巡る地球儀 13
車は車庫にあったのに、部屋はひどく暗い。ウィルは恐る恐る玄関を上がった。
「レイフ……? 帰ってるんですか?」
もしかしたら酒でも買いに近くのコンビニにでも行ってるのかもしれない。ウィルはネクタイを緩めながらリビングルームに向かった。
「あれ? いたんですか?」
そこで見つけたのは間接照明だけの暗い部屋でソファに座っているレイフの姿。
「……おかえり」
辛うじて絞り出したような声に、ウィルが異変を察する。
「レイフ……? どうしたんです?」
「ウィル、さよならしよう」
言葉としてはよく聞いていたものの、自分がその状況におかれるとは思っていなかった。言葉を脳が、理解しようとしない。
レイフは立ち尽くしたまま何も言わないウィルを直視できなくて、思わず目を伏せた。
「……どう、して……?」
「……お前が一番よくわかってると思う。俺は、お前を解放してやらなきゃならない」
レイフが懸命に言葉を紡ぐのに、その音だけが耳から入るだけでその意味は理解に及ばなかった。
「……レイフ……? なに言ってるんです……?」
「だから……、別れよう、俺たち」
ウィルは思わず膝から崩れ落ちた。そしてレイフの前で、ぽろぽろと大粒の涙をこぼす。
「いやだ……」
レイフは意表を突かれた。新しい恋人がいるのだから、こんな風に泣かれるとは思っていなかったのだ。ウィルにあっさりokされて、結局また自分だけ傷つくのだと思っていたのに。
ウィルはソファに腰掛けているレイフの膝に手をかけた。レイフは自然と、その手を両の手で握り返す。するとウィルもまた、その手をきつく握った。
「嫌です……俺は絶対に嫌です! どうして、……俺のこと、嫌いになったんですか……? 俺には、あなたしかいないのに……!」
「今日、見たんだ。お前が女性と傘を差して歩いているところを。あの人を、いまは愛してるんじゃないのか……?」
いままでは絶えず涙を流していたウィルの表情が固まった。
「え……? 傘をさして……?」
レイフは頷く。
「……はは、もう、レイフ……それだけですか? 俺に別れたいって言った理由」
涙をぬぐいながらウィルが笑う。レイフの頭には疑問符が浮かんでいるが、なんとなくウィルの笑顔につられて笑った。そしてウィルも余計に笑い出して二人で思い切り笑いあった。
「もう、俺の涙返してくださいよ本当に」
「……どういうことだ……?」
「あれはバックアップチームのエミリーさんです。傘がなくて困ってたので入れてあげてたんです」
「腰に……手を当ててたように見えたんだが……」
「それは人にぶつかりそうになってたので。ほら、レイフにも俺、よくやるでしょう? 癖になったみたいで」
その言葉ですとんと心に落ちた。これは誤解だ。要らぬ濡れ衣でウィルを悲しませてしまった。レイフの胸が押しつぶされていく。
「ウィル、ごめん。……その、俺の勝手な誤解でお前を悲しませてしまった……」
「いいえ。あなたと離れるよりずっといい。……俺、あなたに誤解を生むようなことばかりしてましたよね。正直にお話します」
ウィルはそういとティッシュで涙を拭ってからレイフの隣に腰掛けた。その手は相変わらず、レイフの手を握ったまま。
「今日一緒にいたのはさっきも言いましたが、バックアップチームのエミリーさんです。彼女は努力家だし、仕事は正確なのでよく書類を作って貰っています。なんの関係もありませんし、彼女はクレイグ狙いでしょう。勿論クレイグにはその気がないので早めに諦めさせてあげたいけど……彼女次第です」
レイフは見たからわかる。きっと彼女はウィルが好きだ。本当ならライバルだが、逆にかわいそうになってきた。
「そうか……まぁお前がその、……ほかの女性に気がないのならいいんだが……」
「あるわけがないですよ。上司のアリシアさんも、人として素敵だとは思いますが恋愛対象には見れない。俺よりももっと包容力のある男性のが似合ってるでしょうね、彼女はああ見えて不器用なところがありますから」
「……そうか……」
レイフの見立てではアリシアがあんなに部隊側との折衝を頑張るのはウィルのためなのだが、それにも気づいていないらしい。いままで人の気持ちには誰より敏感だと思っていたが、恋愛に関してはそうではないのだろうか?
