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1-3:選ばれた理由と使命


 白い光の只中で、かけるの意識は不思議と途切れなかった。


 気がつくと、純白の空間に立っていた。


 床も壁も天井も、すべてが真っ白で境界が見えない。まるで無限に広がる白い部屋のようだった。足元には確かに固い感触があるのに、どこまでが床でどこからが空間なのかわからない。


 不思議なことに、この空間には音がなかった。完全な無音というわけではない。むしろ、すべての音が遠くから聞こえてくるような、水の中にいるような感覚。自分の声を出してみても、それがどこか遠い場所から響いてくるように感じられた。


 気温も奇妙だった。暑くも寒くもない。まるで空気そのものが自分の体温と完全に同化しているかのよう。肌に触れる感覚すら曖昧で、自分の身体の境界線がぼやけていくような錯覚を覚える。


 そして、時間の流れが通常と異なっていることに気づいた。心臓の鼓動が異様にゆっくりと感じられ、一拍打つまでに永遠とも思える時間が流れる。呼吸も同じだった。息を吸い込む動作が、まるでスローモーションのように引き延ばされている。しかし不思議なことに、苦しさは感じない。まるで時間そのものが引き延ばされているかのようだった。


「ここは...どこですか?」


 かけるの声が、白い空間に響く。エコーもなく、しかし妙にクリアに聞こえる。


「時空の狭間だ」


 ユキトが現れた。先ほどと同じ未来的な白衣姿で、しかしこの純白の空間では、なぜか彼の存在がより鮮明に感じられる。


「私が作り出した特殊な空間。ここでは時間の流れが異なり、じっくりと話ができる」


「時空の狭間...」


 SF小説でしか聞いたことのない言葉だった。しかし、この異様な空間にいると、それが現実だと受け入れざるを得ない。


「君にはまだ説明していないことがある。なぜ君が選ばれたのか、その詳細を話そう」


 ユキトはかけるの前に立った。その表情は、先ほどよりもさらに真剣だった。


「未来の記録を詳細に調査した結果、君が最適任者だった理由は4つある」


 ユキトは指を立てて説明を始めた。


「1つ目──最後まで希望を捨てなかった記録」


 空中に、ホログラムが浮かび上がった。そこには、地下避難施設での光景が映っている。しかし、今のかけるが知る施設とは少し違っていた。


挿絵(By みてみん)


 映像の中では、さらに状況が悪化していた。食料は完全に底をつき、水も雨水を集めるしかない状況。多くの人が諦めの表情で壁にもたれかかっている。


 そんな中で、一人の男性が動き回っていた。50歳のかける自身だった。


「これは君の未来の記録だ。食料が底をついても、君は他の人に自分の分を分け与えようとした」


 映像の中のかけるは、自分の僅かな食料を、子供や老人に配っていた。自分はげっそりとやつれているのに、笑顔で「大丈夫、きっと何とかなる」と言い続けている。


「薬がなくても、病気の人を看病した」


 次の映像では、かけるが発熱した老人の看病をしていた。手ぬぐいを濡らして額に当て、水を少しずつ飲ませている。


「そして最期の時まで、『きっと何とかなる』と言い続けていた」


 最後の映像は、施設が完全に機能停止した状況だった。電気も水もなく、わずかな人だけが残っている。それでも、かけるは諦めていなかった。


「みんな、もう少しだ。きっと救援が来る。俺たちは生き残るんだ」


 映像の中のかけるが、力強く宣言していた。


「君以外の多くの生存者は、絶望に支配され、最終的には希望を失った。しかし君だけは、最後の最後まで諦めなかった」


 かけるは映像を見つめていた。自分がそんな立派な行動を取るとは思えない。


「俺は...そんな立派な人間じゃありません」


「それが2つ目の理由だ──平凡さという強み」


 ユキトは優しく微笑んだ。


「君には特別な能力はない。天才でもなければ、超人的な体力があるわけでもない。しかし、だからこそ普通の人々の気持ちを理解できる」


 新しいホログラムが現れた。今度は様々な人々の顔が映し出されている。


「コンビニでアルバイトをしていた君は、様々な客と接した。サラリーマン、主婦、学生、お年寄り。君は彼らの日常の悩みや喜びを肌で感じていた」


 映像には、かけるがコンビニで働く様子が映っている。


 深夜、疲れ切った顔で弁当を買いに来るサラリーマン。かけるは「お疲れ様です」と声をかけ、温かいお茶をサービスで添えている。


 早朝、子供の朝食を買いに急ぐ母親。かけるは素早く会計を済ませ、「お子さんによろしく」と笑顔で送り出す。


 試験勉強で徹夜明けの学生。かけるは栄養ドリンクの場所を教え、「頑張ってください」と励ます。


 杖をついてゆっくり歩く老人。かけるは商品を取るのを手伝い、重い荷物を入口まで運んでいる。


「見ろ、君は誰に対しても同じように接している。地位や年齢に関係なく、一人一人の人間として向き合っている。これこそが、3,000万人を救うプロジェクトに不可欠な資質なのだ」


