1-4:時空転送と秘密の伏線
激しい光が収まると、かけるは巨大な装置の前に立っていた。
高さは優に5メートルを超え、まるで古代神殿の柱のような圧倒的な存在感を放っている。表面は銀色に輝く金属で覆われ、無数の青い光の線が複雑な幾何学模様を描きながら装置全体を這っている。中央部には大きな球体があり、その内部で何かが回転しているのが見える。
装置から発せられる低い振動音が、胸の奥まで響いてくる。これが時間遡行装置。SF映画でしか見たことのないものが、目の前にある。
「これが時空転送装置だ」
ユキトは装置に手を触れながら説明した。その瞬間、装置全体が反応し、光の線がより鮮やかに輝いた。
「この装置を使って、君を2025年4月15日の東京に送る」
「2025年...20年前の世界に」
かけるは装置を見上げた。この巨大な機械が、本当に時間を遡らせることができるのか。まだ信じられない気持ちもあるが、ここまで来てしまったら、もう後戻りはできない。
「転送に際して、いくつか重要なことを伝えておく」
ユキトは真剣な表情で続けた。
「まず、君の身体は25歳の状態に若返る。完全に健康で、体力も知力も最高の状態だ」
「25歳に...」
かけるは自分の手を見た。40歳のやつれた手が、どんな風に変わるのだろう。
「次に、身分と資金について」
ユキトが懐から小さな袋を取り出した。
「完璧に偽造された身分証明書、銀行カード、そして初期資金として現金100万円を用意してある。銀行口座には1億円が既に入金されている」
「1億円?そんな大金...」
「3,000万人を救うプロジェクトだ。これくらいの資金がなければ始まらない」
確かにその通りだった。地下シェルターを建設するには、莫大な資金が必要になる。
「スマートフォンには『オルデン・プロジェクト』という専用アプリが入っている。これは未来のデータベースへの限定的なアクセスを提供する」
「未来のデータベース?」
「2025年時点で未発見の鉱脈位置、重要人物の連絡先、そして隕石『オルデン』に関する情報など。ただし、情報は断片的で、使用回数にも制限がある」
ユキトは一歩かけるに近づき、手首のコンプレッサーを軽く叩くように促した。
「そして君には、既に説明したコンプレッサーがある。これが君の最大の武器だ」
ユキトの表情が、より深刻になった。
「そして最も重要なこと。歴史を大きく変えすぎてはならない」
「変えすぎる?」
「そうだ。時空には自然な流れがある。それを急激に変えると、予期せぬ歪みが生じる危険性がある。必要最小限の変更で、最大の効果を狙わなければならない」
かけるは頷いた。何でも思うままにやっていいわけではない。慎重に、計画的に行動する必要がある。
装置の光がさらに強くなり、転送の準備が整いつつあることがわかった。
「時間がない」
ユキトの表情に、深い感情が浮かんだ。
「最後に、最も重要なことを伝えておく」
ユキトの表情が一変した。これまでとは違う、深い悲しみと決意が混在した表情。
「君の父親、神崎忠一について、もう少し詳しく話そう」
かけるの心臓が跳ね上がった。前回聞いた話の続きがあるのか。
「君の父親は単に時空技術の研究者だったわけではない。彼は君と同じように、未来からの使者と接触していた。そして、君が今背負おうとしている使命と、まったく同じ使命を背負っていたのだ」
「同じ使命?父さんも...」
「そうだ。神崎忠一は1995年に未来からの警告を受けた。しかし、当時の技術では限界があった。コンプレッサーもまだ完成していなかった。彼は準備期間として50年を与えられたが、その途中で...」
ユキトは言葉を詰まらせた。
「隕石衝突の混乱の中で、彼は行方不明になった。最後まで、より多くの人を救おうとして」
かけるの胸に、複雑な感情が渦巻いた。父親もまた、同じ重荷を背負っていたのか。
「今回の使命は、君の父親が果たせなかった計画の完成なのだ。技術も進歩し、コンプレッサーも完成した。君には、父親にはなかった武器がある」
装置の音が高くなり、転送が間近に迫っていることを告げていた。
「父さんは...俺のことを知ってたんですか?未来のことを?」
かけるが最後の質問をしようとした瞬間、装置が最大出力に達した。
激しい光と轟音が空間を支配する。かけるの身体が光に包まれ、意識が遠のいていく。
しかし、完全に意識を失う前に、鮮明な映像がかけるの脳裏に流れ込んできた。
江戸時代。地下深くの巨大な空間で、数十人の職人たちが汗を流し、何かを懸命に建設している。彼らが使っているのは、明らかに現代のコンプレッサーとそっくりな、古めかしい装置だった。建設現場の中央には、「神崎」と力強く刻まれた大きな石碑が静かに立っている。職人たちの表情は真剣で、まるで人類の未来をかけた作業をしているかのようだった。
明治時代。洋装の男性が、西洋の科学者たちと熱心に何かを討議している。その男性の顔は、理知的ながらも、確かにかけるの面影があった。手にしているのは、一枚の古びた設計図。そこに描かれているのは、紛れもなくコンプレッサーの原型らしき機械の複雑な図面だった。
大正時代。関東大震災の瓦礫が山と積まれた街で、一人の男性が泥まみれになりながら生存者の救助に当たっている。その男性の疲弊した顔にも、神崎家の血筋を示すような、諦めない眼差しが宿っていた。
昭和時代。戦時中の薄暗い地下施設で、スーツ姿の男性が、政府高官たちを前に何かを必死に訴えている。「未来からの警告です。必ず備えなければ、人類は滅亡します」。その男性の、悲痛な叫びのような声は、父・忠一の切迫した声に酷似していた。
そして現代。コンビニでアルバイトをする自分の姿。何も知らずに、平凡に生きている。しかし、血管の中には、数百年にわたる壮大な計画の記憶が流れている。
すべてが繋がっている。
神崎家の使命は、単なる隕石対策ではない。もっと大きな、もっと古い、人類の存続をかけた長期計画の一部なのだ。
父も、祖父も、その前の先祖たちも、みんな同じ使命を背負っていた。そして今、その重責が自分に回ってきたのだ。
光がピークに達し、かけるの意識は完全に途切れた。
最後に聞こえたのは、ユキトの声だった。
「頑張れ、翔。君は一人じゃない。神崎家の歴史が、君と共にある」
その声は、確かに父親の声に似ていた。いや、もしかしたら...
すべてが白い光に包まれ、かけるの意識は時の流れの中に溶けていった。
激流のような光の中で、かけるは感じていた。これから始まる20年間は、ただの時間ではない。神崎家の宿命を果たすための、最後の機会なのだと。
人類の運命が、今、動き始めた。
《続く》