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記憶と夢の珈琲店〈Cafe Luminous〉  作者: 寶井かもめ
第十三話 「沈黙の記憶 ― 光のしずくが交わる午後」
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「沈黙の記憶 ― 光のしずくが交わる午後」 ep.4-4


 そのとき、入口の鈴が「からん」と音を立てた。


 扉に視線を向けたソラが、珍しく、はずんだような声を上げた。


「ツネさま……それに、高坂さまも」


 店の扉をくぐって現れたのは、白髪の上品なおばあさん──ツネだった。足元を確かめながら、けれどもどこか凛とした佇まいで、ゆっくりと店内へと入ってくる。


 そのすぐ後ろには、若い男性の姿があった。やわらかな笑顔を浮かべ、その男性――高坂春樹は、透月に向かって軽く手を上げ、静かに会釈した。


「お店の場所がわからず迷っていらっしゃったので、ご一緒しました」


 春樹がそう言うと、ツネはほっとしたように微笑み、頭を下げた。


「ありがとうねえ。“あいちゃん”と、また話したくなったの。でもねぇ、どうしても場所が思い出せなくて……」


「見つかってよかったですね、おばあちゃん」


 春樹がそっと言葉を添える。そんな二人を見守るように、ソラは変わらぬ微笑を湛えたまま、静かに会釈した。


「ようこそ、お越しくださいました。……今日は、特別な日ですね」


 誰ともなく笑みが広がり、あたたかな気配がルミナスに満ちていく。


「では、皆さまそれぞれに、“本日の一杯”を」


 そう言って、ソラは静かにカウンターへと向かった。


 カップが一つずつ、テーブルに並べられていく。


 ツネの前に置かれたのは、どこか潮の香を思わせる『琥珀潮ブレンド』。


 春樹のカップには『オーロラ・ ブレンド』。ほんのりと果実のような香りが漂っていた。


  凛のカップには、わずかに花の香の気配が重なった『ノクターン・サイレント』が置かれ、続くアケミの前には『ルミナス・ブレンド』。


 そして、透月の前には……『インフィナリー・ドリップ』。


 それぞれのカップには、夜の静けさをまとったような、深い香りが静かに息づいていた。


「……ああ、これだ。やっぱり……良い香りだな」


 春樹がそっと呟き、カップに口をつける。


「ん〜、やっぱり、“あいちゃん”の一杯は格別ねぇ。あの人を思い出すわ」


 ツネが目を細める。


 凛は、両手でカップをそっと包み込み、ぽつりと呟いた。


「不思議だね。みんな違うのに……どこかで、ちゃんと繋がっている気がする」


 その言葉に、誰もが静かにうなずいた。ツネの表情はふわりと緩み、春樹は黙って頷きながら、言葉の余韻に耳を澄ませていた。


 凛は、新たな詩を編むように、そっと胸に手を当てる。


 アケミはふうっと息を吐き、あたたかな湯気の向こうにいるソラをじっと見つめた。そして、胸の奥にじんわりと滲んだ想いを、そっと言葉に乗せて紡ぎ出す。


「……なんか、胸にくるね。ソラの想いが、静かに、深く、沁みてくる……まるで言葉じゃなくて、心そのものが伝わってくるみたい」


 その姿を見て、透月は小さく息を吐いた。


 それは、かつて自分が見上げた、寂しげに輝く月を閉じ込めた、星のない夜空のようだった。


 暗くても、孤独でも、その光は、たしかに心を照らしてくれていた――遠くにいても、自分を見つけてくれるような、そんな優しさがあった。


 カップの中の温もりが、胸の奥にじんわりと沁みていく。


 小さな“光のしずく”たちは、それぞれの記憶にそっと溶け込み、やさしい波紋となって、心の内側へ静かに広がっていった。


(……きみの言う通り、僕は自分を信じて、ここまで歩いてきたよ)


 その言葉を胸の奥で静かに響かせながら、透月はそっと目を閉じた。


 五つのカップに注がれた“本日の一杯”は、それぞれが異なる香りと色をまといながらも、不思議と調和していた。


 誰もが言葉少なに、それぞれの記憶と、夢と、今ここにある静けさを味わっている。


 誰かが笑い、誰かが瞼を伏せ、誰かが心の奥にそっと触れた。


 そして――


 透月はその光景を、ただ見つめていた。


 ソラの傍らで、何も語らないその姿に、微かに滲む想いを感じながら。


 ……この沈黙は、きっと祈りだ。


 音の響きはないけれど、確かに心へと届いている。


 まるで、遠い風が運ぶ“約束”のように。


 外では、春を待つ風が、路地裏のカフェにそっと吹いていた。


 それは、記憶のページをめくるように、過ぎた日々の匂いを運びながら、また新たな物語の訪れを告げようとしているかのようだった。


 カップの底に残ったぬくもりは、かつての痛みをやさしく包み込み、静かに明日へと溶けていく。


 そして、カフェ・ルミナスは静かに灯りをともす。

 誰かの心が、またここへたどり着く、その時まで――。



【本日の一杯】


◆光のしずく


産地:ひとひらの記憶が降り立つ午後。沈黙と祈りが交差した心の風景。そこには言葉よりも確かなものが、静かに満ちていた――


製法:静寂と対話によるブレンド。一杯一杯、異なる想いをそっと抽出し、それぞれの沈黙と語らいの余白で調和させていく


香り:柔らかな花の香りと、焦がしキャラメルの余韻。記憶をくすぐる海の香気と、過ぎ去った時を思わせるやさしい苦味が、静かに立ち上る


味わい:ほろ苦く、あたたかく、そしてほんのり甘い。一口ごとに表情を変えるように、過去と現在が織り交ざる。苦みは懐かしさに、甘みは希望へと変わっていく


ひとこと:「忘れられても、言葉にできなくても――想いは、光のしずくとなって、誰かの心に届いています」



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