーに意識を集中する。どうやって操作するのか、説明は受けていない。しかし、ユキトは「血統があれば直感的にわかる」と言っていた。


 石を見つめながら、息を整え、「小さくなれ」と強く念じてみる。


 その瞬間、コンプレッサーが温かく脈動し、青白い光を放った。


 石が信じられないほど急速に縮小していく。まるで魔法を見ているようだ。あっという間に米粒ほどのサイズになった。


 手のひらの上の小さな粒を見つめる。見た目は完全に米粒だが、重量は元のまま500グラムある。手のひらがその重みでずしりと沈む。密度が極限まで圧縮されているのだ。


「信じられない...本当にやったんだ...」


 震える声で呟く。これは夢ではない。現実だ。


 今度は「元に戻れ」と念じてみる。手が震えている。


 再びコンプレッサーが脈動し、青い光が石を包む。米粒サイズの石が瞬時に元の大きさに戻った。重量も、形も、表面の質感も、まったく損傷がない。完璧な復元だった。


 かけるは膝が崩れそうになった。この技術があれば、本当に不可能を可能にできるかもしれない。


 この技術があれば、建設資材の運搬が革命的に効率化される。巨大な鉄骨やコンクリートブロックを米粒サイズに圧縮して運び、現場で元のサイズに戻す。工期が大幅に短縮されるはずだ。


「本当にやれるかもしれない...3,000万人を救うことが」


 しかし、同時に使命の重さも実感する。この技術を使って、20年という限られた時間で、日本の人口の4分の1を収容できる地下都市を建設する。想像を絶する巨大プロジェクトだ。


 スマートフォンの時刻を確認する。2025年4月15日、午後12時30分。


 ユキトが言った通り、正確に2025年4月15日の正午に転送されたのだ。


 今日から20年間が、人類を救うための戦いの始まりとなる。


 公園のベンチに戻り、「オルデン・プロジェクト」のアプリを開いてみる。恐る恐るアイコンをタップする。


 起動すると、まるでSF映画のような洗練されたメニュー画面が表示された。2025年の技術では考えられないほど美しいインターフェースだ。


「鉱脈情報」「重要人物」「隕石データ」「使用履歴」


 それぞれの項目をタップしてみる。指先がわずかに震えている。


 「鉱脈情報」には、2025年時点で未発見の鉱脈の位置が3Dマップで表示されている。レアメタル、金、銀、そして地下シェルター建設に必要な各種鉱物の埋蔵地点が、まるでゲームのように詳細に可視化されている。しかし、詳細情報にアクセスすると「残り使用回数:49回」という表示が赤く点滅した。


 「すごい技術だ...未来はここまで進歩するのか」


 「重要人物」の項目には、何人かの名前と高解像度の写真が表示されている。相原レナ、田中ハルカ、風見遼...ユキトが言っていたキーパーソンたちだ。現在の居場所や連絡先、さらには性格分析や接触方法のアドバイスまで記載されている。まるで神の視点から人生を見ているかのようだ。こちらも使用回数に制限がある。


 「隕石データ」には、オルデンの軌道情報や衝突予測地点、被害想定などが表示されている。地球に向かってゆっくりと近づいてくる死の軌跡を見て、背筋に寒気が走る。この情報も限定的で、詳細にアクセスするには使用回数を消費する必要があるようだ。


 情報は貴重だが、無制限に使えるわけではない。一つ一つが人類の運命を左右する可能性がある。計画的に、慎重に活用する必要がある。


 ベンチから立ち上がり、公園を歩いてみる。


 平和な午後の東京。人々は笑顔で過ごし、未来への不安など微塵も感じていない。誰も、20年後に世界が終わることなど知らない。


 若いカップルが桜の下でデートを楽しんでいる。小さな子供が母親と一緒にブランコで遊んでいる。サラリーマンがベンチで弁当を食べながら、穏やかな表情で空を見上げている。


 この人たちを、絶対に守らなければならない。


 かけるは歩きながら、今後の計画を考え始めた。


 まず資金調達。オルデン・リソーシズという会社を設立し、未来の情報を使って鉱脈を「発見」する。それで得た資金で地下シェルター建設の準備を進める。


 同時に、重要人物との接触。相原レナという建築家、田中ハルカという環境技術者、そして政府内部の風見遼。彼らの協力が不可欠だ。


 そして、適切なタイミングでの情報公開。隕石衝突の事実を世界に知らせ、国際的な協力体制を築く。


 しかし、歴史を変えすぎてはならない。ユキトの警告を忘れてはいけない。必要最小限の変更で、最大の効果を狙う。


 公園の出口に向かって歩きながら、かけるは空を見上げた。


 青い空の向こう、遠い宇宙の彼方から、巨大な死の使者がゆっくりと地球に向かっている。オルデン。直径30キロメートルの絶望の塊。


 しかし、今度は違う。今度は準備ができる。今度は武器がある。今度は仲間がいる。


 そして今度は、諦めない。


「父さん、見ていてください。俺は絶対に人類を救ってみせます」


 かけるは空を見上げながら、胸に手を当てて心の中で父親に語りかけた。神崎忠一も、同じ使命を背負い、同じ空を見上げていたのかもしれない。きっと同じような気持ちで、人類の未来を案じていたに違いない。


 父親が果たせなかった夢を、今度こそ自分が実現する。その誓いを胸に刻み込む。ユキトが見せてくれた幻視の中の父の姿が、まぶたの裏に浮かんだ。政府高官の前で必死に訴えていた父の、悲痛な表情。


 今度は違う。今度は武器がある。今度は準備期間がある。今度は絶対に成功させる。


 公園を出て、新宿の街に向かう。人類救済のための第一歩を踏み出すために。


 この瞬間から、神崎翔の新たな人生が始まった。25歳の身体に、40歳の記憶と未来の知識を宿した男の、20年間にわたる壮大な戦いが。


 頭上では青い空が広がり、街には活気があふれ、人々は希望に満ちた表情で歩いている。


 この美しい世界を、この笑顔を、この未来を守るために。


 そのとき、手首のコンプレッサーが一瞬脈動した。


 振り返ると、公園の向こうで双眼鏡を持った人影が一瞬見えた。


 見間違いか?


 それとも、すでに監視が始まっているのか?


 かけるは歩き続けた。


 戦いは、もう始まっている。


《続く》

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