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記憶と夢の珈琲店 -A.I cafe Luminous-  作者: 寶井かもめ
第十五話 「旅立ちの桜 ― セピア・メモリーズ」
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「旅立ちの桜 ― セピア・メモリーズ」 ep.2-6


 そんな彼の夢はフォトグラファーだった。


 人の表情や、ふとした瞬間の空気を切り取ることに強く惹かれていたらしい。

 校舎の窓から差し込む光や中庭の草花、何気ない友人たちの笑顔にも、彼は迷いなくレンズを向けていた。


 撮られた側は最初こそ照れていたけれど、現像された写真を見て「いい顔してる」と、みんな口を揃えた。


 やがて誰からともなく、「文化祭の記録は、修星に撮ってもらおう」という声があがった。


 そうして高校二年の文化祭では、わたしがクラスの装飾を担当し、修星が写真係を務めることになった。


 ステージの準備や展示の裏側、ふざけながら作業をしているうちに修星が何気なく言った。


「俺、桜良の笑った顔撮るの好きなんだ」


「えっ、なんで」


「なんとなく。撮るたびに、なんか守らなきゃって思う」


「なんか……やだ。それ」


「なんでよ」


「恥ずかしいってば」


 そんなやりとりをしながら撮られた一枚の写真。ピントが甘くて背景もごちゃごちゃしていたけど、わたしはその写真がお気に入りだ。


「ほら、笑って」


「え、ちょっと待って、髪が……」


 そう言いながら何枚もシャッターを切る修星。 あとで見せてくれたその写真の中には、笑顔のわたしと、撮影する彼の影が映り込んでいた。


「この写真、好きだな」


「なんで?」


「桜良が俺を見てる顔してるから」


 冗談めかしてそう言った彼に、わたしはそっぽを向きながらも頬が熱くなるのを感じていた。


 そして迎えた文化祭当日。記念にふたりで撮った写真。 制服姿で校門の前に並んで、少しピンボケで、でもそれがかえって温かくて、その写真がふたりにとって大切な一枚になった。


 でも、そんな幸せな日々が少しずつ変わっていくことを、この時のわたしは想像もしていなかった。



 高校三年になると、修星はよく空を見ていた。


 夕焼けの色や雲のかたちを見つめながら、時々その空を風景ごとカメラで切り取る。


「空ってさ、毎日ちがうのに、なんで眺めてるだけでこんなに落ち着くんだろな」


「うん……なんでだろうね」


 隣にいるのに彼がどこか遠くを見ている気がして、言いようのない寂しさが少しずつ胸を満たしていった。


 そして、ある日の駅までの帰り道、彼の歩幅に少しだけ違和感を覚えた。


「ねえ、なんか今日歩くの早くない?」


 そう問いかけると、修星は「そう?」と首を傾げて少しだけ速度を落とした。


「ごめん。なんだろ、つい……」


「ううん、大丈夫だけど」


 そう返したけれど、違和感は拭えなかった。──なんか、変だ。


 たぶん、ほんの些細なこと。彼の歩幅、目線、仕草、間の取り方。そのひとつひとつが、わたしの記憶にある修星と、ほんの少しだけずれていた。


 歩幅だけじゃない。言葉の重みも、笑い方も、少しずつ遠くなっている気がした。


 そしてその年の夏、写真部の掲示板に修星の名前があった。


『全国高校写真コンクール 入賞作品』


 見覚えのあるタイトルと、彼の名前。それを囲むように数人の生徒がざわざわと声を上げている。


「修星ってすごくない?」


「プロの人に見初められたらしいよ」


 誇らしくもあり、でも、少しだけ胸が痛む。


「すごいね、修星」


 そう言うと彼は照れたように笑って、後頭部を掻いた。


「たまたまだよ。でも……ちょっとだけ自分を信じてみたくなった」


 その言葉が胸に刺さる。夢に近づく修星。その背中がだんだんと小さく見えていく。


「すごいね」「かっこいいね」と、まわりも彼を称賛する。


 わたしも嬉しかった。ほんとうに嬉しかったはずだった。でも、


「……夢が、近づいてきた気がする」


 そう言った修星の横顔を見たとき。


 わたしは胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。


 ──近づいてきた、じゃない。


 ──遠ざかっていく、だった。


 わたしは夢を持っていない。将来のこともまだ何も決まっていない。ただ「一緒にいたい」という気持ちだけで、彼と同じ大学を目指すつもりだった。わたしには夢がない。だから、あなたの夢を応援するって言うしかなかった。でも本当は怖かった。置いていかれるのが、すごく怖かった。


 彼が空を見上げるたびに、わたしの心は少しずつ地面を離れていくような気がした。まるで取り残されていくみたいだった。


 それからは、卒業アルバム用の写真撮影。 進路希望調査。机に配られた用紙が、急に現実を突きつけてきた。


 クラスメイトが「指定校推薦どうだった?」なんて話している。その中で、わたしはまだ何も決まっていない。


 足音が少しずつ重ならなくなっていった気がした。それは少しずつ、でも確実に、わたしたちの距離を変えていく。


 そんなある日、進路指導の個別相談で担任の先生にこう言われた。


「桜良さんはどうするの? 修星くんと同じ大学に行くって言ってたけど……」


「……ちょっと、まだ迷ってて。自分がどうしたいかを、もう少しだけ考えてみたいんです」


 答えながら自分でも驚いた。ずっと信じていた「一緒に行く」という未来が、自分の口から“迷い”という言葉に変わって出てくるなんて。


 その日の帰り道、修星が言った。


「カメラの道ってさ。やっぱり大変なんだよな。不安定だしさ」


「……うん、だろうね」


「でも俺、やってみたいんだ。フォトグラファーとしてちゃんと現場を知りたいし、いつかは日本以外の大きな世界も見てみたい」


「……そっか」


 本当は、「わたしも一緒に行く」って言いたかった。でも言えなかった。

 それが、わたしのなかで“崩れていく”最初の瞬間だったのかもしれない。



 とある日の午後。ルミナスというカフェの窓際で、修星がふいにわたしの写真を撮った。日差しがレースのカーテン越しに差し込んで、やわらかく頬に影を落とす。


 AI店主のソラさんは、適度な距離感でわたし達のことを見守ってくれているような気がして居心地が良い。わたしたちはこのカフェが好きで、お互いに用事がない放課後になると、この静かで穏やかな空間で笑い合っていた。


「今のめっちゃいい感じ! 見て見て」


 修星がカメラの液晶を見せてくれる。そこには少し微笑んだわたしが写っている。


「え、やだ……ほんとに撮れてたの?」


「うん。ここでの桜良ってほんとにいい顔するよ。俺が好きな顔」


 そう言って笑う彼を、わたしは少しだけ睨んで見せた。


「その言い方、なんかずるい」


「ほんとのことだし」


 ふたりで何杯目かのカフェラテを飲みながら笑い合う。高校三年の秋頃のことだった。今日は受験の息抜きの日と決めて、それから駅前の小さな古着屋で一緒に冬物のコートを選んだ。その帰り道、 お店でもらったショッパーを揺らしながら、修星がぽつりと呟いた。


「……いつかは、こんな時間もなくなっちゃうのかな」


「え?」


「いや、なんでもない。ごめん」


 あのとき聞き返していればよかった。 でもわたしは笑って誤魔化してしまった。


 重ならない足音が、胸のどこかを打つようだった。



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