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最長距離の遠回り 5

”BSOC本部アルファチームから、レイフ・ベックフォード隊長です”

 レイフが壇上に上がるとそれだけでどっと会場がわいた。レイフは少し照れ臭そうに片手を上げてこたえる。

”では本日お集まり頂いた皆様に、一言お願い致します”

「はい。ご紹介に預かりましたレイフ・ベックフォードです。本日はこのような機会を設けて頂いたこと、大変感謝致しております……。BSOCでは、増え続けるバイオテロに対し、 いま幾つかの施策を練っています。詳しいことはまだお伝えすることはできませんが……、会議で取り上げている中心的な方針を2つお伝えしたいと思っています。1つ、世界各国で導入のできる施策であること……」

 壇上で堂々と話すレイフの姿は、アルファチーム隊長と名乗るにふさわしい。ウィルは会場の端でそれを黙ってみていた。

 金曜日に2人で買いに出かけたパーティ用のスーツはよく似合ってる。行きの車の中で「こんなに筋肉をつけてしまって、スーツなんて似合わなくなってしまってるんじゃないだろうか」と弱っていたレイフの姿もいまでは嘘のようだ。

「BSOCは国際組織として、先進国にも途上国にも受け入れられる施策を作るのが使命だと思っています。皆様もよくご存知だと思いますが、18年前にあった『ベルガ=ランド・シーサイドモール』バイオテロ事件を発端とし、7年前には『オークワイオ・シティ・ビル』でのバイオテロ事件があり、現在も世界各地にバイオテロの兆しが見える。今やバイオテロは自国や限られた地域だけの問題じゃない。だからこそ、施策は貧富の差なく、どの国でも取り入れられるものでなくてはならない。それこそが貧しい国をターゲットにする卑劣なテロ組織を撲滅させるためになると確信しています。そして、二つ目はBSOC隊員をテロ鎮圧の犠牲にしないこと。近年のデータによれば、一般の犠牲者が100人以上である中規模以上のテロによって、BSOCの各支部すべてで統計を取ると平均9.7人隊員が殉死している。これは絶対に許してはならないことだ。もちろん一般人の犠牲も食い止めなくてはならない。だが、隊員の犠牲が出ることも、考慮に入れなければならない……そのためにも、BSOCの上層部は考え方を入れ替えなくてはと考えています」

 せっかく昨日あんなに考え、覚えた台本も、思わず感情的になってしまったせいでぐちゃぐちゃになってしまった。昨日ずっとウィルと原稿を考えていたときのレイフの表情はとても真剣だった。そしてそのあとウィルに向かって練習していたのを思い出すと微笑ましくなる。せっかくHQの図らいでホテルの部屋を別々で取ってくれたというのに、部屋に入るとすぐ出てきてウィルの部屋のドアをノックしてきた。

 昨晩のウィルは大変献身的だったと自分でも思う。明日のスピーチが緊張すると言って腹痛に襲われたレイフの介抱をしてやってからそれを克服するためにも練習に付き合ってやったのだ。

 スピーチがすべて終わるとレイフはたくさんの拍手に顔を赤らめながら壇上を降りた。


「お疲れ様でした」

「ありがとう。緊張したよ」

「とても堂々としていましたよ」

 そういって水のグラスを渡す。たくさん喋って喉が渇いただろう。終わる少し前にウエイターに用意してもらったものだった。壇上では他の国際機関の要人が話をしている。レイフは水を受け取り一気に飲むとありがとうと言いながらネクタイを少し緩めた。

「まだこれから社交会があるのに」

「スーツってのは暑いな」

「着慣れてないからでしょう」

「防具の方がよっぽど涼しい」

 少しは冗談を言う余裕も出てきたようだ。

「トイレに行ってくるよ」

「オレも行きますよ。あの人の話は長そうですから」

 2人でこっそり外に出た。広い廊下には少しだけ室内でのスピーチの声が漏れて聞こえる。ウィルは内心で、2人だけの親密でシンプルな時間を楽しんだ。

「これが終わったら、漸く新しい施策に取り組める」

「そうですね、あなたの悲願でした」

「本部アルファチームのキャプテンとして、たくさんの特権を与えられるとともに、たくさんの仲間を失った。だから、……次の会議では、絶対にあの案で通してみせる」

「ええ」

 司令部チーフがエイブラハムになった頃から、HQは部隊の話に聞く耳を殆ど持たなくなってしまった。偵察の会議でも行く張本人の意見は蔑ろにされる扱いだ。それも全てエイブラハムの目論見だろう。

 今回、HQがここへ行けと言ったのは勿論体裁のためである。勿論エイブラハムが参加するのがそちら側としては都合が良かったのだろうが、国際的に名の知れたレイフを差し置いて行けるわけがない。そこでレイフを体裁の飾りに差し出したというわけだった。

 勿論、付き人としてエイブラハムが行く予定だったようだが、そこはレイフに伝わる前にオズウェルが手を回したと本人は笑っていた。レイフにそのような負担をかけたくないとオズウェルは笑った後、ウィルに頼むぞと声をかけてくれた。それが何を意味するのか、ウィルは察することができるほどにはなったと思う。

 別にトイレに行きたかったわけではなかったから、廊下のソファで落ち着いた。並んで座っていても、その距離を遠く感じる。

「本当に、ここまで来られたことを感謝するよ。お前に言われなきゃ、あんなスピーチ思いつかなかった」

「小賢しい悪知恵です」

 昨日レイフが持ってきたスピーチは当たり障りのないHQ側の用意した挨拶文だった。それでも何か話すならインパクトを残したいと悩んでもいた。HQ側にいまレイフのスピーチ内容を操作する方法はないからと、ウィル自らの手でその紙は丸めた。

 最近クレイグとの3人の会議でよく出る話題をスピーチ内容に盛り込まないかとウィルから提案したのだ。いつもHQ側に訴えていた内容だが、HQ側にいつもああだこうだと退けられてしまう。レイフは口下手だからそれにいつも悔しそうに口をつぐんでしまうのだった。

 だがここでその方針だけでも先に言ってしまえば外堀作戦とすることが出来る。HQに嫌な顔をされるのは承知で、なんならその泥をウィルはかぶるつもりでいる。レイフは決してそんなことをさせないと息巻いていたが、提案したときからわかっていたのだ。

「HQもこれで逃げられなくなった。もし、反発があったとしても、ここで得られた意見や賛同の思いは必ずあなたの背中を押します。四面楚歌になったとき、助けてくれる仲間をここで見つけましょう」

 ウィルの言葉に、レイフが深く頷く。

「……そのためには、ここで一息入れてちゃいかんな」

「汗は引きましたか?」

「ああ」

「なら行きましょう。ここからが本番です。あんな素晴らしいスピーチをしたのだから、仲間は必ずいますよ」

「ありがとう。お前がいたからここまで来られたんだ。……これが終わったら、少し話がある」

 レイフの思いつめたような横顔に、引退の文字がウィルの脳をかすめた。

「え……まさか、引退とか……」

「いや……そんなんじゃない……あー、なんていうかその……、まぁ俺の気持ちを聞いて欲しいんだ」

 次は違う意味でどきりとウィルの胸が高鳴った。引退とは違うレイフの気持ちとは、なんだろう。いや、その前に、レイフの表情が物語っている。頬を赤く染めて、席替えで好きな子の隣になったときの男の子のようになんとも照れ臭く、幸せそうな表情。振られることを考えず、ただ気持ちを伝えられることが嬉しいといった純粋な恋心。

「……期待して待ってます」

「ああ」

 そして並んで、ホテルの会場へ戻った。


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