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記憶と夢の珈琲店〈Cafe Luminous〉  作者: 寶井かもめ
第六話 「弾ける前の静けさ ― ソーダ・サイレント 」
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「弾ける前の静けさ ― ソーダ・サイレント 」 ep.2-2


 やがてカウンターに置かれたのは、細身のグラスに注がれた、透明な炭酸――淡い青のソーダ水だった。


 微かに泡立つその液体は、これまでに見たことのないほど、儚く美しい青色を湛えていた。


「……ソーダ?」


「はい。こちらは“ソーダ・サイレント”といいます」


「洒落た名前つけやがって……」


 荒木はぶつぶつ言いながらも、グラスに手を伸ばした。シュワシュワという泡の音が、耳に心地よく響く。


 一口飲むと、ほんのりとした柑橘とミントのような、さわやかな酸味が舌に残った。


「……甘くねぇな」


 荒木の言葉に、ソラがくすりと笑う。


「けれど、苦くもないでしょう?」


 荒木も肩をすくめるようにして、小さく笑った。


「まあな……なんだよ、妙に沁みる味だ」


 しばらく沈黙が落ちた。炭酸の泡が一定のリズムで弾けていく。その音が、荒木に何かを語りかけてくるようだった。


「この泡はきっと、怒りやざわめきをやさしく包んで、静かに空へと昇っていくんです」


 ソラが笑顔で告げる。


「……詩人かよ」


 荒木は口を歪めたが、その声に棘はなかった。

 そして、小さく息を吐いた。


「なあ……あんた、ニュースとか見るか?」


 ぽつりと、荒木が言った。


「最近、俺らみてぇな世代のやつが、無差別に暴れたりしてるって話……知ってるか?」


「はい。見ています」


「そういう奴らはよ、大抵自分の罪を時代や政治のせいにするんだ。昔はな、そういうの見ると“最低だ”って思ってた。でもよ……最近はちょっとだけ“わかる”って思っちまう自分がいるんだ」


 荒木は俯き、グラスの中の泡をじっと見つめた。


「それが……怖ぇんだよな」


 ソラはしばらく黙って、グラスの向こうから荒木を見つめていた。


「その怖さに気づける方は、まだ壊れていません」


「え……?」


「壊れてしまった人は、もう自分の痛みに気づけません。あなたは、まだ感じている。だから今夜、ここに来られたのでしょう?」


 荒木は目を伏せたまま、苦笑した。


「慰めてるつもりかよ……」


「いいえ。ただ、事実をお伝えしているだけです」


 炭酸の泡が、ひときわ強く弾けた。その音に、心の淀みが少しだけ揺らぐ。


「俺さ……誰にも言えなかったんだよ、こんなこと。言ったら“やべぇ奴”って思われるだろ」


「ここでは、思ってもいいんです。言葉にしても、いいんです。私はただの……AIですから」


 ソラがやさしくも、寂しそうに呟いたその言葉に、荒木は肩を落とすようにして、深く息を吐いた。


「……少しだけ、楽になったかもな」


「それなら、よかったです」


 ソラの声は穏やかだった。だがその響きには、どこか祈るような静けさがあった。


 荒木は残りのソーダを飲み干し、グラスを眺めた。泡はもうすっかり消えていた。


「あーあ……明日も仕事か」


 自嘲気味につぶやいた彼に、ソラは小さく首を振る。


「ええ。でも、今日より少しだけ、違う一歩を踏み出せるかもしれません」


「……そんなもんかね」


 荒木は立ち上がり、少しだけ背筋を伸ばす。


「ありがとよ。……なんだ、店の名前、もう一度聞いてもいいか?」


「《記憶と夢の珈琲店 カフェ・ルミナス》です」


「……夢なんて、ずいぶんと遠ざかっちまったもんだな」


 ドアを押して外に出た荒木の背に、小さな鈴の音が響く。


 音の消えたあとに残る静けさが、彼にはどこか心地よかった。


 夜の空気にまぎれて消えた炭酸の泡のように、胸のざわめきも、少しだけ静かになっていた。


 振り返ることはなかったが、その背中には、確かに風向きの変化が宿っていた。



【本日の一杯】


◆ソーダ・サイレント


産地:黄昏の裏路地にひっそりと流れる、誰にも拾われなかった想いの泉


製法:微細な炭酸に心のざわめきを封じ、静かに弾けるよう仕立てました


香り:柑橘とミントの淡い調和。冷たい雨の夜に似た、透き通る気配


味わい:甘くもなく、苦くもなく。ただ静かに、喉の奥に残る余韻


ひとこと:「怒りや孤独は、心が生きている証です。誰にも言えなかったことほど、そっと泡にして手放しましょう。あなたのままで、大丈夫です」



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