巡る地球儀 17
「ウィル?」
「……アリシアさん……」
酸素マスクを介したウィルの声が鼓膜にしみた。
「あなたがそんな格好をしてるということは、……俺はいま、かなりイカれてるんですね」
ウィルはそういうと自嘲の笑いを漏らした。アリシアの胸が締め付けられる。クレイグに詳しい事情を聞いたわけではなかったが、おおよそういうことなのだろう。さっきは逆側から見ていたから気がつかなかったが、右腕にはひどい傷がついている。
粘膜から感染しないようにゴーグルをつけているから少し部屋が暗く見えた。
「……うんん、……あなたと話せて少しホッとしたわ」
「……すみません、ご迷惑をかけて」
「迷惑なんかじゃないわ…あなたが、どうにかなっちゃったら、どうしようかと…」
そこで思わず涙が溢れた。ウィルが廊下でうずくまっているのをみたとき、一瞬最悪の事態を想像した。その後のクレイグの言葉にも惑わされた。万が一の可能性を考えては頭の中で消しての繰り返し。ウィルが部隊からこちらへ配属された理由は知っていたつもりだった。一歩間違えたら殉死していたかと知れないという事故に巻き込まれその後遺症のためだと。でも、それ以上のことは知らなかったし、普段ウィルも後遺症の症状をみせることがなかったから忘れていた。上司である自分にはクレイグの言う通り、知る義務があるのだろう。それでも、知ることが怖い。
「アリシアさん……泣かないでください」
そう言って、ウィルがアリシアの手を柔らかく握った。アリシアもそれを、握り返す。
「あなたには、笑っていて欲しい」
その一言一言がアリシアの涙腺を刺激していることに、この男は気付かないのだろうか。アリシアはそのゴーグルのせいで涙を拭うことも出来ず、ただぽろぽろと涙を落とした。
「なんて言えばあなたが笑ってくれるのかわからないなんて、……まだまだ勉強不足ですね、すみません」
「……これから、まだ時間はあるんだから、……私のこと、もっと知って」
アリシアの口から自然にこぼれたのは、いかにもな欲求だった。そして、ウィルが頷く。
「そうですね、……まずはあなたにそんな格好させなくていいように、……はやく治さなくちゃな」
アリシアは何度も頷いた。そしてその手をぎゅっともう一度強く握り返す。
「本当よ、はやく元気な顔を見せて」
そういったのと同時に、重いドアが開く音がした。
「ウィル!!」
レイフの痛切な声が、マスク越しにも聞こえてきた。
「ああ……意識はあるんだな……あぁ……ウィル……」
握られていた手は自然と解放されて、その手が次はレイフの両手に包まれる。レイフとは公私共に仲良くしていたよきパートナーだときく。アリシアはもう少しウィルのそばにいたかったが、レイフのその様子を見るとここは退いた方が良さそうだ。クレイグにも詳しい事情を聞かなくてはならない。アリシアは二人を置いて部屋を出た。
「少しは安心出来ましたか?」
「ええ」
「じゃあ、少しお時間頂きましょう」
クレイグはアリシアの前を歩いて小さな会議室へ誘導した。ドアを開けて中へ通される。
「もうあの部屋へは行きませんか?」
「……ええ」
アリシアは答える。
若き天才と言われたクレイグだが、どこか心の奥に深い闇を持ち合わせているようだ。医療チームとの打ち合わせや、ウィルと話している様子を見ると明るく、ユーモアのある青年だという印象しかなかったが、いまのクレイグはそれとは全く別物。
ひとまずウィルの一件が収まったからか、少しばかりそれが気になっている。
「それなら、そのマスクやらは全部廃棄するのでこちらへ来てください」
クレイグに案内された先には、自分と同じように防ウイルス着を纏ったエドモンドがいた。
「エドモンド、あとは頼む。俺は用意してくるから」
「わかりました」
アリシアをエドモンドに任せるとそのままふらりとクレイグは扉の外へ出て行ってしまった。
「ウィルさんとは、お話されましたか?」
「ええ……」
「あ、クレイグさんのこと、気になってます?」
「いえ、そんなんじゃ……」
エドモンドの穏やかな声に、心が見透かされたのがわかった。
「いいんですよ。クレイグさんは変わってますから。ウィルさんのことになると特に」
「そうなんですか……」
「付き合いの長い旧友だと聞いてます。だけどたぶん、友だちよりもずっと、互いに尊い存在なんじゃないでしょうか」
エドモンドの言葉は言い得て妙だった。確かに二人の関係は、特別な感情に支配されているように見える。
「あくまでも俺の目にはそう映るって、だけですけどね。本当のところはあの2人にしかわかりませんから」
アリシアは曖昧に頷いた。なんとも言葉にし得ない感情が胸の中に渦巻く。
