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巡る地球儀 15

 予想以上に会議が長引いた。時刻はそろそろ14時をさす。昼休みにクレイグに呼ばれていたのには行けなかった。投薬出来なかったのはかなりの痛手だ。安定剤を昨日のトレーニング中に打ったのでその調整のために今朝は鎮圧剤を打たなかったのだ。

 ウィルは長広舌を振るう議長をちらりと見た。この様子だとまだまだ話し足りないといったところだろう。

隣でアリシアは懸命にその話に耳を傾けている。結局のところ議長の言いたいことは、世界平和でもBSOCの使命に関することでも何でもない。自分の成功体験を讃えて欲しい、ただそれだけだ。ウィルは聴講に飽きていた。プレゼンテーションを行っているから部屋は薄暗い。きっと何人かは夢の入り口に立っていることだろう。

「……であるから、是非ともここにいる諸君も、クリーチャーへの対策と、テロの……」

 議長の声が遠ざかる感覚と同時に、鼓動が大きく脈を打った。これに似た感覚をウィルは知っている。やはりまだ、鎮圧剤を打たずして身体は持たないようだ。

 ウィルはデスクに開いたノートにペンを走らせた。そしてアリシアの肩をとんとんとつつく。

「?」

 振り返ったアリシアにノートを指差して見せた。

”すみません、ちょっと腹が痛いので外に出ます。議事録は後で作成します”

 ウィルの簡素で几帳面そうな文字。アリシアはそれを読むとすぐにウィルの顔を見た。確かに顔は真っ青だし苦しいのを堪えているのがわかる。これは本当に、ただの腹痛だろうか。なにより、ウィルが手で抑えているのは心臓だ。

 だがここで二人揃って出て行くのは得策ではない。アリシアは頷いてウィルを部屋から見送った。

(この位置じゃ雑音のが大きいかも)

 ウィルが置いていったボイスレコーダーをより議長の近くに置いて、アリシアもすぐその後を追った。


「ウィル!」

 誰もいない廊下の端でウィルがうずくまっているのが見えて、アリシアは思わず声を上げた。振り返ったウィルがしまった、という顔をしていてアリシアの心は少し罪悪感に埋まる。だがそんなことは今はどうでもよかった。駆け寄ってウィルの肩を支える。

「ウィル、どうしたの!? どこか痛いの!?」

「大丈夫、です……」

 身体がひどく熱い。呼吸も乱れていてとても大丈夫には見えなかった。

「大丈夫なわけないじゃない! はやく医療チームのところへ……!」

 そういったところでウィルが端末を片手にクレイグの名前を呼び出そうとしているのが見えた。

「電話したいの!? 私が代わりに電話するわ」

「すみ、ません……」

ウィルから端末を受け取ると、画面に何度もクレイグ・スプリングフィールドからの着信履歴が残っていた。

「スプリングフィールドさんでいいのね?」

「……はい」

 ウィルが小さく震えながら頷いた。アリシアはそのままクレイグに電話をかける。コールが鳴ると同時にクレイグが出た。

「ウィル!? 今どこにいる!?」

「あ、私バックアップチームのアリシアです、いま彼の容体がおかしくて……!」

「アリシアさん……いまどこですか?」

「大会議室Gの南側の廊下よ」

「わかりました、すぐ行きます。すみませんが、何があってもウィルとそこにいてください、ウィルを動かさないことと、あなたが離れないこと、約束してください」

 そう話しながらクレイグは準備をしているのだろう。声がマイクから遠ざかったり近づいたりする。ウィルはそのまま壁に沿ってしゃがみ込み、壁に持たれて座ってしまった。立っているのもきついのだろう。

「今から1分以内にいきます」

 その声とともに通信が途絶えた。クレイグのウィルを思う気持ちが伝わってくる。

 アリシアはウィルに向き直った。ウィルは目を閉じ大きく肩で呼吸をしている。とても喋れる様子ではない。ウィルが痛々しくみえて、せめてもと思いアリシアは額の汗をハンカチで拭った。ウィルがそれに気付いて薄く目を開ける。

「だめ、ですよ……ハンカチ汚れちゃいます……」

 かすれたその声にアリシアの母性がくすぐられる。こんな事態で高鳴る胸を不謹慎だとアリシアは抑え込んだ。

「そんなことないわ。何も言わないでこのまま楽な体制にしてて。スーツのボタン、外すわよ? 苦しいでしょ」

 ウィルは何も言わず浅く頷いた。アリシアは恐る恐るそのスーツのボタンに手を掛ける。そしてカッターシャツの一番上のボタンまでいつも律儀に締めているから、そのボタンも第二ボタンまで外してやった。これでだいぶ呼吸も楽になったはずだ。

「アリシアさん! ウィルはどうですか!?」

 空気を割くようなクレイグの声が後方から聞こえてきた。アリシアは慌てて立ち上がる。

「ボタンは外してとりあえず楽になるようにしたつもりなんだけど……」

そう話すアリシアに頷きながら、クレイグは駆け寄りウィルの前に膝をついた。

「立てるか? 喋らなくていい。すみませんアリシアさん、こいつを病棟に運びます。俺の背中に乗せるの手伝ってくださいませんか?」

「え、ええ」

 クレイグはウィルより身長も高く程よい筋肉もついている。ウィルなど軽く背負えるだろう。ウィルの前にしゃがみ込むクレイグの背中に、ウィルをなんとか背負わせる。人に世話をかけるのを嫌がるウィルでさえも、殆ど抵抗しないほどぐったりとしていた。全幅の信頼をクレイグに寄せているかもしれないが、いまは体調もあって拒否出来ないのだろう。

