「再出発の音色 ― シュクレ・セレナーデ」 ep.1-5
通りから一本奥へと入った、静かな路地裏。軒先の木製ランプが、控えめにゆれている。その下にかかる木の看板には、やさしい文字でこう記されていた。
《記憶と夢の珈琲店 カフェ・ルミナス》
木製の扉を押すと、からん——と鈴が鳴る。それは、まるで訪れた者を歓迎するような、あたたかな音だった。
その日、カウンターには三人がいた。店主であるAIのソラと、常連の透月、そしてもう一人——鮮やかな赤いカーディガンを羽織った女性。
「ねえソラ、ぶっちゃけ聞いてもいい? この店のBGM、いつも絶妙だけどさ、もしかしてお客の表情とかテンションとか見て、相手の気分に合わせて選んでるとか?」
冗談めかしたその声に、ソラはやわらかく微笑んだ。
「どうでしょう。気づけば、そうなっているのかもしれませんね」
「わー、それ絶対やってるやつじゃん! 空気を読むスキルってやつ? メンタリング? メンタリストだっけ?」
彼女の名前はアケミ。快活で人懐こく、少しおしゃべりだが根はまっすぐで優しい。過去にルミナスを訪れて以来、何かと理由をつけては足を運ぶ常連客である。
透月が、手元の本をぱたりと閉じる。そして、ため息まじりに言葉を返した。
「アケミさん。それはメンタライジングと呼ばれる対人理解の一種です。……ですが、今は静かにコーヒーを飲ませてくれませんか」
「えー、なにそれ。無口ぶってカッコつけちゃって」
「そういうんじゃありません。……ただ、静かな時間も悪くないと言っているだけです」
軽口を交わしながらも、どこか気のおけない空気が二人の間には流れていた。透月とアケミのやりとりを、ソラは静かに見守っていた。カウンター越しに並ぶその姿は、まるで年の離れた兄と妹のようにも見える。
そんなひとときに、からん、と再び扉の鈴が鳴った。
「こんにちは……」
入ってきたのは、一組の母娘だった。娘は中学生くらいだろうか。長い髪で顔を隠すようにして、母親の背にぴったりとついている。
「いらっしゃいませ。ようこそ、カフェ・ルミナスへ」
ソラが母娘に向かい直し、いつもの静かな微笑みで応える。それは、誰かの不安をそっと受け止めるような、穏やかな光のようだった。
「あの……こちらのお店には、パンケーキとかありますか?」
控えめな声でそう尋ねた母親の目は、どこか切実だった。
「この子が……食べたいって言うものですから。珍しく自分から出かけたいと言ったもので……」
その言葉に、ソラはふんわりと頷いた。
「はい。お時間を少しいただければ、ふわふわのパンケーキをお作りできますよ」
「ありがとうございます。……よかったね、このか」
このかと呼ばれたその少女は、ほんの少しだけ顔を上げた。その瞳には、どこか遠くを見るような影が宿っていた。
ソラは微笑んで、母娘を窓際のテーブル席へと案内した。透月はその様子を見て、静かにカップを置くと、空気を読むように席を立った。
「そろそろ失礼します。……ソラさん、また」
「いつでもどうぞ、透月さん」
「じゃあねー、またねトーゲツくーん」
アケミの陽気な声に、透月はほんのわずかに眉をひそめたが、返事はしなかった。だが、その背中はどこか和らいでいるように見えた。