エドモンドはアリシアから防ウイルス着やマスクを脱がせるとそれをそのまま抗ウイルス用のダストボックスに入れた。そしてアリシアを奥の部屋へ誘導する。
「ここで少し待っていてください。すぐに滅ウイルス薬を散布します」
一人レントゲン室のようなところに入れられ、エドモンドが外に出た。部屋が暗くなり、レーザーが何度かアリシアの頭上を通っていく。
「終わりました。お疲れ様です」
特に何かの薬を散布されたという感覚もないまま、エドモンドに告げられる。
「後はクレイグさんに話を聞いてきてください。あと注射もね。クレイグさんはドアを出て右側に見える、A-7090の部屋にいます。いってらっしゃい」
そういってエドモンドは、アリシアを送り出した。
アリシアは言われた通りA-7090の部屋を三回ノックした。中からクレイグの返事が聞こえる。
「お疲れさまでした。どうぞそこへ」
クレイグに促され、アリシアは席に着いた。目の前に座るクレイグが、なぜか遠く見える。
「さっそく本題に入りますが、あいつはいま体内にt-ウイルスを宿している状態です。正常な人もウイルスと同じ組織を体内には持っていますが、あいつは普段あなたと同じオフィスで仕事をしているときで正常な人の濃度の7〜20倍です。普段ってのは鎮圧剤と安定剤で調整してるときです」
いつも11時にウィルは中抜けをする。それには医療チームからアリシアも許可をするように言付かっていたし、薬を打つためだとも知っていたが、そこまで詳しいことを聞いたのは初めてだった。そもそもいまも、ウィルが体内にウイルスを宿しているなんて知らない。
「さっきあなたにも測ってもらいましたが、これ、つけてみてください。ほら、0.01です。これが正常。ウィルはだいたいいつも0.14〜0.2くらいですね。いまはそれが、0.38だ。いつ変異が出てもおかしくない。……最も、あなたといたときは、もっと数値は高かったでしょうけどね」
そう言われてもアリシアの脳が追いつかない。危険な状態であることはわかっても、そのクレイグの言葉が具体的に何を指していて、ウィルにどういう症状が現れるのかがわからなかった。
「あなたにも抗ウイルス剤を打ちます。腕を出してください」
そういってテーブルに置かれていたボックスから注射器を取り出した。
アリシアは言われるがままに腕を差し出す。
「あの、ウィルは……入院すれば助かるんでしょうか?」
「……事実だけでは、いまはなんとも言えません。ですが、俺が必ず助けます」
クレイグが注射器を刺す。太く見えた針も、クレイグの腕がいいからだろうか、全く痛く感じることはなかった。
「暫くは体が火照ったり、意識が朦朧とする可能性があります。俺の方からバックアップチームには伝えておくので、これから案内する部屋で少し横になって休んでいてください」
クレイグはそういうとすぐに立ち上がった。アリシアは面と向かっていながらそのクレイグの表情に感情がないのがどうにも気になっていた。さっきからただ淡々と事実を述べているだけだ。エドモンドに言われたことも気にかかる。
二人とも沈黙のまま、クレイグのいう部屋まで来た。一人用の病室で、特に変わった点はない。
「暖房はここで調整できますから、寒けりゃご自由にいじってください」
「あ、……ありがとう、ございます……」
「それじゃ、俺はこれで」
クレイグはくるりとアリシアに背を向けた。
「あっ、あの!」
クレイグが部屋を出る瞬間、アリシアは思い切ってクレイグに声をかけた。クレイグは振り返らない。
「……ウィルのこと、ありがとうございました」
いい言葉が出てこなくて、アリシアはなんとか言葉を紡ぐ。こんな言葉が、彼の心の慰めになるかどうかはわからない、いやならないだろう。
「あなただから、ウィルも命を預けられるんだと思います」
やっと思った言葉が出た。だがそれも、虚しく部屋に響くだけ。クレイグは動かない。
「……すみません、差し出がましいですよね」
アリシアは何も言わないクレイグに何故か罪悪感が募って早口にそう言った。そうすれば、クレイグは何も言わずに部屋を出て行けると思った。だがその期待は外れる。
「アリシアさん」
クレイグの低い声が、アリシアの耳に届いた。
「俺がウィルをもし殺してしまったら、……俺のこと殺してくれますか?」
ゆっくりと振り返ったクレイグの目は、ひどく暗い。その視線に射抜かれて背筋が凍る。
「……こ、殺すだなんて……」
「……すみません。忘れてください」
そういうとアリシアの答えも待たず部屋のドアを閉めた。アリシアは何も言えず、ただその場に立ち尽くしていた。