「あなたも来てください。あなたはウィルの上司として、知っておく必要があります」

 クレイグはウィルを背負って立ち上がるとアリシアにそう告げた。アリシアは頷いて、ウィルを背負ったまま駆け足で医療チームの病棟に戻るクレイグの背中を追った。


 医療チームの病棟には病院より上等な施設が揃っている。

 アリシアには用途もわからないような複雑な名前のついた部屋ばかりだった。だからいま自分とウィルが連れられた部屋が何をするためのなんという名前の部屋なのかはさっぱりわからない。

 それでもたくさんの器具が並び、ウィルがベッドに寝ていて、たくさんの注射や点滴をクレイグに打たれているのを見ると、ウィルの容体は思わしくないのだろう。

 点滴や注射をいっきに色んな箇所に打つために、邪魔になるからとカッターシャツを脱がされ上裸体で酸素マスクをつけられたウィルを、アリシアは黙って見つめていた。

「アリシアさん、ベックフォード隊長に連絡を取って頂けますか? 緊急だと伝えてください。もし、ないと思いますが訓練を抜けられないといったら万が一もあり得る、と伝えて何が何でも来てもらってください。隊長と合流出来たら、二人で医療チームに戻ってエドモンドという俺の部下をここまで連れてきてください。詳しい事情は話さなくていい。頼みます」

 クレイグは治療を行いつつ、マスクの下からそんな言葉を並べた。万が一とはなんだ、頭が考えることを拒否する。いまはレイフに連絡を取るのが先だろう。言われたことを落ち着いて出来る自信はないが、いまはやるしかない。アリシアは駆け出した。端末でレイフの名前を呼び出す。レイフは思ったよりすぐに出た。

”はい、ベックフォードです”

「今、ウィルの容体が急変して、……医療チームのスプリングフィールドさんに万が一もあるかもしれないからってあなたを呼べって……!」

 きちんとした文章にならなかった。それでもレイフには十分伝わったのだろう。

”すぐに行きます。どこにいますか?”

「あ、ウィルのところに行く前に……医療チームに人を呼びに行かなくちゃならなくて……!」

”医療チームに行きます。そこで落ち合いましょう”

 電話の向こうのレイフは自分よりずっと落ち着いているように思えた。そのおかげで少しずつ脳内が澄み渡っていく。

「わかりました」

 アリシアの返答をきくとすぐに通話が切れた。アリシアは廊下をがむしゃらに走った。廊下を歩く人たちに何度か見られたがいまはなりふり構っていられない。医療チームのオフィス前まで来るとこちらに同じようにかけて来るレイフの姿が見えた。

「ベックフォード隊長!」

「ええ。エドモンドでしょう」

 アリシアはオフィスに駆け込んで受付カウンターの近くにいた男性に声をかけた。

「すみません、エドモンドさんいますか? スプリングフィールドさんの部下の!」

 血相を変えたアリシアの様子にただ事ではないとわかったのか、エドモンドと呼ばれた男性が振り返った。何かの資料を手にしていたがそれを置いて小走りでこちらにかけて来てくれる。

「スプリングフィールドさんに言われて……!」

「クレイグ君に君を呼ぶように言われた。一緒に来てくれないか」

 レイフがアリシアに代わってエドモンドに用件を伝える。エドモンドはそれを聞くとすぐに受付カウンターを迂回して出て来てくれた。

「行きましょう」

 エドモンドがいの一番に駆け出した。その後を二人で追う。

「ウィルさんですか?」

「ええ、体調を崩して」

「ウィルはいまはどんな状態なんですか?」

「今は、意識も朦朧としてるくらいで……」

 エドモンドとレイフが交互に聞いてくる。二人とも、心底ウィルが心配なのだろう。

 医療病棟に戻ると、もう処置は終わっているようだった。

「ウィルは!?」

 クレイグがマスクを取りながら三人に向き直った。大きく切り取られたガラスの向こうに、たくさんの管につながれながら横たわっているウィルの姿が見える。

「部屋に入る前に一応濃度測らせてもらいますよ。エドモンド、あれ持ってきてくれ」

「わかりました」

 レイフの問いに答えないということは最悪の事態は免れたということなのだろう。レイフは素直に腕を差し出した。アリシアも隣で腕を差し出した。クレイグはわざとアリシアの濃度から先に測定する。

 二人の測定を終えると同時にエドモンドが手に白衣のようなものを持って戻ってきた。

「しばらくは入院が必要ですね。一週間程度見てもらえれば。あそこへ入るにはマスクと防ウイルス着を着てもらいます」

 そういってエドモンドから受け取り、包装を破く。

「それを隊長に」

「はい」

 クレイグはエドモンドにレイフへ防ウイルス着を着せるよう指示を出した。レイフは黙ってエドモンドに着せてもらう。白衣と防護マスクをつけられながら、レイフはクレイグに問うた。

「いままでこんなことはあったのか?」

「……ここまでのものはありませんでした」

「……そうか」

「苦しくないですか?」

「ああ」

 エドモンドの問いに答えながらも、レイフは一心にウィルの身を案じた。いまは大丈夫だとしても、もし今後こういうことがあったらどうする? 本当に、このままトレーニングを続けさせてもいいのだろうか。

「アリシアさん、どうぞ。あっちのドアが入り口です」

「ありがとうございます」

 アリシアはそのまま言われた扉から中へ入っていった。


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