巡る地球儀 12
「そうかー、やっぱりな。あいつはそういうと思ったよ」
「ああ。俺としては、正直戻したくないんだ。もうあんな風に犠牲にはしたくない」
マルコはレイフの言葉にうんうんと二、三度頷いた。今日はマルコの奥さんの誕生日プレゼントを買いに来たのだった。レイフも新しい枕が欲しいと思っていたこともあってそれに付き合った。
「でもよ、それはお前さんの気持ちだろ? ウィルは復隊を望んでるんだ。その通りにさせてやるのが、親心ってもんじゃないのか?」
「……俺は親じゃない、あいつのキャプテンだ」
レイフは首を振った。ウィルに対しては色んな感情が渦を巻く。キャプテンとして、人間として、恋人として。どんな角度から考えてみても出てくる答えは違ってしまって、余計に雁字搦めになっていく。
「親も同然だろう。あんたは確かにウィルをあそこまで立派に育てた。でもよ、あいつの生き方丸ごとお前が決めちまうなんて、本当にあいつは幸せか?」
「……でも」
「よく考えろ。心配な気持ちはわかるが、それはお前のエゴだと、思ったことはないか?」
レイフの心に迷いが巣食う。これはエゴか、それとも本当にウィルのことを思ってなのか。わからない、愛しい人を失いたくないと思うのはエゴなのか?それすらもわからなくなって、レイフは傘の持ち手をぐっと握った。その様子を見兼ねたのか、マルコがとんとんと背中を叩く。
「まぁさ、ウィルも一年後って言ってるんだ。それまでに結論に辿り着けばいいんださら、焦る必要は、……おい、レイフ、あれ」
マルコが急に話すのをやめてゆさゆさとレイフの肩を揺すった。レイフもそれに気づき、マルコが顎をしゃくった方向を見る。
「あれ、ウィルじゃないか? 話をすればなんとやらってやつだろ、これ」
マルコは陽気に話し続けたが、レイフの顔から色がなくなった。
ウィルが女性に上着を貸していた。そしてその腰に手を添えて、自分の傘に入れてやっている。女性はウィルの上着で暖を取っているらしく、幸せそうな顔をしていた。それは、はたから見れば完全に恋人同士のそれで。レイフの目が、二人から離れない。
「いや、まぁなんていうか……あいつは女にもモテるタイプだよなぁ」
マルコは二人が結ばれた瞬間を見ているから、今この瞬間気まずい思いをしているだろう。
「……そうだな」
マルコの声に応えるのが精一杯だった。ウィルを、無理して付き合わせているのかもしれない。先ほどのマルコとの会話が脳裏によみがえる。
これはただの自分のエゴで、ウィルはもしかしたら、気を使って自分といつも一緒にいてくれるのかもしれない。最近残業で帰りが遅いのも、その前に女性に会うためかもしれない。遅くなった日はレイフを求めてこない。今までは自分の体力に気を使ってくれているのだろうと嬉しく思っていたが、彼女とそうした時間を過ごしているのかもしれないとすら思えてきた。
「……すまないマルコ、……今日は帰るよ」
「ああ……わかった。だがウィルのことなら、あと一年あるんだ、ゆっくり考えようぜ」
「いや、……お前の言う通りだよ、すべて俺のエゴだったんだ。……もう、あいつを解放してやらなきゃならない」
覇気のない声でつぶやくように言うと、そのままマルコを残して夜の雑踏に消えた。
「すみませんウィルさん」
「いや、俺も傘もってなかったから。これは管理部の人に借りたものなんだ」
「そうだったんですか……」
助手席でうつむくエミリーに、ウィルが優しく声をかける。
「気にしないで、こんな雨だし。家まで送っていくよ」
「でもそんな───」
「あの信号はどっちに曲がればいい?」
「……右です」
エミリーは微笑んだ。ウィルの気遣いが純粋に嬉しい。空調も少し濡れたエミリーに気を使って高めの温度に設定してくれている。
「今週は雨が続くらしいね」
「そうなんだ……じゃあちゃんと傘持ってこなくちゃですね」
本当はカバンの中にお気に入りの折りたたみ傘が入っている。ただカフェを出て降る雨をその軒先で見ていたら、遠くにこちらへかけてくるウィルの姿が見えてそれを出さずにいたのだ。そうしたら、少しはいまの関係より前進できるかもしれないと思った。
「……どうして、わたしに気付いてくれたんですか」
わざわざ路肩に車を寄せて、カフェの前までやって来てくれた。それを、普通の女性にするのだろうか? 車の中から見えたからとカフェの前では言っていたが、少しは期待してもいいのか。エミリーの心中は、嬉しさで舞い上がっていた。
「いや、たまたま信号待ちしていたらね、君が見えたんだ。俺もあそこのカフェがお気に入りでね。で、そのカフェの前で立ち尽くしてたから、傘がないんじゃないかって思って。俺も傘持ってなかったわけだしさ」
欲しい回答は、エミリーの姿を見つけた経緯ではなく、駆け寄ってきてくれた理由だ。だが、そこまで踏み込むのをためらわれるほど、ウィルの優しさが滲んだ回答だったからエミリーは少しだけ黙ってしまった。ここで追及するのは得策ではない。もっと他の探りを入れよう。
「……ウィルさんて、本当に優しいんですね。みんなにそうやって優しいんですか?」
エミリーはニコニコと笑いながら、その回答を待っている。
「さあ、どうだろうね」
もう少しこのまま、近付けたらいいのに。
「この曲、素敵です。いつもこういうの聞いてるんですか?」
ピアノジャズは雨の夜によく似合っている。
「そうでもないよ。いまはたまたま」
「そっか……今度、わたしジャズの演奏会に行くんですけど、一緒に行きませんか?友だちにキャンセルされちゃって」
勿論そんな予定はない。これから作るのだ。
「君はもっと素敵な人と行きなよ。ここは、曲がっていいの?」
「……はい」
ウィルにさらりと交わされて、エミリーは内心面白くなかった。でもその自分を落として交わす傾向はそろそろ掴んだ。だからこそ、追撃できる。
「わたしにとっては、ウィルさんが素敵な人なんだけどなぁ……」
そうつぶやいてウィルの横顔を見る。何も答える様子はない。
「ジャズの演奏会なんて、どうでもいい人誘ったりしません」
「ありがとう。でも俺は君が思ってるような男じゃないと思うよ」
「どういう意味ですか?」
「君の理想は叶えられないってこと。演奏会でうまく君をエスコート出来そうにないからね」
あくまでも笑顔で、冗談めかして答えるウィルに、やはりエミリーは苛立ちに似た感情を覚えた。どれも定かな理由ではなく、エミリーを交わす言葉ばかり。本当にエミリーが欲しい答えはくれない。
「ウィルさんは狡いです。いつもそうやって、ごまかしてばかり。そんなに大人ぶって、背伸びして。本当はそんなの、似合ってないです」
語尾が思いのほかきつくなってしまったのをエミリーは反省した。だが、取り下げる気もない。ここまで言ったのだから、心からの言葉が聞ければ十分だと思った。いつも誤魔化してくるウィルに、報復の気持ちも混じっているかもしれない。
「……そうかもしれないね」
ぽつりと、少し自嘲めいた響きの声に、エミリーは何も言えなくなった。




