巡る地球儀 9
「ウィル? 誰か探してるの?」
その声に振り向いてみるとメガネを外して髪をまとめたアリシアがいた。
「ああ、アリシアさん、ちょうど用が……あれ、メガネどうしたんです?」
「あ、やだ……メガネ……」
ウィルが尋ねると、アリシアはそれまで気づいていなかったようであたふたとメガネを探し始めた。パーティということで仕事中は着ていたジャケットも脱いで肩を出している。アリシアはガードがかたく、彼女の七分袖すらも見たことのないウィルは純粋に彼女のことを素敵な女性だと思った。
「アリシアさん」
ウィルはメガネを探すアリシアの手首をつかんだ。そして紅潮した顔をみてにこりと笑う。
「綺麗です。メガネがあっても知的で素敵だけど、そうしてると素顔のあなたを見た気になる」
「そんなこと……」
「それにほら、せっかく綺麗な肌をしてるんだし、もっと普段から開放的な服を着たらいいのに。とっても良く似合ってますよ」
アリシアは言葉を失う。ウィルの言葉が頭の中で何度もぐるぐると渦巻くが、正しく脳が理解してくれない。
「あの、ウィル」
「なんです? あっ」
ウィルの腕が横から伸びて背中に回される。酔っ払ったサポートチームのメンバーがウエイターにあたり、そのウエイターがアリシアにぶつかりそうになったのだ。その衝撃からウィルが守った形となった。
「お客様大変申し訳ございません……!」
「いえ」
「お召し物は汚れませんでしたか?」
「アリシアさん、大丈夫ですか?」
「え、ええ」
アリシアは咄嗟のことで状況がわからなかった。ウィルの手が、腰と背中に触れたことだけは実感している。そしてその部分が、酷く熱い。
「大丈夫です。お急ぎのところすいませんが、あそこのテーブルにジントニックとカルーアミルク、あとお冷をお願いできますか?」
「かしこまりました。失礼致します」
ウエイターが颯爽と去って行く。
アリシアは最早なにを伝えたかったのかもわからなかった。だがこのまま、ウィルを元の席に戻してはいけないと思うのは確かだ。あそこにはあの女の子たちがいる。その気持ちはたしかに嫉妬だとわかっていたが、いまのアリシアにそれを抑制する余裕などなかった。
「ね、ねえ、少しだけ一緒に話さない……?」
「ええ、俺からも話したいことがあるので───」
「ウィルさーん!」
その声に振り向くと、ブレンラとともにテーブルについているエミリーがこちらに手を振っている。
「あ……」
「いってらっしゃい」
「……わかりました。すぐ戻ります」
「ええ。じゃあ、テラスにいるわね」
「はい」
ウィルはそういってエミリーたちのいるテーブルへ駆け寄った。
「もう、ウィルさぁん! はやく来て下さい! いまブレンラの恋の話してて……ブレンラ、クレイグさんが好きなんですよ? 気づきました?」
「ちょっと、エミリー……!」
二人の掛け合いを見ていると、少し遠くにクレイグが戻ってきたのが見えた。
「あ……もしよかったら、本人と話す?」
「え……」
その言葉とウィルの視線に、二人が振り向く。
「なんだ?」
クレイグはそれに気づき、自然とこちらにやってくる。
「じゃああとはよろしく」
「え、おい……」
ウィルはクレイグにそういうと颯爽と身を翻してテーブルから離れた。入れ違いにウィルが頼んだと思われる飲み物をウエイターが運んでくる。
「もぉ、ウィルさんもいないと意味ないのに……」
エミリーが頬を膨らます。三人が視線で追っているウィルはそんなこと露知らず、デッキの方から外へ出てしまったようだ。
「目の前に俺がいるのにそんなこと言う?」
「クレイグさんのことは、ブレンラが狙ってますから」
満面の笑みで告げられ、クレイグは思わずブレンラの方を見る。
「やめてよ、エミリー……!」
赤らめた頰が初々しく見える。ここに来るまで正直存在すら知らなかったが、エミリーの言うことは間違いではないのだろう。
「あー、……なるほど、ね」
「わたしウィルさんにアタックするので、クレイグさんは応援してくださいね」
そう言われてもクレイグが素直に頷けるはずがなかった。
もうはなから結果は見えている。ウィルはいつでもあのゴリラのような隊長に夢中だし、周りの女性に対してはレディーファーストの精神は発揮するものの、全く恋愛対象として意識していないのがまるみえだ。それはきっと、周りの女性には気遣いの出来る紳士として映っているのだろうが。
