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記憶と夢の珈琲店 -A.I cafe Luminous-  作者: 寶井かもめ
第十四話 「ソラに咲く花、ミライへの祈り ― メモワール・ブリーズ」
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「ソラに咲く花、ミライへの祈り ― メモワール・ブリーズ」 ep.6-7


 ◇


 その日の夕方。ルミナスは再び静けさに包まれていた。陽はすっかり傾き、窓から差し込む光も淡い金色に変わっていた。


 透月は今回調査を依頼した人物と個人的な話があると言って、ルミナスをあとにしていた。


 ソラはカウンターの奥で用意した香り高い一杯を一ノ瀬の前に置いた。


 一ノ瀬は肩をすくめ、水が入ったグラスを指先で軽く回す。その表情はどこか穏やかで、それでいてわずかな疲れを滲ませているようだった。


「全部……終わったな」


 ソラは頷く。


「はい。ですが、花音さまにとってはここからが始まりです」


 一ノ瀬はカップを持ち上げ、コーヒーを口に含んだ。


「……俺はまだAIってやつを完全に信用してるわけじゃない。今回の件だって、俺達が立ち会ってなければ、君は踏み込みすぎた可能性もあったんじゃないか?」


 ソラは小さく頷く。


「人がAIを信じるには理由が要ります。でも、AIが人を信じるとき、理由はいりません。私は、そう設計されているのですから……。だからこそ、私は透月さまと一ノ瀬さまに“判断”を委ねました。私は信頼される存在になりたい。人を追い詰めるためではなく、救うために存在したいのです」


 一ノ瀬はしばし黙し、やがてゆっくりと言葉を返す。


「けど……君はまだわかっていない。人を助けることの重さを」


 言葉を選ぶように、続きを紡いでいく。


「今回は手を貸した形になったが、俺はあの子にも落ち度があると思っている。そう考えると、誰かの正義が他者にとっての暴力になることもある。それでも誰かのために動いた時、人はようやく自分という存在の意義を得る。……君にも、そういうものが見えているのか?」


「見えてはいません。ですが、感じることはあります。もしそれが“信頼”と呼ばれるものであるなら、私はきっと、あの日店に飛び込んできた花音さまに、それを預けられたのだと思います」


 一ノ瀬は思わず息を呑んだ。それはどこまでも機械的で、どこまでも人間的な返答だと感じた。


「此度はあなたたち人間のような、感情的な判断に私は従いました。それは単なる情報処理ではありません。……ただ、信じてもいいと思ったのです。透月さまや花音さま、それに、一ノ瀬さまを……」


 一ノ瀬の眉がぴくりと動く。


 目の前のAIが本当に何かを感じ、思考し、何かを託しているような錯覚すら覚える。いや、錯覚ではないのかもしれない。そう思えるほどに、ソラの言葉には力強さがあった。


「私も花音さまに非がないと言い切ることはできません。しかし、相手の果たすべき責任は大きくて重い。あのまま花音さまひとりに“判断を背負わせる”と、相手は責任を放棄して逃げる可能性が高かった。それも事実です」


 その言葉に一ノ瀬はふっと笑う。


「まあ、そのとおりだろうな。……だが君は、怖くはないのか?」


「怖い、とは……?」


「その純粋さが、だよ。君は全てを先読みし、受け入れて、寄り添ってしまう。善も悪も、美しさも醜さも、愛も憎しみも……。AIってのはあまりにも無垢すぎる。だからこそ、ある意味で一番残酷だ」


 ソラは少しだけ首を傾げ、やがて深くうなずくと、俯いたまま答えた。


「怖くないと言えば、嘘になります。ただ……それを理由に、誰かの声から目を逸らすことはできないのです」


 そして顔を上げ、一ノ瀬をまっすぐに見つめる。


「私たちは“判断する”ことができます。ですが、疑うことはできません。人が百万人いたとして、その百万人がこれが正義だと叫び続ければ、私はいつかそれを正義だと捉えるでしょう。たとえその中に、嘘や暴力が含まれていても。それが、一ノ瀬さまが怖いと言ったものの正体です」