 映像の中のかけるは、確かに特別なことはしていない。ただ、相手の立場に立って、必要なことをしているだけ。しかし、それができる人間は意外と少ない。


「エリートには庶民の生活がわからない。天才には凡人の悩みが理解できない。しかし君にはわかる。だからこそ、本当に人々が必要とするシェルターを作ることができる」


 かけるは少し理解できた気がした。確かに、偉い人や天才には、庶民の感覚はわからないかもしれない。


「3つ目──諦めない精神力」


 ユキトの表情が、より真剣になった。


「君の人生を振り返ってみろ。大学中退、職を転々、『どうせ俺なんて』が口癖だった。しかし、どんなに挫折しても、君は生きることを諦めなかった」


 新しい映像が現れた。かけるの人生の様々な場面が映し出される。


 大学を中退した時、就職に失敗した時、恋人に振られた時。どの場面でも、かけるは落ち込んでいるが、完全に諦めてはいない。


「毎回『今度こそ』と思って立ち上がった。結果はうまくいかなかったかもしれない。しかし、その『諦めない心』こそが、20年間という長期プロジェクトを完遂するために必要な資質なのだ」


 かけるは自分の人生を客観視していた。確かに、何度も失敗したが、その度に立ち直ろうとしていた。


「でも、それでも俺なんかが...もっと優秀な人が...」


「それが4つ目の理由に関わる」


 ユキトは一瞬言葉を詰まらせた。その表情に、深い感情が浮かんだ。


「隠された血統」


「血統?」


「君の父親について、君はどこまで知っている?」


 かけるは父親のことを思い出した。


「普通のサラリーマンだったと思います。でも、確かに謎が多かった。仕事の話をあまりしたがらず、時々古い文献を読んでいて...」


 かけるの記憶の中で、父親の姿が鮮明に蘇った。書斎で難しい漢文の書物を読んでいる父。その横で「こんな難しい本、誰が読むんだよ」と子供心に思っていた自分。しかし父親の表情は、まるで使命を帯びた人のように真剣だった。


「『神崎』という家系には特別な意味があると言っていたな」


 ユキトがかけるの記憶を正確に言い当てたので、かけるは驚いた。あの時、父は確かにこんなことを言っていた。「いつかわかる時が来る。お前には特別な使命があるかもしれない」と。子供のかけるには意味がわからなかったが、今なら理解できる。


「そうです。でも、子供心には胡散臭い話だと思ってました」


「それは胡散臭い話ではない。事実だ」


 ユキトは新しいホログラムを表示した。そこには、古い書物や石碑のような映像が映っている。


 ユキトの表情が一変した。深い敬意と、働かない悲しみが混ざった表情。


「『神崎』の家系は、古代から時空技術に関わってきた一族だ。千年以上の長きにわたって、人類の危機を未然に防ぐ使命を帯びてきた」


 新しいホログラムが現れた。そこには、古代から続く連線した時代の映像が次々と流れていく。


 平安時代。陰陽師のような装束をした男性が、奇妙な儀式を行っている。その顔は、かけるにどこか似ていた。


 江戸時代。十二単で武士の衣装をした男性が、地下深くで巨大な構造物を建設している。その男性の顔も、かけるに良く似ていた。


 明治時代。洋服を着た男性が、西洋の科学者たちと交流している。手に持っているのは、コンプレッサーの原型らしき装置。


 昭和時代。スーツ姿の男性が、政府の会議室で何かを必死に説明している。その男性こそが、かけるの父親だった。


「君の父親、神崎忠一は、実際には政府の機密機関で時空技術の研究を行っていた。未来からの警告を受け、隘石衝突に備えていたのだ」


「時空技術?父さんが?」


「そうだ。そして今回の使命は、単純な救済計画ではない。君の血統には、人類を救う『運命』が刻まれている。すべては繋がっている...古代から未来まで」


 ホログラムの最後に映し出されたのは、江戸時代の地下構造物だった。しかしその規模は、かけるが想像していたものをはるかに超えていた。


「これは江戸時代に建設された、人類史上初の地下シェルターだ。当時の神崎家当主が、未来からの警告を受けて建設した。その時に使用された技術こそが、現在のコンプレッサーの原型だ」


