君が大人になってしまう前に 14
「あれ、ウィル? どうした、眠れない?」
背後の廊下を誰かが歩いて行くとはわかっていたがどうもそちらを向けなくて、窓から外を黙って見つめていたウィルは、その柔らかな声に振り返った。
「ヴィンスさん……」
「今日は満月だね。綺麗に見える」
そういってヴィンスはウィルの隣に並んだ。正直少し気まずい。今回のことの発端はヴィンスだったから。
ヴィンスの結婚に対して憧憬を見せたエリオットやレイフを少し軽んじた。ヴィンスに対して直接何かを思ったわけではないが、その事実がウィルの口を閉ざす。
「……何かに悩んでる顔だね。俺じゃ、力になれない?」
ここで何か答えないと、ヴィンスを誤解させたまま傷つけてしまう。わかっているのにうまく言葉が出てこない。
「……わかりやすいなウィルは。じゃあ、少し俺の話を聞いてくれる? こんな月の夜は思い出してしまうんだ」
「……ハイ」
ウィルが窓のサッシにかけた腕に顎をのせる。季節は夏になろうとしていて、辺りの森から虫の鳴く声が聞こえていた。夜の少し冷めた風が肌の上を流れていく。
「俺がなぜBSOCに入ったか、ってところからかな。少し長くなるけど」
ヴィンスは少し息をついてからゆっくりと話し始めた。
「俺が来たのは今のお前の年齢の頃だ。22歳。それまで俺は警察の特殊部隊にいたんだ。そんなに活発な子どもじゃなかったけど、きっと正義感だけは強かった。俺には11個年のの離れた従兄弟のお兄ちゃんがいた。彼は警察の士官学校にいて、とても正義感が強く俺の憧れの人だった。いまでもお兄ちゃんが士官学校に受かった時みんなで盛大にパーティをしたのを昨日のことのように覚えてるよ」
そう言ってヴィンスは懐かしそうに目を閉じた。ウィルはとりとめもなくその話を聞いている。
「10歳の頃、その大好きなお兄ちゃんとショッピングに出かけたことがあってね。その場所の名前は、お前もよく知ってるんじゃないかな」
そこでヴィンスが話をやめた。ウィルの表情もみるみるうちに変わっていく。ヴィンスはあの忌々しい事件のあった都市の生まれだと聞いた。今も閉鎖されている。そして現在28歳。そのヴィンスが10歳の頃、ショッピングエリア。嫌な予感しかしない。
「もしかして……ベルガ=ランド・シーサイドモール……?」
「……あの日はよく晴れていて、俺たちはアイスクリームを食べたり、ゲームセンターでぬいぐるみを取ったりして遊んだ。久々にお兄ちゃんの楽しそうな顔をたくさん見たんだ」
あえてウィルの問には答えなかった。そしてヴィンスはぽつりぽつりと、その事件の全貌を話し始めた。
──休日のショッピングモールは人も多くどこも楽しそうな声であふれていた。もちろん10歳になったヴィンスもその喧騒のうちの1人だった。
日頃警察官としてほとんど土日に休みがかぶらない大好きないとこの兄レイが、久々に土日に休みがかぶったからと連れてきてくれたのだ。
車に乗る時からもうずっと気分が高揚していて、レイも笑われた。
「ヴィンス、欲しいもの決めてきたか?」
海辺にあるこのベルガ=ランド・シーサイドモールはまだ出来て新しく、全体的にカラフルでどこか南国を思わせるような開放感のある作りが好評だった。
レイはヴィンスの手を引いてモールの入り口へと向かう。駐車場も広いから車を降りてから少し歩く。
「たくさんあるよ! だってねえ、プラモデルもほしいし、拳銃もほしいし」
「おもちゃな。本物はとっても怖いから」
「本物がいい~」
「こら。それはお兄ちゃんたち警察官や一部のちゃんと訓練を受けた人しか持っちゃダメだって言っただろ?」
「わかった」
「よしいい子だ。じゃあまずプラモデル買いに行こうか」
「うん!」
レイの手にじゃれつくようにヴィンスは飛び跳ねた。レイはもう片方の手でそのヴィンスの頭を撫でてやる。
警察官といってもレイは華奢で、繊細な顔つきをしていた。ただ正義感は誰よりも強く、幼い頃からずっと警察官を目指していたと聞いたことがある。
