「声にならない詩 ― ノクターン・サイレント」 ep.1-5
部屋の明かりは落とされ、唯一の灯りは、スマートフォンの画面に浮かぶ小さな赤い録音ランプだけだった。その微かな光が、凛の横顔を淡く照らしている。
彼女は机に肘をつき、両手でマイクを包み込むようにして、小さな声で詩を読み上げていた。
「言葉にできない想いは……心のなかで、微かに燃えている……」
十六歳の誕生日を迎え、思い切って自作詩の朗読配信を始めた。それから約一年が経つ。今日も彼女の朗読にあわせて、画面にはリアルタイムでコメントが流れている。
最初は『素敵』『もっと聞きたい』といった、優しい言葉が並んでいた。けれど、いつからか空気は変わっていた。
『またこいつか』『声きもい』『自作詩とか、黒歴史すぎ』
文字の列が刃物のように凛の胸を刺していく。それでも彼女は読み続けた。読まなければ、自分がこの世界に存在している意味が薄れてしまいそうだったから。
そして、その夜。
彼女の心を打ち砕く、たった一言が流れてきた。
『お前が喋ると死にたくなる』
凛の手が震えた。指先の熱がすっと引いていく。
彼女は呟くように、AIアシスタントに向かって言った。
「……やめて」
録音は止まらない。赤いランプが無情に点滅を繰り返していた。
「やめてってば……お願い、止めて……っ!」
声が掠れ、息が詰まる。喉が絞られるように苦しかった。凛は椅子を引いて立ち上がろうとした。逃げたかった。どこでもいい、声の届かない場所へ。
しかし、机の下に伸びた配線に足が絡み、身体がよろめいた。瞬間、彼女はバランスを崩し、床へと倒れ込んだ。鋭い衝撃が喉に走る。
目の前が白く霞み、録音ランプの赤だけが、なおも脈打っていた。
――その後、病院での診断は「喉の損傷は軽度。治癒に問題はない」というものだった。
けれど、喉が癒えたあとも、凛は二度と声を発さなかった。
医師は首を傾げた。「声帯には異常がありません」と。
凛には分かっていた。声が出ないのではない。声を出すことが――恐ろしいのだ。
◇
――午後の風が、落ち葉と一緒に一枚の紙片をふわりと舞い上げた。透月はそれが自分の足元へと吸い寄せられるように落ちてくるのを見て、そっと拾い上げた。
それは、誰かが手書きで綴った詩だった。
『私は静寂のなかで 何度も叫んだ 記憶と夢のあいだで あの日に戻りたいと』
紙の端は少し折れ曲がり、文字は細く揺れていた。だがその不安定な筆跡のなかに、抑えきれないほどの切実さが宿っていた。
透月はしばしその言葉を見つめていたが、やがてゆっくりと胸ポケットへしまい、黙って歩き出した。