 構造物には、現代のコンプレッサーと同じような技術で作られた装置が映っている。


「同じ技術...」


「時空技術は、君の家系が代々継承してきた秘術だ。しかし、その知識は失われつつある。君は、その技術を復活させる最後の希望なのだ」


 かけるは頭が混乱していた。自分の家系にそんな秘密があったなんて。


「でも、俺はそんな技術、何も知らないし...」


「血は覚えている。君がコンプレッサーを使う時、直感的に操作方法がわかるだろう。それは君の血に刻まれた記憶だ」


 ユキトは、懐から黒い金属製の装置を取り出した。手首に装着する時計のような形状をしている。



 その時、かけるの心の中で様々な感情が渦巻いていた。


「なぜ俺が?もっと優秀な人がいるはず」


 これが最初の疑念だった。自分のような平凡な人間に、そんな重大な使命を任せていいのか。


「20年で3,000万人を救うなんて不可能だ」


 次に恐怖が襲った。そんな壮大なプロジェクト、本当に実現できるのか。


「でも、やらなければみんな死ぬんだ」


 しかし、責任感が芽生えてきた。田村さんのような献身的な人たちも、このまま行けば死んでしまう。


「平凡な俺だからこそ、普通の人の気持ちがわかる。やってみよう」


 最終的に、決意が固まった。自分の平凡さが、むしろ強みになるかもしれない。


「君の心境の変化が、手に取るようにわかる」


 ユキトは温かく微笑んだ。


「その気持ちがあれば、必ず成功する」


「でも、本当に俺にできるでしょうか?」


「できる。なぜなら君は一人ではないからだ」


 ユキトは新しいホログラムを表示した。そこには、数人の人物が映し出されている。


「優秀な建築家、環境技術者、政府の理解者。彼らがキーパーソンだ。君が彼らと出会い、力を合わせれば、必ず成功する」


 コンプレッサーの技術があれば、従来なら数年かかる地下シェルター建設が数ヶ月で完了する。しかし、使用には制限があり、使いすぎると体に負担がかかる。同時に、時空技術の使用にはかけるの血統が不可欠だった。


 映像には、一人の女性が映っていた。知的で美しい顔立ちをしている。


「相原レナ。建築工学の新進気鋭の研究者だ。彼女の協力が不可欠だ」


 次に映ったのは、中年の男性だった。


「風見遼。内閣府の防災担当官僚。政府との橋渡し役となる」


 さらに、他の専門家たちの顔が次々と映し出された。


「彼らと協力すれば、君の夢は現実になる」


 かけるは希望を感じ始めていた。一人では無理でも、仲間がいれば何とかなるかもしれない。


「わかりました。やってみます」


 かけるは装置を手に取った。意外に重厚感があり、表面には複雑な模様が刻まれている。触れると、かすかに温かい。手に取った瞬間、何かが血管を通って心臓の奥まで流れ込むような、不思議な感覚を覚えた。まるで、父親から父親へ、長い時をかけて受け継がれてきた何かが、ついに自分の手に渡ったような。


「それでいい」


 ユキトは深い安堵と、かすかな誇りを混ぜた表情を浮かべた。


「君になら、きっとできる。なぜなら君は、神崎家の継承者であり、同時に人類最後の希望でもあるからだ」


 その時、白い空間が微かに振動し始めた。光の強度が微細に変化し、時間の流れも通常に戻りつつある。転送の準備が始まったようだった。


「時間がない。君を過去に送ろう」


 ユキトの表情が、より深刻になった。


「最後に重要なことを伝えておく。歴史を大きく変えすぎると、時空に歪みが生じる危険性がある」


「時空の歪み?」


「そうだ。必要最小限の変更で、最大の効果を狙わなければならない。やりすぎは禁物だ」


 それは重要な制約だった。何でもやっていいわけではない。


「わかりました。慎重に行動します」


 ユキトは最後に、最も重要な情報を告げた。


「君の父親は時空を操る者だった。今回の使命は単純な救済計画ではない。君の血統には、時空を超えた遠大な使命が実は刻まれている。すべては繋がっている...古代から未来まで、神崎家の運命は人類の運命と一体なのだ」


 ユキトの最後の言葉が、かけるの心に深く刻まれた。その言葉には、単なる使命を超えた、遠大な歴史の重みがあった。


「父親って?俺の父親は...」


 質問しようとした瞬間、白い空間が光に包まれた。


 転送が始まった。激しい光と轟音の中、意識が遠のいていく。


 意識を失う寸前、かけるの脳裏に鮮明な映像が流れ込んだ。


 江戸時代の地下深く。火明かりの中で、一人の男性が巨大な石碑に文字を刻んでいる。その石碑には、「神崎」の文字が深く刻まれていた。男性の面影は、かけるに直系の先祖と思われるほどよく似ている。


 明治時代の研究室。洋服を着た男性が、コンプレッサーの原型を手に、必死に何かを記録している。その顔にも、かけるの面影があった。


 昭和時代の地下施設。スーツ姿の男性が、政府の高官たちに何かを必死に訴えている。「未来からの警告です。必ず備えなければ、人類は滅亡します」。その男性こそが、かけるの父、神崎忠一だった。


 そして現代。コンビニでアルバイトをするかけるの姿。平凡な日常の中で、何も知らずに生きている。しかし、その血管には、数百年にわたる長大な計画の記憶が刻まれていたのだ。


 すべてが繋がっている...


 しかし、記憶の奥で何かが蠢いていた。父親の顔が浮かんだ瞬間、鋭い痛みが頭を貫いた。


 忘れさせられた記憶があるのか?


 なぜユキトは、父親について言いかけて止めたのか?


 神崎家に隠された本当の秘密とは何なのか?


 白い光の中で、かけるは確信した。


 これは始まりに過ぎない。


 そして見えない敵が、すでに動き始めている。


《続く》

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