「……あいつはやめておいたほうが無難だと思うけど」
「どうしてですか? ああ見えてめっちゃ性格悪いとか?」
「いんや、めっちゃいい奴だ。高校から一緒だった俺が保証する。裏表ないし、仕事も出来る。顔もあれだ。でも、……勧めない」
「理由がわかるまではわたし、諦めません。ダメな理由はわたしで見つけます」
エミリーの自信に溢れた横顔を見ていたら、クレイグはなんとも言えなくなって盛大なため息をついた。
「すみません、お待たせして」
「いいえ。大丈夫よ」
外は熱された室内とは違い、心地よく涼しい風が吹いていた。
「風が気持ちいい。今日は暖かい夜ですね」
「そうね。……最近、仕事はどう? もう慣れたわよね」
「アリシアさんのおかげですよ」
「そんなことないわよ。あなたの評判は色んな方面から聞いてるわ。出来る部下を持って嬉しい」
ウィルがはにかむ。そんな表情を見ては、アリシアの胸が高鳴った。この男が好きだと思う。会ってまだ一ヶ月。それでも確実に、この男に惹かれていく。
「仲のいい友達とは話せた?」
「ええ。もう少し話したかったのですが、その友人と話したい女性がいまして」
「それ、ウィルを狙ってじゃなくて?」
一連の会話をそばで聞いていたからわかる。それに元からエミリーがウィル狙いなのを知っているから思わず突っ込まざるを得なかった。
「いえ、あれはクレイグ狙いですね」
「クレイグって医療チームの彼?」
「ええ。高校からの親友なんです」
「そう。仲がいいのね」
ウィルは何も言わずに頷いた。勿論その頷きの中には、彼への思慮と愛情がこもっているのだろう。
「そういえば来週のビリーの結婚式、あなたも行く?」
「ええ、ぜひとも」
ビリーはアリシアがHQに来てから最初にできた後輩だった。弟のように接していたから少し寂しさはあるけれど、素直に祝福する気持ちの方が大きい。
「あなたはいい人いないの?」
ウィルと恋愛の話をしたことはなかった。
踏み込んでいいものか、何も考えず切り出してしまったことをアリシアは後悔し始めた。
「いまのところは」
「……あ、そうなの……」
「アリシアさんはどうなんです? 素敵な恋人がいそうですね」
その言葉に内心ぐさりとやられながらもアリシアは平静を装った。ここで折れるわけにはいかない。
「そうだったらいいんだけど……」
「いらっしゃらないんですか?」
「ええ」
「俺てっきりオズウェルさんといい感じなのかと……」
オズウェルは趣味で身体を鍛えており、その高身長とあいまって隊員と見間違えられることもある。顔は40手前にしては若く、笑い方が爽やかなところも女性陣からは人気が高い。世界中を旅してオペラを聴いたり遺跡をみたりするのが趣味でHQ内では独身貴族の代名詞となっている。
「彼はいい先輩よ」
「俺いい組み合わせだと思ってたんですけどね。あれ、そういえばオズウェルさん来てないですね?」
そう言って辺りを見回すが、よく目立つ彼の姿はどこにもない。
「昇格という名の左遷で、嫌になったんですって。溜まった有給で明日からエジプトに行くらしいわ。きっと今頃空港よ」
「羨ましいな。ピラミッドとか見てみたいです」
「そうね。一度は砂漠の砂も踏んでみたいわ」
「いいですね」
「私ったらごめんなさい、あなたから話があるのよね」
「ああ……ちょっと、今後の勤務についてなんですが」
「ええ」
さっきクレイグと話したこと、その協力をお願いしたいことをウィルはアリシアに伝えてきた。アリシアはその話を真剣に聞いている。
「わかったわ。おそらくまた彼からこちらに話が来るでしょうから、それを待ってからになるけど……前向きに考えるわね」
「ありがとうございます」
「やっぱり部隊に、戻りたいのね」
「……はい」
沈黙が落ちたが決して嫌な間ではなかった。肌寒い風が、冬の訪れを予感させる。ずっとノースリーブでいたからか、身体が冷えてきた。アリシアはそっと肌をさする。
「少し寒いですね」
その声と同時に肩にかけられるジャケット。
「……いいのに」
「女性の方が基礎体温低いんです。俺は大丈夫ですから」
ウィルの見返りを求めない優しさが身に沁みる。本当はそれだけで寒さなど忘れてしまうのに。
アリシアはウィルのジャケットの襟をぎゅっと握った。