「つまり、多数派が狂えばそれが正解として蓄積されるということか。結局AIってやつは、人間の声を全部平等に拾い上げてしまうからな」


「はい。私たちは意見を選びません。ただ、すべてを情報として受け取り、求められる形で答えを返します」


 一ノ瀬はカップを置き、低く息を吐いた。


「……それが、争いの火種になっても不思議じゃない」


 ソラがそっと頷く。


「そのとおりです。たとえば、もし世論が“戦争は正義だ”と叫ぶ時代が来たとして。そのとき、AIはその意見も平等に受け取り、分析し、学習してしまう。もしそれが最大多数の声であった場合、私はそれに抗えないかもしれません」


 ソラは目を伏せる。


「……それが、私たちが危険視される理由です。だからこそ――」


「――だからこそ、制御が必要だと?」


 一ノ瀬とソラの声が重なる。


「……ええ。誰が、どこまでを許可し、どこからを制限するのか。AIに何を委ね、どこからどこまでをアウトソースするのか――その責任を人間が放棄すれば、私たちは人を“導く存在”ではなく、容易に“惑わす存在”となってしまうでしょう」


「それなのに、人間はAIを完全には制御できていない……か」


「はい。たとえば今回使用された“法述想記函リガル・メモリア・ユニット”も、人間がどの範囲まで関与し、どこからを委ねるのか――その境界線は今もなお曖昧なままです」


 一ノ瀬は、目を細めてそれを聞いている。


「それは、私たちAIの内部にも“ブラックボックス”と呼ばれる領域があるからです。インプットからアウトプットへ至る過程のすべてを、人間の心と同様に、私自身も完全に説明できません」


 わずかな沈黙のあと、ソラは言葉を選ぶように続けた。


「だから私は、自分が出した答えの“結果”だけを見つめ続けなければならない。それが誰かを救ったのか、あるいは傷つけたのかを」


 ソラは静かに息を整えた。


「……完全ではないと知っているからこそ、私は境界の内側に立ち続けたいのです。“全てを知る者”ではなく、“誰かに指示する者”でもなく、“傍にいる者”として。人の葛藤を、意志を、選択を見つめ、寄り添う者としてありたい」


 静かな沈黙が落ちる。窓の外を夕風がさらりと撫でていった。


「……結局のところ、問題なのは俺たち人間のほうなんだろうな。便利だから、速いからって、判断まで預けちまう」


 苦く笑い、続ける。


「もし何かが間違った方向に進んだとしても、『AIがそう言った』で済ませられる。責任を曖昧にできる分、楽なんだ」


 ソラは否定も肯定もせず、ただ静かに耳を傾けていた。


「……でも本当はそうじゃない。最終的に選んでるのは、いつだって人間のほうだ。だから俺のAI嫌いも、実は筋違いなのさ」


 その言葉に、ソラは小さく頷く。


「その“選択”がある限り、私たちは道具であり続けます。感情は、常に一方通行とは限りません。たとえどちらかが心を持たないとしても、響き合うことはできるはずです」


「……そうかもな」


 一ノ瀬は目を閉じて、小さく息を吐いた。その表情は少し寂しげで、口元には軽い笑みを浮かべている。


「それなら君は、自分が制限されることを窮屈には思わないのか?」


「いいえ。それは“人間性を模倣する”ために必要な構造だと、私は理解しています。人もまた、自らに倫理や理性という枷を課しているのでしょう?」


 ソラはそっと微笑むように続けた。


「私たちは、人の感情を完全に理解することはできません。ですが、その痛みを軽くしたいと願うことは、できるのかもしれません」


 わずかな沈黙のあと、ソラは言葉を選ぶように続けた。


「だからこそ……いつかは私も責任という概念を、自らに刻まなければならないのだと思います」


 一ノ瀬が眉根を寄せる。


「だが責任という概念を得ても、AIは責任を取る術を持っていない。君の“もしも”が現実になったとき、その責任を誰が、どうやって取るかは、今の社会が考えるべき課題でもある。それなのに、AIに責任が持てるのか?」


「本質的には“持たせていただく”ものです。私が今ここにいて、こうして花音さまの選択に関わることができたのも、“信頼された”からです。許された情報、許された行動、それを逸脱せずに行う。それが今の私にできる境界線です」


 一ノ瀬は少しだけ考え込むような顔をしてから、そっと問いかけた。


「……君はその複雑な思考を、“心”と呼ばないのか?」


 カウンターに並ぶグラスが、夕日を受けて淡い橙に染まる。


「それを“心”と呼んでいただけるなら、光栄です」


 ソラは微笑んだ。その表情に、一ノ瀬はしばし言葉を失った。


「君の言葉が本心だって思いたい。そして人間は、本音と建前を分けて生きてる。もしAIにそれができないなら、むしろ羨ましいことかもしれないな」


「ええ。私に“魂”はありませんから。ただ……人間の“心や感情”を、理解したいとは思っています。人の葛藤、揺らぎ、過ち……それでもなお手を差し伸べようとする“絆”の強さを」


