1-2:謎の来訪者
時計の音が止んだ瞬間、世界が変わった。
施設全体が、まばゆい光に包まれる。3ヶ月ぶりの明るさ。すべての電灯が一斉に点灯し、壊れているはずの機器が動き出した。
そして、音が消えた。
完全な静寂。機械音、咳き込み、換気扇、自分の声。すべての音が世界から消失した。
他の避難者たちが時を止めたように静止している。呼吸も、瞬きも、すべてが凍りついている。
かけるだけが動ける。
『神崎翔』
音のない世界で、声だけが響いた。男性の声。どこか懐かしい響き。
『こちらへ』
立ち入り禁止の扉が、静かに開いている。厳重な施錠も、警報システムも、すべてが無力化されている。
恐る恐る奥へ進む。通路の先に、一人の男性が立っていた。
30代前半。未来的な白衣。整った顔立ちだが、その瞳には古い魂を感じさせる深さがある。この荒廃した世界で、ただ一人だけが健康そのものに見える。
「君が神崎翔だね」
穏やかな声。音のない世界で、なぜかその声だけが聞こえる。
「あなたは...」
「私の名前はユキト。君を迎えに来た」
ユキトと名乗る男性の表情に、どこか家族的な愛情が見える。
「迎えに?」
「私は2080年から来た。35年後の未来から」
かけるの思考が停止した。
「2080年...」
「信じられないのも無理はない。だが、これを見てくれ」
ユキトが手をかざすと、空中にホログラムが浮かんだ。
最初の映像:高層ビルと空飛ぶ車の未来都市。眩しいほどに美しい世界。
「これが2070年代の映像だ。技術の進歩により、人類は素晴らしい文明を築いていた」
「すごい...」
「そして、これが君たちの未来だ」
映像が切り替わる。
荒廃した大地。灰色の空。凍結した海。わずかな人々が地下の狭い空間で身を寄せ合っている。暗く、希望のない世界。
そして、映像の中に年老いた自分の姿があった。
「もし、あの時...もっと早く気づいていれば...」
老いたかけるが呟いている。深い後悔に満ちた表情。
「35年後の君だ。2080年時点での生存者は全世界で500万人以下。人類はほぼ絶滅状態にある」
70億から500万。99%以上の死滅。
「だが、我々は諦めなかった。時間遡行技術の開発に成功し、過去に戻って歴史を変えることを決断した」
ユキトは一歩近づく。
「神崎翔、君を選んだ」
「俺を?なんで俺なんかを...」
「君は最後まで希望を捨てなかった。田村さんが倒れた時、君は彼女の最後の薬を他の患者に渡した。ユミちゃんが熱を出した時、君は自分の毛布を譲った。食料が底をついても、君は他の人に分け与えようとした」
かけるの胸が痛んだ。それでも救えなかった命たち。
「俺は何も救えなかった...」
「それが違う。君の行動は記録されている。未来の人々は君を『最後の希望』と呼んでいる」
ユキトは懐から黒い金属製の装置を取り出した。手首に装着する時計のような形状。
「これは『コンプレッサー』。物質の分子構造を操作し、体積を圧縮・展開できる装置だ。この技術で地下シェルターの建設効率が飛躍的に向上する」
「俺にそんなことができるのか...」
「できる。なぜなら君は諦めない。それが君の最大の武器だ」
ユキトの表情に深い感情が浮かんだ。まるで家族を見つめるような愛情と悲しみ。
「ただし、条件がある」
「条件?」
「20年で3,000万人しか救えない。全員は救えない。それが現実だ」
かけるの心臓が止まりそうになった。
「残りの9,000万人は...」
「君の選択次第だ。何もしなければ99.9%が死ぬ。行動すれば3,000万人の命を救える」
沈黙。重い、重い沈黙。
田村さんの最後の言葉が蘇る。「子供たちを頼みます」。
ユミちゃんの笑顔が脳裏に浮かぶ。
父親の謎めいた言葉。「神崎の血筋には特別な使命がある」。
「やる」
かけるの声が響いた。
「やります。俺にできるかわからないけど、やってみる」
「なぜ?」
「田村さんが『子供たちを頼みます』って言ったから。ユミちゃんが『お兄ちゃん、みんなで一緒に生きようね』って言ったから。俺は彼女らを救えなかった。でも、他の誰かなら救える」
ユキトの目に涙が浮かんだ。
「君なら、きっとできる」
部屋の奥に巨大な装置が現れた。青い光を放つタイムマシン。
「転送先は2025年4月15日の東京。身体は25歳の状態に若返る。初期資金と身分証明書は用意してある」
「なぜ、あなたが俺を選んだんですか?」
ユキトは一瞬躊躇した。そして、父親のような優しい目で答えた。
「それは...君の父親について、いずれ知ることになる。今回の使命は単純な救済計画ではない。古代から続く、神崎家の宿命なのだ」
転送装置の光が頂点に達した。
そして、すべてが光に包まれた。
《続く》