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記憶と夢の珈琲店〈Cafe Luminous〉  作者: 寶井かもめ
第十話 「夜明けに咲く音 ― プレリュード・ブルー」
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「夜明けに咲く音 ― プレリュード・ブルー」 ep.1-4

 夜の街には、どこか冷たい匂いが漂っている。スーツ姿の男たちが群れを成して歩く駅前を、花音(かのん)は小さく息を潜めるようにして抜けた。


 パンプスの音がアスファルトに吸い込まれていく。コンビニの前を通るたび、明るすぎる光が目に刺さった。


 この道を、彼女は何度も歩いたことがある。けれど今夜ほど、足取りが重たかったことはなかった。


『十万出すから、今度は朝まで付き合ってよ』


 最後にスマホに届いたその一文が、ずっと頭にこびりついている。


 初めて会った、ひと回り以上も歳上の男は、終始笑みを浮かべていた。約束の時間ぴったりに現れ、食事もそこそこにホテルへと誘われ、帰り際にはタクシー代を手渡してきた。


 最初はもちろん断った。しかし──、


「メシだけで金がもらえると思っているのか?」「社会を舐めるな」「金が欲しいって言ったのはそっちだ」「時間が無駄になった」「責任をとれ」「金を払え」「それが無理なら体で払え」


 返す間も無く次々と飛んでくる言葉に、得体のしれない恐怖が込み上げ、断ることができなくなった。そして、私は心を殺した。


 まさかこんなことになるなんて、思っていなかった。ただ同じ時間を共有して、一緒に食事をするだけでお金がもらえると考えていたのが、甘かった。


 ──私は、何をしてるんだろう。


 ひとりごとのような言葉が、喉の奥でくぐもった。


 自分の意志で、何かを手放したような気がしてならない。それが何か、言葉にするのが怖かった。


 ◇


 大学四年の秋。花音は、内定を辞退した。親には当然のように反対された。


「これからどうするつもりなの?」


「就職してから考えなさい」


 ──そんな言葉を何度も浴びた。


 でも花音には、どうしても諦めきれない夢があった。


 音大に行きたい。もう一度、音楽と向き合いたい。私の演奏で、人の心を癒したい。


 高校時代からずっと胸の奥にあったその想いを、やっと声にしたけれど、もう遅すぎた。家族は取り合ってくれなかった。


「大学を出てまで、今さら何を言ってるの」


「お金のこと、少しは考えて」


 もちろん分かっている。音大は、学費も時間もかかる。でも、一度きりの人生だ。このまま夢を手放していいのか、答えが出なかった。


 貯金をかき集めても、到底足りない。バイトだけで賄える額ではない。奨学金も、新卒で就職を蹴った人間には難しいと知った。


 そんなとき、ある友人が口にした。


 ──パパ活、って知ってる?


 最初は、そんなの無理だと笑った。でも、夜ベッドに横たわったとき、スマホでその言葉を検索している自分がいた。


 誰にも言わないまま、スクロールした画面の向こうで、現実が静かに形を変えていく気がした。 



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