その夢がかなって今年の春、ようやく警察士官学校から警察官となった。このときも、みんなで盛大にパーティをしたことを覚えている。
ショッピングモールに入ると、ふんだんに水を使ったモニュメントや、南国をイメージした植栽たちがヴィンスの目と心を奪った。
「うわあ……」
「すごいだろう? 水があるからかな、すごく涼しくて気持ちいい」
外が暑かったから、そのレイの言葉にもうなずけた。中央の吹き抜けは6階まで続いていて、天井部から大きなくじらのモニュメントが吊られている。
そして中央にある噴水からはそのくじらのすぐ下まで、1時間ごとに豪快な水しぶきが吹き上がるようになっていた。
「まずは……プラモデルなら4階かな?」
近未来的に交差するエスカレーターでヴィンスと4階まで上った。そこで2人でたくさんのプラモデルを眺めた。レイは軍事に精通していて、空軍や陸軍、その他特殊部隊などの戦闘車両や爆撃機を見て色々と話をしてくれた。
「本当は、こんなふうに人の命を奪うものがなくなればいいんだけどね……」
レイは人の命を何よりも尊重する警察官だった。そのために銃の腕も磨いたのだといつか話してくれたことがある。
子どもながらにレイの優しさはよく理解していた。当時のトリステル合衆国では西部が荒れていて、時折その応援にこの北部の警察官が駆り出されることも多々あった。だから時々目の前で人が死ぬところ、殺されるところを見てきたはずだ。それでも彼は頑なに、人を殺すことを嫌がっていた。
「さあ、アイスでも食べに行こう」
プラモデルをヴィンスに買い与えるとレイは近くのアイスクリーム屋に寄った。その後もヴィンスのわがままにとことんレイは付き合ってくれた。とても愛してくれていたのだと思う。レイには兄弟がいなかったし、ずっと弟がほしいと思っていたようだからそのせいでもあるのだろう。
夕刻になると6階に大きく作られたデッキに出た。階の半分をデッキにしたという大胆な作りで、海と夕暮れに染まる街を一望することが出来た。
「わあ! お兄ちゃん、海!」
「こら、あんまり走るなよ」
ヴィンスは奥にあるアスレチックには目もくれず、デッキの端まで駆け寄って行った。ちょうど海に夕日が沈んでいくところだったようだ。どこまでも続く海の向こうに沈んでいくオレンジ色の光。少しずつ反対側は紫に染まりつつある。
「あら、レイ?」
ヴィンスがじっと海を見ていると、後ろからレイを呼ぶ女性の声がした。
「エリナ? 君も来ていたのか」
女性はノースリーブのブラウスに大判の花柄スカートを履いていた。スカートの丈は膝より少し上で、足元のサンダルには星をモチーフにしたチャームが光っている。
2人はそこから話を始めた。すっかり日が暮れると、デッキの外枠を縁取るようにガラス灯をモチーフにした電球が灯り始めた。
しばらくはその雰囲気を見ているだけで十分だったが、急にトイレに行きたくなってヴィンスはかけ出した。
「ヴィンス! どこ行くの?」
「トイレ!」
「待って、俺も行くよ」
「大丈夫! 一人でいけるからお姉ちゃんと喋ってて!」
「ここにいるから寄り道しないで戻ってくるんだよ?」
「うん!」
女性はきっとレイのことが好きだと思ったのだ。そして逆もあるかもしれない。ヴィンスは子どもなりに気を使ったつもりだった。
しかし、それが運命の分かれ道だった。
トイレについたと思った瞬間、ふと電気が消えた。外に出てみても、どこにも光はない。
人々が動いている気配がして、少しすると数人が持っていたライターや携帯電話で光を灯し始めるのが見えた。
ヴィンスも少し怖くなって、その明かりを頼りにデッキに戻ろうとしたその瞬間。
デッキのほうから大きな悲鳴が聞こえた。阿鼻叫喚の様相を呈しているようだ。人々が必死になって叫ぶ声を聞きながら、その声の発信源へ向かうのはひどい恐怖だった。デッキに出てみると街の明かりで少し視界が良くなった。
だが人々はみな一斉にこちらの室内へ向かって逃げてくる。
