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一生分の感謝と幸福を君に。

 深夜に思い切りドアを叩いたのは夜勤のエドモンドだった。

 眠ることも出来ずに外を眺めていたクレイグはその尋常じゃない音に何かを察して慌ててドアを開けた。

「どうした?」

「夜分にすみません! あの、ウィルさんが帰って来て……! 手術が必要だって!」

 クレイグはエドモンドが最後まで言い切るより先に部屋を飛び出した。廊下をひた走る音が大きく響く。

 手術室へ運び込まれたウィルの様子はひどかった。右半身が完全に変異している。そしてそこは大きく脈を打ちながらウィルから生気を奪っているのだ。ウィルは意識のない状態だと言う。

 クレイグは素早く手術着へ着替え、執刀をとった。



「ウィル……!」

 手術からおよそ一週間後。クレイグが上への報告を終えてウィルの病室へ戻ってきたときのことだった。酸素マスクをつけて横たわるウィルが、目を開いたのだ。

「聞こえるか!? 聞こえたら俺の手を握れ」

 ウィルの右手の中に人差し指を突っ込んだ。確かに握られる圧を感じる。

「……お前がそんな簡単にくたばるわけないよな」

 クレイグが笑うと、かすかにウィルも笑った。意識もはっきりしており顔面の表情も動く。まだ包帯を巻いたままだが、人懐っこく笑う目元は生きている。

「ベックフォード隊長を呼んで来てやるよ」

 クレイグがそういってそばを離れようとすると、着ていた白衣が抵抗した。

「嫌なのか?」

 白衣の裾を引くウィルの指。クレイグはしゃがんでウィルの口元へ耳を寄せた。

「クレイグ、ごめん」

 かすかだが、ウィルが確かにそう言った。

 あの喧嘩のことを、引きずっているのだろうか? クレイグはこみ上げるものを飲み下す。

「いいから、いまは隊長に報告にいく」

「歩けるようになってから」

 こんな姿を見せたら仕事に支障が出ると思ったのだろう。

「……」

「キャプテンは、元気か?」

ウィルの声は思っていたよりも力強くなって来た。

「……ああ。三日間部屋から出てこなかったけどな。いまは無事に隊長やってるよ」

「よかった。俺は何日間こうしてた?」

「ちょうどあのテロから今日で一週間だ。こんなに早く回復するとは思ってなかったよ。お前昨日まで昏睡状態だったんだぜ?」

 クレイグがベッドの脇に腰掛けて笑う。何故か目頭が熱くなった。

「これから治療もリハビリも、やらなきゃならねえことはたくさんあるんだ。まずはコレ、取らねえとな」

 クレイグはコンコンと爪で酸素マスクをつついた。

「頑張るよ。くたばり損ねたから、この先もよろしくな」

ウィルがかすれた声で言うと、クレイグは呆れたように笑った。


「明日は?」

「まだだ」

「いつから歩けんの?」

「お前の具合次第だっつーの」

 ウィルはベッドの上で退屈そうに身をよじった。クレイグは隣で資料をめくっている。1週間前に初めて目を開けたとは思えない回復力だ。

「俺の具合次第ってんならもう余裕で歩ける。スキップしてやってもいい」

「はいはい」

 クレイグは資料のチェックに余念がないようで、ウィルの言葉はさらりと聞き逃している。

「お前、ベックフォード隊長に会ってやらなくっていいのか? 最近ちょっと痩せた気がするけど」

 今日の午後も一緒の会議に出席していた。あの日からレイフはどこかぼんやりしていて、意見を求められても空返事しかしない。周りも原因がわかっているから咎めることも出来ず、抜け殻のような日々が続いていた。

「お前が一目会って無事ですって伝えてやれば、あの人も元気になると思うぜ」

「……部隊メンバーはこれから遠征行くんだろ? その前に会ったりしたら、業務の妨げになっちまう」

「ってのは建前で?」

「……あークソ! 正直俺だって会いたいよ。でも、いまのこの姿で会う自信がない。右手はまだ不慣れだし、包帯もまだ外せないんだ。こんな姿をあの人には見せたくない。……あと、告白の答えを聞くのが怖い」

 クレイグの今の医療技術を持ってしても、いまだに自由に右手を動かすことはできない。しかし、回復の見込みはある。皮膚に刻まれた変異の大きな傷跡は、皮膚移植をしなければならないからしばらくは治らないだろうし、ウィルがそれを望むかはわからない。そのことはまだ伝えられずにいるが、この先もその手を見るたびに死に際のウィルの姿を思い出すのだろう。

「言ったのか、あの人に」

「……ああ。死ぬって本気で思ったから言った。最後に笑顔が見たかったってのもあったけど、やっぱり笑ってくれなかった」

「最後にそんなこと言われて笑えるほうがどうかしてる」

 ウィルがため息をついた。クレイグは時々ウィルの発想がわからなくなる。土壇場で告白しようなんてどうかしてる。

「だよな。それ思ったんだ。自分でもどうかしてた。わがままだったのかも。好きって、ただ伝えたかったんだ」

 クレイグは自分なら、絶対に答えがもらえる状況を選ぶと思う。言って終わりなんてつまらないだろう。好きだと相手の口から聞きたい。

 クレイグは立ち上がって窓際に寄った。23時を越えても向かいの寮は灯りが幾つもついたままだ。白衣を着たクレイグの背中はいつもより大きく見える。そのままぼんやりとクレイグは窓の外を眺めてしまった。

 なんとなく手持ち無沙汰になったウィルは脇に置いてあったクレイグの医学書を手に取った。その瞬間、書籍の間から小さく折りたたんだ紙が落ちる。

「多分お前が……、!」

クレイグは話だそうとして振り返った瞬間、ウィルが紙を読んでいることに気付いた。近くに置いてある医学書は、最近読んでいるもの。そしてその本の間には、あの日レイフが持ってきたウィルの手紙を栞代わりに挟んでいたのだ。少しの沈黙が落ちる。

「お前、これ読んで泣いただろ? ところどころよれてる」

 ウィルのいたずらな眼差しに、クレイグは目をそらした。場の空気だけでウィルが笑っているのがわかる。

 正直あの夜は泣きすぎて眠れなかった。次から次へと涙がこぼれるし、脳がウィルの死を受け入れるのを拒んで理解しようとしてくれなかった。そして手紙に目を移しては歯を食いしばった。どうしてウィルが死ななければならないのかと。レイフへのひどい憎悪にも襲われた。そしてそんな自分も憎かった。

 だが今、それほどまでに切望したウィルが目の前にいる。そしてニヤニヤと笑ってこちらを見ているのだ。こんな表情をするから認めるのもなんだか悔しいが、自分という人間の根幹の大事なところをこの男に握られているんだろう。

「うるせえな。ほらさっさと寝ろよ病人」

「もう一回泣く?」

 そう言ってウィルは手紙をクレイグにちらつかせた。

「電気消すぞ」

 そういうとパチンと電気を消す。クレイグはもう一仕事、ラットの見回りに行かなくてはならない。部屋を出ようとした瞬間。

「ありがとな。泣いてくれて」

 ウィルが少し照れた声で言うのが聞こえた。結局のところ、この男には叶わないだろう。

「……手紙の最後の文、そのまま返すよ。おやすみ」

クレイグの優しい声音が暗闇に溶けた。


(一生分の感謝と幸福を君に。)


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