最長距離の遠回り 7
「なぁ、このプレゼン資料の19pにあるウイルス濃度に関するなんだが」
「ああ、すみません、こっちに関してはクレイグのがわかるかと。クレイグ、少しいいか?」
「ん?」
イスに座ってウィルの勉強用の机に向かっていたクレイグをウィルとレイフが見上げる。クレイグはカーペットに腰を下ろし、狭いテーブルで頭をくっつけている2人を見下ろした。
「エドモンドの研究のことなんだが……」
「ああ、答えますよ」
クレイグがレイフに手渡された資料に目を通す。レイフはここが理解出来ないと困り顔だ。2人で飲んだ夜以降、こうしてレイフと一緒にいる時間は偵察まで時間がないということもあって増えたことには増えた。
それでも東の支部から時折その偵察に合わせて資料が欲しいだの衛星会議をしようだのと要請が来るから。その期日に追われて無駄話をする暇は殆どなかった。
「ああ、ありがとう。クレイグ」
「いえ」
レイフは最近、積極的に訓練に参加するようになった。勿論忙しいのは知っているが、偵察に行くとなれば体力が落ちていてはいけない。HQが漸くそのレイフの訴えを飲み、昼間は会議から解放してくれたのだ。
そのおかげで余計に夜こうして取られる時間は増えた。そのせいでウィルもレイフも、そろそろ疲労がピークを超えそうだ。クレイグのように研究することに慣れていない2人にとってはデスクに長時間向き合うこともかなりストレスだった。
「ああ……、首回りが痛くなりますね」
「そうだな……」
時折こうして首を回したり背伸びをして2人言葉を交わしても、相変わらず目はショボショボするし筋肉が固まっているのもわかる。
「クレイグ? お前今なんの研究やってんの? こっちに加わってくれよ」
「お前な、俺は偵察に行く隊長に託せるようにウイルスの抵抗剤やら鎮圧剤やら作ってんだぞ? 隊長にもしものことがあったとき、クリーチャーになっちまわないように、予防薬も作ってる」
そういって手を上げた。もしもそのことなどレイフに限ってないとはわかっていても、万が一への備えは必要だし、それが出来ればテロ組織に対抗する大きな一歩を得られる。
「……お前、凄いことしてるな」
「俺も同感だ」
「そりゃ大事な友人とその上司が、世界で最も危険かもしれない仕事の最前線にいるんだ。何にもしないわけにはいかないでしょうが」
クレイグは冗談めかして笑った。それでも、その言葉に込められた本心が2人の心を温める。
「ありがとな、クレイグ」
「なんだよ気持ち悪い」
「部隊メンバーを代表して、俺からも礼を言うよ」
「やめてください」
「クレイグ、お前の好きなプリン冷蔵庫に入ってるから食っていいよ」
「マジ? 最高だな」
クレイグは天邪鬼気質なところがある。特に照れると素直になれない。勿論ウィルはそれを知っているから悪い気はしなかった。
気が向けばクレイグの好きなプリンをエントランスのコンビニで買ってきてしまうのも、クレイグに対する家族愛のようなものの仕業だろう。
「それで? どんな薬作ってるんだよ?」
「よく聞いてくれた! 話したくてうずうずしてたんだ」
そういうとクレイグはイスから降りてテーブルに資料を広げた。なにやら小難しい式や化学式たちが並んでいる。
「まず予防薬。これについては通常の予防薬と同じで、体内に抗体を作る薬だ。だが一般のウイルスと異なり、生物をクリーチャー化するウイルスは、多少でも体内に入ると変異が起きるところが厄介なんだ。それが、特に人間をクリーチャー化するウイルスに置いては顕著で、今そこを乗り越えるために、人間とクリーチャーに共通する組織を抽出している。その共通項を使ってどうにかできないかと思ってね」
研究のことを話すときのクレイグはイキイキとしている。だいぶ噛み砕いて話してくれたようでレイフもウンウンと頷いている。どちらともの理解を確かめるとクレイグが続きを話し始めた。