「ヴィンス! ヴィンスどこだ!!」
緊迫感のある声に呼ばれてヴィンスはその声のする方へ走っていった。すると懸命に自分を探してくれていたレイの姿が見えた。
「ヴィンス!!」
「お兄ちゃん!」
走ってきたヴィンスの体を受け止め、レイはすぐさまその手を引いて走り始めた。
「いいかい、ここから他の人を誘導しながら1階まで一緒に降りるけど、決して離れちゃいけないよ」
レイの言葉にヴィンスは頷く。何が起きているのかわからない。しかし、つないだ手を強く握りしめてレイの後をついて走った。
レイは時折立ち止まって大きな声で人々を1階へ向かうよう誘導しながら走った。
「こちらです! 1階へ、そのまま押しあわず向かってください! 誰かが転ぶとみんなが連鎖して転びますから押しあわないで!!」
走って行く人々はみな憔悴したり恐怖に怯えたり色んな表情をしていた。暗い中を非常灯の明かりだけを頼りに降りていく。非常灯の光がこんなにも頼りになるものだと、ヴィンスはそのとき初めて知った。
人々を誘導しながら走るからレイたちは行列の最後尾の方にいたようだ。人の波が途切れるとレイに腕を引かれて走った。
「ねえお兄ちゃん! まだ奥に人いるよ?」
「ヴィンス、あれは人じゃないんだ。人を食うバケモノなんだよ。みんなそれから逃げてるんだ!」
自分たちの後ろ、暗がりの向こうに人がうごめく気配がした。ヴィンスは思わず振り返る。
走っては壁にぶつかったり、手をこちらに伸ばしながら這いずってくるものもいる。転んでもふらふらと立ち上がり、ぶつかっても痛みさえないかのように何事も無くまたこちらへ向かってくるのだ。
それは確かに、得体のしれない何かだった。それを見た途端、今まで具体的でなかった恐怖がいっきに目覚めた。
やっと1階まで降りたかと思うと、誰かが呼んだのだろう警察や何かの特殊部隊のような服装をした人たちがたくさんいて人々を誘導していた。
ヴィンスはもう一度、後ろを振り返る。あの警察の人達がいるところまで走れば、自分たちは助かると思った。
しかし、ふと振り返った背後、よろよろと近づいてくる人型のバケモノの足元に見覚えがあった。あの星のチャーム。
「お兄ちゃん、あれ……」
「ん?」
レイも安心していたのだろう。ヴィンスが腕を引っ張ったのに振り返った。
「あの星のキラキラ、お姉ちゃんだ」
そう言った途端、レイの足が止まった。
「……ヴィンス、逃げろ。あそこまで走れ」
「お兄ちゃんは……? お兄ちゃんも行くんだよね?」
答えを聞くのが怖かった。しかし、レイは静かにヴィンスの手を放した。
「大丈夫だ、俺も彼女に別れを告げたらすぐ行くから」
表情の読み取れない声だった。けれどまだ子どもだったヴィンスは、その言葉を信じるしか方法がなかった。
「いいからはやく。お前は足が速いから、逃げきれるさ」
そういっている背後から、「扉を締めろ!奴らが来る!」という怒号が聞こえた。
「ヴィンス、早く!」
レイが怒鳴る。ヴィンスは泣きながらかけ出した。まだ何人か室内に、きっとレイと同じような境遇の人達が残っていた。
その人達の横を走り抜ける。ショッピングモールの入り口、自動ドアが目前で閉まる──。
「待て、この子だけでも」
そういって特殊部隊か何かの制服を着た男がドアを閉めるのを止めた。そしてヴィンスに手招きをし、ヴィンスがドアから出るとそのまま抱き上げてくれた。
「お兄ちゃんがまだいるの! 閉めないで! 下ろしてよ!!」
そういって暴れるヴィンスをしっかり抱きしめて男は離さなかった。体格のいい男だった。
いくら蹴っても殴っても、びくともしない。耳元で騒いでも、男は冷静にその扉に背を向けて歩き出した。
「嫌だ!! お兄ちゃん!! 離して! お兄ちゃんが!!」
ガラスの向こうで、レイがこちらを見たのが見えた。そして優しく微笑む。
「お兄ちゃん!!」
微笑んだレイの首元に、"エリナ"が噛み付く。その後のことはもう、見ていられなかった──。