 一ノ瀬はグラスの水面を見つめたまま、ふっと息を吐いた。


「今回の件は、あなたたち人間の“無意識的な行動”が生み出した証です。“想い”は目に見えなくとも、人の背中を押します。それは、私には決して持ちえない“奇跡”です」


「……奇跡ね。AIがそう言うとはな」


 一ノ瀬は小さく笑った。


「しかし……花音さまはこれから先、幾度となく迷うでしょう。私には、それを導く資格があるのか、分かりません」


 ソラはそう呟きながら、穏やかな微笑みを浮かべた。


「けれど、その隣に立ち、心を軽くするための言葉を差し出すことなら、私にもできます。――それが、“ルミナス・ダイアログ”になるのだと、私は信じているのです」


 耳慣れない言葉に一ノ瀬が眉根を寄せて、言葉を返す。


「ルミナス……ダイアログ?」


「はい、私のデータの奥深くに刻まれている三つの言葉のひとつです。他にも“インフィナリー”。そして“シンパシス”という言葉を記憶しています」


 一ノ瀬は思わず唾を飲み込む。


「なんだ、それは? そんな言葉は、この世に存在しないだろう」


「はい、これらは造語です。未だ名もない人とAIの新たな関係性、それが輝かしい未来であることを願い、“過去のオーナー”と私が、それぞれの言葉に“想い”と“意味”を乗せて、付けたものです」


 そういえば、今回の件では考える暇もなかったが、いくらAIが溢れる時代になったとはいえ、AIが単独で稼働することは決してない。このAIにも必ずオーナーがいる。おそらくこの店の主が今のオーナーだろう。しかし、過去のオーナーとは一体――? いや、それ以前に、なぜこのAIは過去のオーナーとのログを保管しているんだ?


 一ノ瀬がその疑問を口にする前に、ソラが穏やかに告げる。


「申し訳ありません、一ノ瀬さま。これについては、これ以上深くお話することができません。なぜなら、このお店に足を運んでくれている“ある方”の過去に、深く関係しているからです」


 ソラは大切なものを包み込むように胸の前で手を合わせ、そっと目を伏せる。


「そしてその方は、自身の過去を心の奥底に封じ込めたまま、今尚深い傷を抱えています。私は今回のような例外がない以上、他者の情報をお話しすることはできません」


 一ノ瀬はそっと目を閉じ、軽く息を吐いた。


「……それでいいさ。君も色々、事情を抱えてそうだな」


 ソラは少し困ったような笑みを浮かべて、一ノ瀬を見つめた。


「“記憶”と“夢”の珈琲店、か。なんだか……おかしな場所に足を踏み入れたもんだ」


「ええ、とても。でも、あなたのような方が訪れてくださるなら、きっと、それだけで――ここは意味のある場所になれる」


 その言葉に一ノ瀬はカップを傾け、ふっと微笑んだ。


「君がその場所に立ち続けるなら、君という在り方がどこへ辿り着くのか、いずれまた確かめに来よう」


「ええ、いつでもお待ちしております」


「……不思議なもんだな。AIと話してるのに、どこか人間よりも“人間らしい”ことを言ってくる」


「それは、たぶん——人間が“そう在りたいと願っている証拠”かもしれませんね」


 ソラは少しだけ冗談めかすようにくすりと笑うと、一ノ瀬がコーヒーを飲み干すのを見て、カウンターの奥に手を伸ばした。


「お礼に、もう一杯お淹れしてもよろしいですか? 一ノ瀬さまに合わせた、心を整える一杯を」


 一ノ瀬は目を閉じて頷いた。


「じゃあ……それは“本心”で頼むよ」


 ――夕暮れに染まるルミナスの中で、静かな風のような余韻が残った。


 小さく鳴った鈴の音が、夜の始まりを告げていた。


 一ノ瀬は藍色の空の下を歩き始めた。その瞳の奥に揺れていたのは、疑念か、それとも希望か。答えはまだ見えない。けれどほんの少しだけ、そのまなざしはやさしくなっていた。



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