君が大人になってしまう前に 6
それから数ヶ月。そろそろこの寒い土地にも、暖かい季節が訪れようとしていた。しかし、その暖気は湿り気を持ってやってくる。
ウィルは宿舎の玄関で土砂降りの雨を見上げていた。今日は月に一度の帰宅日だ。BSOCでは全員宿舎で生活しているが、一ヶ月に一度自由に日を決めて帰宅することができる。家族のいる隊員にとっては幸せだろうが、独り身で生きているウィルにとってはあまり意味もない。しかもこんな大雨の中、ここから歩いて10分ほどかかるのにどう帰ればいいのか。
(車、買うか……)
あまり外に出ることもないので不要かと思っていたが、こういう思いつきでふとそんなことを思ってしまう。いつもは軍事車両を乗り回しているから、セダン型は向かないだろう、などと思う。雨を見ている人間は、きっととりとめもないことを考えるのが常なのだ。
「ウィルか? どうした?」
足音に振り返ると、レイフがいた。首を傾げて、こちらを見ている。
「傘がないのでもう少し止むのを待っていたんですが……」
(雨の日にこの人に会うのは、少し気が重い……)
先日大雨の中で訓練をやりたいと主張してぶつかったあの後悔が、頭をよぎる。しかし、レイフの方は何も気にしていないようだった。
そこまで言って右眉を上げてみせる。結局、思うように止んではくれず、一度立ち止まってしまったらこの雨の中を行くのが少し憂鬱でぼんやりしていたのだ。
「すごい雨だよな。お前、家まで歩きだったろう? これ、管理部の事務所にいるダリウスさんが貸してくれたんだ」
「傘なんて、貸してくれるんですね」
「ああ。それで車まで行こうと思ってな。乗ってくか? 俺も今日帰宅日なんだ」
「……ありがとうございます、レイフ隊長」
ウィルは軽く頭を下げ、レイフが開いた傘の下に入った。
「傘、持ちます」
「いや、いいよ。少しだけ俺のほうが背も高いしな」
「……ありがとうございます」
からりと笑うレイフを見ていると、あの日粋がってレイフに衝突しに行ったことの後悔が、じゅくじゅくと痛むような気がする。
(……今謝らなきゃ、もう機会もないかも知れない)
あれからレイフは新人教育や医療チームとのプロジェクトのせいで忙しい。ウィルは新人教育を卒業しエリオットがメンターについているから、レイフとこうして対面で話すのはあの雨の日以来だった。いつも、隊員の前に立っているレイフの、背中を見てばかりだ。
「あの……レイフ隊長」
「ん?」
ウィルは思い切って重い口を開く。
「先日は、すみませんでした。オレ、全然周りが見えていませんでした。こんな雨の中訓練をしたら、犠牲者が出るかも知れないって少し考えればわかるのに……あの頃はまだ未熟で……いや、今もですけど」
「俺の方こそ、きつく当たったな。あまり時間がなくて、きちんと説明してやれなかった」
「……いえ、そんな」
「でもなウィル。確かに、どんな状況もありうる。こういう土砂降りの日だってバイオテロが起きることもあるだろう。最近は不気味なほど奴らの音沙汰もないが、それでもいつだって警戒して、どんな状況でも可能性を考える必要はある。だから、お前が言ったこともすべてが間違いだったわけじゃないんだ」
「レイフ隊長……」
「だから、気にするな。俺にもそういう時期があったよ。俺のそういう時期を知る人もいる」
「そうなんですか」
「ああ。うちの航空部隊を束ねているバイロン操縦士が、俺の部隊の隊長だったんだ」
「……それは知りませんでした」
「散々ぶつかって、かっこ悪いところを見せたよ。今でも思い出すと顔から火が出そうだ」
ウィルの目には大人に見えていたレイフにも、そんな時代があったらしい。BSOCは海も陸も空もすべて自分たちで完結できるよう訓練されている。バイロンは航空部隊のリーダーであり、その下に何人かの専属操縦士がいるのだ。航空部隊はBSOCの中でもやや孤立した存在であるためあまり関わったことはないが、実践になると移動の大半が軍用機になるから関係することも増えるだろう。
「それでもな……バイロンさんは、そんな俺のことを可愛がってくれたよ。今なら、その気持がわかる」
こちらを見たレイフと目が合う。その眼差しは、父親のようで兄のようで、そして愛に満ちた恋人のように柔らかであった。
「……オレにも、その気持がわかる日が来ますか」
「……ああ、来るよ。必ずな」
2人はレイフの車に乗り込んだ。エンジンを掛けると、ラジオが流れ始める。
「最近、かなり実力をつけてきたようだな。エリオットから報告を受けているよ。今にうちの次期エーススナイパーと言っても申し分ない男に育つ、ってな」
「そんな……さすがにそれは言いすぎです」
「でも、実際エリオットの報告書を見てると、そんな気がするよ」
エリオットは同じアルファのスナイパーとして、非常に良くしてくれている。それはプライベートでも、訓練のときもそうだ。
いつもよくしてくれる先輩と、尊敬できる隊長に囲まれ、彼らから心地よくも緊張感のある期待をかけられている。
「でも……できればその期待に、応えたいっていう気持ちはあります」
「……ああ。いつでも頼ってくれ」
「ありがとうございます」
それからしばらく車内にはラジオの音しか流れなかったが、それでも以前のような気まずさを感じることはなかった。