「……なんてね。そういう振りをしているんです。エミリーさんもアリシアさんも、俺のこと好いてくれてるのは気付いてます。気付かなければいいと思ってたんですけどね。だから表面上は、気付かない振りしてかわしてます。二人には、本当に幸せになって欲しい。どちらも素敵な女性だから」
「……ああ」
展開が早すぎて理解が及ばない。とりあえず頷いたが、レイフは黙り込んでそのまま考えを巡らせる。ウィルは二人の女性の好意に気付いていながらも、自分だけを見てくれているらしい。もうそれだけがわかればよかった。
「だからレイフ、もう絶対にあんなこと言わないでください。本当に俺にはあなたしかいないんだ。なんだったらHQの女性たち全員に、俺の恋人はあなただって告白してもいい」
「いや、……それはさすがに……」
「わかってますよ。でも、俺はそれだけ本気です」
真剣なウィルの表情に、レイフは頷くしかなかった。でもそれは強引なものじゃない。自然と頷かせてくれる不思議な力強さがその言葉にはあった。
「俺の気持ち、わかってくれました?」
「ああ。痛いくらい」
「なら良いです」
「でも一つ聞いていいか?」
「ええ」
「あの、最近遅いのはその……なんでなんだ?」
そうレイフがおずおずと尋ねるとウィルが一瞬目を泳がせた。
「あー……まぁその、クレイグと色々と打ち合わせがあって…」
「……お前を恋愛対象と見るのが女だけだとは思ってないんだが」
「……レイフ、怒らないで聞いてください」
もう言い逃れできないと観念したのだろう。
体勢を整えたウィルを見て、レイフは逆に襟を正す気持ちになり自分も体勢を整える。それを見て、ウィルがゆっくりと口を開いた。
「最近、少しずつリハビリも兼ねてトレーニングをしています。勿論クレイグの元でだから心配はいりません。それで……実は来期の試験を受けようと思ってる」
「来期だと……?」
「本当に、無理はしません。そのためにクレイグに頼んだんです。あいつにはいつもバイタル計測から精密検査まできちんとやってもらってる。異常がないのを確かめた上でトレーニングしています。もし万が一異常があったらすぐに休止するし、回復のために最善を尽くします。だから……お願いだから、止めないで下さい」
ウィルの悲痛な声に、レイフの心が揺れた。そしてマルコに言われた、エゴだという言葉も脳裏を掠める。
「……次、訓練をするとき俺にも見せてくれないか? 途中で口を挟んだりはしない。だから」
「……わかりました。明日、お見せします。18時にトレーニングルームEです」
「なるべく間に合うように行くよ」
「はい」
そういうと沈黙が落ちる。レイフは話を切り替えるべきタイミングだとわかっていても、次に何の話をしたらいいのかわからなくなってしまっていた。
「レイフ、久しぶりに今日は早めにベッドに入ってお話しませんか?最近あまり時間とれてなかったから」
「……そうだな」
それから二人でシャワーに入った。久々に一緒に入って、そのまま布団に潜った。その間話が尽きることはなく、たまに擽りあったり、キスをしたり、純粋な幸福に心が満たされていくのをレイフも、ウィルも確かに感じていた。
「ねえ、レイフ」
「ん? くすぐったい」
ベッドの中で、向き合いながらウィルが鼻や瞼にキスを落とす。
「俺はあなたにもう隠すことなんて一つもない」
「……俺もだな」
「嬉しいです。俺はね、自分のこと世界で一番幸せだと思ってるんです。大好きな人がそばにいて、どんな俺でも見ていてくれる。あんな醜い姿になったときでも──」
「醜くなんてなかった!」
ウィルの言葉を遮った。醜いなんて言わせたくなかった。真剣な表情のレイフを、ウィルの柔らかな眼差しが見つめる。
「いいえ、いいんです。病室で鏡を見たとき、……正直泣きました。一度だけじゃない。こんな醜い姿になったんだって。でも、……あなたはそんな俺から、一度も目を逸らさなかった」
「……そんなの、当たり前じゃないか」
レイフは少し泣きそうになった。あのときのことを思い出してしまう。
「だからいいんです。俺はあなたの前ならどんな生き方もできる。俺を愛してくれて、ありがとうございます」
そういうとウィルがレイフの首筋に手を伸ばした。レイフもその自分より細い体をしっかりと抱きしめる。レイフの思いは、うまく言葉にならなかった。
「今日は少し冷えますね」
「……ああ」
「温めてください、あなたのたいおんで」
レイフはその言葉に頷いた。ウィルが手を伸ばしてベッドサイドの明かりを消す。二人はそれから、ひしと寄り添って眠った。




