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記憶と夢の珈琲店〈Cafe Luminous〉  作者: 寶井かもめ
第七話 「再出発の音色 ― シュクレ・セレナーデ」
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「再出発の音色 ― シュクレ・セレナーデ」 ep.5-5

 しばらくの間、三人のあいだに言葉はなかった。だけど、何かが確かに、そこに流れていた。


 やがて、このかがスマートフォンを取り出した。画面を見つめる彼女の指が、ほんの少し震えている。


「……久しぶりに、連絡してみようかな。……あの子に」


 アケミが目を見開く。


「お、もしかして、例の“止めようとしてくれた子”?」


「うん。……でも、もう、どう思ってるかわかんない。わたしのこと、嫌いかもしれないし……」


「だったらさ、聞いてみたらいいよ。このかちゃんの気持ち、ちゃんと伝えてさ」


 ソラが静かに言葉を添える。


「思い出は、あなたの中だけに留まるものではありません。伝えることで、重なることもあります」


 このかは、小さく息を吐いた。


「……なんて送ればいいかな」


「それはねえ……」


 アケミはすっと自分のスマホを取り出して、画面を見ながら考え込む。


「じゃあ、こういうのはどう? 『久しぶり。いろいろあって、距離を置いちゃったけど、本当はずっと感謝してた。ありがとう』……とか」


 このかは、しばらく黙っていたが、やがてふっと笑った。


「うん。……それ、送ってみる」


 小さな指が、慎重に文字を打ち込んでいく。最後に深呼吸をして——送信。


 メッセージが送られてから、数十秒も経たないうちに、返信が届いた。


《心配してたよ! ずっと、連絡待ってた。また会いたいな》


 このかの目に、静かに光が宿った。


 そのとき、外の雲がゆっくりと晴れて、窓辺に一筋の光が差し込んだ。


 ソラがカウンターからそっと声をかけた。


「おめでとうございます。このかさん。……ささやかですが、お祝いの一杯をお二人に、よろしければ」


 アケミがぱっと笑顔になる。


「えっ、それ私も飲んでいいやつ?」


「もちろんです。二人に、特別なミルクティーを——“シュクレ・セレナーデ”。甘い、小さな小夜曲をお楽しみ下さいませ」


 ほどなくして、琥珀色のやさしい湯気を立てた二つのカップがテーブルに置かれた。


 このかが、静かにアケミの方を見つめた。


 アケミは少し照れくさそうに笑って、そっと声をかけた。


「……よかったらさ、乾杯、する?」


「うん」


「ミルクティーで乾杯ってのも、なんか変だね」


 アケミの言葉に、このかがくすりと笑う。そして、二人のカップが、そっと触れ合った。小さく、やわらかな音が、ルミナスの午後に響いた。


 その一音は、まるで再出発の合図のようだった。誰にも聞こえない、小さな決意の鐘の音。


 このかの胸の奥で、何かがそっと動き出す。まだ答えは出せないけれど、少なくとも——今日は、来てよかったと思えた。このかの小さな勇気は、今日という午後に蒔かれた芽。きっといつか、胸の奥でそっと芽吹き、やがて静かに花を咲かせるだろう。


 窓の外では、春の光が街角をやわらかく照らしていた。



【本日の一杯】


◆シュクレ・セレナーデ


産地:遥か霧の彼方、星の巡る高原〈セレナの丘〉で摘まれた幻想の茶葉と、月下に咲く夢見草の莢から採れたバニラ


製法:低温抽出で香りを最大限に引き出した後、ミルクでじっくり煮出す特製チャイ仕立て


香り:紅茶の渋みの奥に、やわらかく甘いバニラとシナモンの香りが重なり、まるで記憶のなかの旋律をそっと呼び起こすよう


味わい:ほんのりスパイシーで、深いミルクの甘みが余韻として残る。ひとくちごとに、心がふわりと緩んでいく


ひとこと:「心の奥に静かに響く小夜曲。甘さのなかに宿る、小さな勇気と記憶のぬくもりが、再出発の一歩をそっと照らしてくれるような一杯です」


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