大人になったらキスをあげよう
クレイグはため息をついた。
雪が降ると心が締め付けられるような気分になる。小さい頃は好きだった雪の日も、大人になってからは憂鬱にしか感じられなかった。
そして今日は、少し傷心気味でもある。
「クレイグ? 何考え込んでんだよ、ガラじゃないな」
窓に映ったウィルは、マフラーを巻いて暖かそうにしている。いま帰ってきたところだろう。ドアの開閉する音にすら気づかなかったのだから、相当耽っていたらしい。クレイグは窓の外を落ちていく雪の粒を眺めた。
「いや、小さい頃は雪の日が楽しみだったのに、いまじゃこんなに憂鬱だなと思ってさ」
「オレは今も好きだけど? いいじゃん、綺麗だしなんか特別な気分になる。まぁここじゃ量が多すぎて特別感は少し薄れたけど」
ウィルは元々、この国の中でも雪の少ない地方に住んでいた。だから特別雪が嬉しかったのだろう。クレイグは北寄りの寒い地域だったから、それほどの特別感は元々なかった。
「俺の地元はもっと降るぜ。お前なんか雪に埋まるくらいにな」
「オレが埋まったらお前もほとんど埋まるだろ」
「それもそうだ」
ウィルはマフラーを解いてコートを脱いだ。深いニットの色はウィルによく似合う。クレイグもカーテンを閉め、うんと背伸びをした。
ウィルの部屋にウィルがいないときに入っているのも、もう気にならないほどになってしまったらしい。居心地の良すぎるウィルの部屋は、今ではクレイグの部屋と言っても過言ではなかった。
「お前、なんか今日落ち込んでんの?」
ウィルが靴下を脱ぎながら尋ねてきた。手に持っている靴下は雪で濡れてしまっている。ウィルも足先の冷たさを気にしているようだ。
「……なんで?」
「なんか、元気ないように見えるから」
根拠がないわけではない。でもそれは形にならず、とても不確定だということだろう。ウィルは根拠のないことは言わないが、それでも聞いてくるということは、不確定な根拠にみえるそれも、ウィルには確かに映っているのだろう。
「まあ、……ちょっとね」
「ふうん。飯は? もう食った?」
「ああ」
「ならよかった。オレも食ってきたから」
そういってウィルはニットとその下に着ていた襟シャツを脱いだ。クレイグは上裸のウィルを眺める。そういえば一時期、この背中が好きで水泳部に毎日遊びに行っていた時期があった。たとえば外周の途中で抜け出したり、部活終了後に一緒に帰ろうと誘いに行ったり。だいたいいつも水泳部は終わるのが遅くて、ウィルが泳ぐのをいつも見ることが出来た。そしてその背中に、いつか肌を合わせたいと思ったこともあった。
今はもう覚えていないだろうが、クレイグをそうさせたのはまぎれもなくウィルだった。
いつものようにプールの外で待ち合わせをしていた。あれは高校3年生の、秋だった。
「悪い、待たせた」
「いや」
同じ塾に通っていたこともあって練習のない日以外は一緒に帰っていた。いつも少し、ウィルが遅れてくるのだ。柔らかい夕陽に照らされて、2人で並んで歩いていた。
ウィルが少し、落ち込んでいたのを知っている。それは無論、女子たちの専らの噂になっていたからだ。
「どう? 独り身になった感想は」
「……正直、楽だと思う。でも、彼女に対する罪悪感は重いな」
「なんでもうダメだって思ったんだ?」
「多分オレ、すごい夢想家なんだ。なんていうか、やっぱり彼女とキスするにしても抱き合うにしても、本当に心から愛してなきゃダメだって思っちゃって」
ウィルが言葉を選ばずに喋っているのがわかる。これが本音なのだろう。
クラスの殆どが公認していたから、破局の波紋が大きいのはわかっていたはずだ。それでもウィルが選んだのなら、それ以上の結果はないのだろう。
「ふうん」
「心の距離が遠かったんだ。彼女には何も話せなかった。オレのいまのところの結論である心の距離とキスの感覚が比例するなら、お前とキスした方がずっといいと思えるくらいなんだよ」
そう言い放ったウィルの横顔が夕陽に照らされる。そこに嘘や偽りはない。純粋に思ったことを親友に打ち明けた青年の顔だった。
「……もしお前が大人になったとき、そういうキスを経験してなかったら、俺がしてやるよ。そしたら、証明出来んだろ?」
「ならそれまでに、経験しとかないとな」
そういって無邪気に笑う横顔に、そのときは酷く胸が焦げ付いた。この男がこれから、どう育って行くのか、どう大人になって行くのかをみたいと心から思った。この先、陸軍へといく彼と、大学に進む自分では道が違いすぎる。漠然と大きな別れがあることはわかっていたが、それは予想以上に重たいものだった。その日から少しの間、クレイグの胸はウィルに満たされた。だがそれも時間とともに落ち着いて、卒業の頃には再会を誓って抱き合っても、親友同士の絆しか感じないようになっていた。
だから本当にあのときだけの、進学や別れに揺さぶられた不安定な心の求めた拠り所だったのだ。思春期特有の気の迷いだったのだと思う。それでも何故か思い出すと、あのときの青さが蘇って衝動に駆られた。
「クレイグ?」
クレイグは立ち上がってウィルの唇にキスを落とした。それは軽いもので、どんな女にもしたことがないほど優しいものだった。
「……ごめん」
「……オレが大人になったから?」
「……覚えてんのか」
「お前にされて、思い出したよ」
そういうとウィルは少し笑った。クレイグは内心、その笑みの理由がわからず狼狽える。
「クレイグさ、たまにはオレにも甘えろよ。お前はあの頃からいつも一人で背負ってばっかだ。ホントに」
「……癖なんだよ」
「損するぜその癖直さないと」
ウィルはそういってシャワールームに向かった。クレイグは触れた唇を撫でる。確かにあのとき、触れたかった唇に触れた。あのときと同じ、心が焦げ付くような思いがする。
「余計なお世話だよ」
鼻歌を歌うウィルの背中に届くまいとわかっていながらクレイグはつぶやいた。
いまの自分は大人だから、この焦げ付くような胸の痛みへ出す処方箋も知っている。
きっとこの先、どんなことがあっても自分はずっと、あの男の味方であり続けるだろう。自信過剰ではないが、ウィルもそのつもりだと思う。クレイグはベッドに寝転んだ。少しだけこのまま、夢心地のまま高校時代へ船旅に出よう。
シャワールームから漏れてくるウィルの鼻歌をBGMに、クレイグは眠りに落ちていった。




