巡る地球儀 18
「気分はどうだ?」
「……クレイグ……」
ウィルが目をさますと、クレイグの顔が目に入った。その顔には少し疲れが滲んで見える。
「……俺は、どれだけ寝てた?」
「たった1日だ。大した時間じゃない」
「……クレイグ、ごめんな」
ウィルがそっと手を差し伸べる。そしてその手は、クレイグの頬に触れた。だが、その感覚はない。
「……」
「まだ薬で身体が麻痺してるんだろう。朝になれば戻るよ」
「……そっか……今、俺のウイルス濃度は……?」
「知らなくていい」
「知りたい」
クレイグは首を振る。ウィルは知らなくていいとは思えなかった。クレイグの白衣の胸ポケットには、いつも濃度測定器が入っているのを知っている。
ウィルは伸ばした感覚のない手をクレイグの胸ポケットに差し込んだ。
「おいウィル」
「……なぁクレイグ」
「ん?」
「お前は、なんで感染しない?」
ウィルのその問いに、クレイグが息を飲んだのがわかった。ウィルもわかっていた、この質問だけはしてはいけないと。だが、麻痺したままの脳が、その答えを知れという。
「……たまたまだ」
「嘘付け。お前はいつも、濃度による変異の過程は教えてくれたけど、濃度によって感染力が強くなることは教えてくれなかった。アリシアさんやレイフがあんな防ウイルス着を着ていて、お前がマスクもつけずここにいられるのは、おかしいよ」
まだはっきりとは言葉を発することはできなかったが、ゆっくりとした口調でそこまで言い切った。これだけで息切れがする。
「別に悪いことはしてない。心配するな」
「するよ。世間的に悪いことじゃなくても、体に悪い事なんていくらでもある」
クレイグが立ち上がった。動けないウィルを置いて、この部屋を出ていくつもりだろう。
「いいから、お前はまだ寝てろ。明日9時に起こしてやるから」
病室にかかっている時計は2時を指していた。
「待て」
「じゃあな、おやすみ」
「クレイグ」
ウィルは感覚のない手で、自分の腕に繋がれている点滴を握った。
「お前が部屋を出たら、この点滴を引っこ抜く」
「ウィル、やめろ」
クレイグのあまりに鋭い声に、ウィルの方が怯んだ。だが、ここまできたならもう虚勢で立ち向かうしかない。
「本気だ。戻ってこい。そしてさっきの質問に、ちゃんと答えろ」
ゆっくりとしか動かない唇に苛立ちを覚えながらも、ウィルはできるだけ冷静に言った。
クレイグは何も答えない。ただ鋭い表情でこちらを見ているだけ。
「早く」
沈黙が耳に痛くて、ウィルはわざと少し点滴を引っ張った。クレイグが顔色を変えた。
「ウィル! ……お前な、……ふざけるのもいい加減にしろ……!」
ウィルはこれほどまでに怒りを露わにしたクレイグを見たことがなかった。それに気圧され、点滴を手放す。
「……治験薬だ。自分で作ったものを飲んだ」
次はウィルが顔色を変える番だった。自ら死の危険を冒したというのか。
「そしたらたまたま、体内に抗ウイルス体が出来たんだよ。それだけだ」
ウィルが聞きたい答えは、何も結局もらえずに、クレイグはそれだけ言って部屋を出て行った。
「こんな状況でも仕事したいだなんてお前はどうかしてるよ」
「アリシアさんにたくさん迷惑かけたからな」
そう言いながらもウィルはパソコンから顔をあげない。
「…お前な…全く」
クレイグは大きなため息をついた。
あの後、ウィルの恐るべき回復力であの日から4日で寝たきりから歩けるようになった。正直クレイグにとっても全く想定外のことだった。そしていまウィルは、病室にノートパソコンを持って来て仕事をしている。
「いや、でも本当にお前には感謝してるよ」
「こんなとこにデスク運ばされて、感謝されなきゃ報われねえよ」
そういうとウィルが盛大に笑った。クレイグは大げさに首を振って見せる。
ウィルの病室にわざわざデスクを運び込んだのは昨日のことだった。それまでは付きっきりだったが、同じ部屋にいればいつもベッドサイドにいなくてもいい程度には回復した。
「でも俺と仕事出来て捗るだろ?」
「いい実験体がいるからな」
「この体が治るならどれだけでも協力するよ」
ウィルは軽口を叩きながらも素早いタッチタイピングで仕事をしている。どんな仕事も器用にこなすところをみていると、やはり無理をしてトレーニングをするようなことをしなくても、仕事には困らないように見える。
クレイグは目頭が痛くなって目をぎゅっと瞑り指で押さえた。
クレイグのここ数日の仕事量は常人の量を超えていた。ウィルの体調管理に時間を取られてそれに付随した新薬の研究やそのレポート作成がうまく進まず、通常業務も重なって徹夜続きだった。最優先にしてウィルの体調管理と新薬の研究を進めているが、それでもタスクは溜まっていく。
「クレイグ?疲れてる?」
目を閉じると余計に疲れを実感してそのまま少し動きが止まってしまっていたようだ。
あの日のことは今日まで思い出さないようにしていた。これ以上ウィルに知られるわけにはいかない。
「おい、クレイグ?」
ウィルがベッドから抜けて駆け寄ってきた。
「いや、なんてことない。それよりお前、いきなり立つな。まだ絶対安静だ。ベッドの中で座って作業するっていうから仕事するの許したんだぞ」
「わかってるけど…さすがにお前も休んだ方がいい。俺のベッドを貸すよ。もう一回立っちまったし、いま寝ろっていっても説得力ないぜ」
ウィルがテーブルに手をついてクレイグの説得にかかった。ウィルは引けないことに関しては誰よりも頑固だ。
「ダメだ、俺が寝ている間にお前に何かあったらどうする」
「自分で安定剤くらい打つよ」
「何かあってからじゃ遅い」
「もう、…あのときみたいに無茶はしない」
そういったときのウィルの顔と声が、いつもより必死だった。
「あのときは本当にごめん。お前が何か事件に巻き込まれるんじゃないかって心配だったんだ。…だから、点滴を盾にして…」
「ウィル、わかった。もういい、俺も悪かったよ」
「…じゃあ、休んでくれる?」
「…安定剤打つ時間になったら起こせ。あと、なんか体に異常を感じた時も」
きっとこれ以上拒否しても言うことは聞かないだろう。それに、もう身体が限界を通り越している。
「…必ずだ。約束しろ。いいな?」
「ああ」
そういってクレイグがベッドに向かうと、ウィルは代わりにクレイグの椅子に座った。
「…お前そこでやるのか?」
「そうだけど」
「ダメだ、発作があったときベッドの上のがいい」
「窮屈だろ?」
「お前がひっくり返って頭打つよりずっといい」
そういうとウィルは渋々といった様子でこちらへ戻ってきた。
「全く、レイフに誤解されたらどうするんだ」
「心配すんな、ここは隊長には見えない」
「紛らわしい言い方するな。別にやましいことじゃない。それに互いにそういう対象じゃないんだ」
クレイグはムキになるウィルに笑いながら身体を横たえた。ベッドに身体が溶け出していくような感覚。疲労がたまりすぎて身体がもうベッドから離れるのを許さないようだ。
「おやすみ」
「ああ」
クレイグはウィルに背を向けて身体を丸めて眠りについた。