「そして、もし人間が感染した場合、この鎮圧剤と抵抗剤ってのを打つ。鎮圧剤と抵抗剤は2つで1セットだ。初期症状のうちであれば効く確率も今や70%近くまで上がってきている」
「70%か……かなりの確率だな」
「これも、クレイグ君たちの研究の成果ってわけか」
「俺だけじゃないっすよ」
「これならテロに巻き込まれたウイルス感染者も助けられる可能性が高くなりますね」
「ただ、まだ問題もある」
クレイグの刺すような声に、ウィルもレイフも押し黙る。
「症状が進行すると、効く確率はぐっと下がる。ここで鎮圧剤を打ち、体内のウイルスの活動を落ち着かせる。で、そこに白血球ほか体内に異常をきたす成分を排除する役割をもつ組織たちの動きを助けるために抵抗剤を打つ……これを繰り返して、体内のウイルス濃度を下げていくんです」
クレイグが指差した資料には、症状進行度と鎮圧剤効果についてのグラフ、そして体内の濃度についてどのくらいのスパンで打ったら最も効果的なのかを示すグラフが載っている。
「どのくらい進行すると、助からない?」
「体の部位の変異が始まったら、もう助からないと見ていいでしょう」
「そうか……」
しゅんとしたレイフの肩に触れ、ウィルは誰かを救いたいと切に願う彼の心を少しでも浮上させる言葉はないかと思案した。
「もしその鎮圧剤と抵抗剤っていうのを使って治るとしたら、どのくらいかかるんだ?」
「進行度や体内へ入ったウイルスの濃度にもよるが、そうだな……だいたい1年くらいは打ち続けなくちゃならなくなると思う。特に半年目くらいまではいつ急変してもおかしくないからな」
「そうか……だったらその分、テロが起きたら大量生産も必要になるな」
「ああ。その辺の体制についても、今考えているところだ。薬に関しても、まだ体内のどういう成分に反応してウイルス濃度が上昇するのかについてはわかっていないところが多い。ほらウィル、前も培養に失敗したって言ったことがあったろ?」
熱心に話していたクレイグがウィルに視線を向けた。ウィルは黙って頷く。あれは確か、レイフの部屋へ向かう途中だった。
「それまで仮定していたウイルス濃度をあげる成分が間違いだった、ってことがあれで証明出来たんです。勿論失敗しないに越したことはなかったんですが、それでもそこで一つわかった。で、いまはそれを絞り込む作業と、鎮圧剤と抵抗剤の成分を見直してるところです」
そこまでいくとクレイグはため息をこぼした。聞き手に回っていた2人は顔を見合わせる。
「この実験の難しいところは、サンプルの確保なんです。さすがに人体で実験するわけにはいかないでしょう? だから人体と同じ条件を再現しての実験になるんですが、それでうまくいくからといって、本物でうまくいくとは限らない」
「それはそうだろう。今までもそうやって研究してきたんじゃないのか?」
「そうだ。でも今までのは実用できるレベルでもなければ、ウイルス自体にフォーカスした研究だったんだ。ウイルスによってクリーチャーとなるその過程、とかね。だけどこれは、クリーチャーから人間に戻る実験だ。今までとは訳が違う」
ウィルもレイフもなんとも言えない気持ちになって口を噤んだ。確かにこれが成功すればテロ組織を牽制することはおろか、脅威だったウイルスの勢力を大幅に削げる可能性がある。だがそれを完成させるためには、実験が不可欠と言えば、もう手詰まりなのだろう。
「ま、出来るところまでやってみますよ。あんたらがクリーチャーにならないようにね」
クレイグはそういうと少し笑い、立ち上がった。
「またわからないことがあったら、聞いてください」
「ああ」
レイフはクレイグの声かけに頷いて再び机に向かった。




