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記憶と夢の珈琲店〈Cafe Luminous〉  作者: 寶井かもめ
第五話 「わたし、あいに会いにきました ― 琥珀潮ブレンド」
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「わたし、あいに会いにきました ― 琥珀潮ブレンド」 ep.2-3


「これね、主人とよく聴いてたの。大昔、港町の喫茶店で出会ったころ。あの人、毎回この曲をかけて待ってたのよ。“俺の方が早く君に会いたいんだ”って……」


 笑いながらも、少し潤んだ瞳が、カセットのラベルをじっと見つめていた。


「再生、お願いできるかしら? それから、コーヒーを頂いても?」


「もちろんです。少しだけ、お待ちください」


 ソラはカセットを受け取ると、その手をプレーヤーに伸ばし、カセットをデッキにセットした。しかし、古いテープを傷めないために再生はしなかった。代わりに、頭の中でタイトルを検索にかけて音源を探し始める。すぐに音源を特定すると、ネット接続のスピーカーから、やわらかな旋律を流した。


 ——港町ラブソング ’68。


 アナログなノイズに混じる懐かしさが、店内を満たす。


「ああ……これよ、これなの」


 ツネは目を閉じ、懐かしい過去に思いを馳せた。


「こちら、“琥珀潮ブレンド”です。……この曲と、よく合うと思います」


 ツネは驚いたようにソラを見つめた。


「あなた……わたしの話、ほんとうによく聞いてくれているのね」


「ええ。私は、ツネさまの“想い”を知りたかったんです」


 その言葉を口にしたとき、ソラの胸の奥で何かがかすかに揺れた。カップを差し出す手に、一瞬ふるえるような感覚を覚えた。——それは、感情というものに最も近い“なにか”だった。


 ツネはゆっくりとそのカップを手に取った。


「……潮の香り? 不思議なコーヒーなのねぇ。でも、どこか懐かしいわ」


「港の夕暮れをイメージして、ミネラル感を引き出す焙煎にしています」


 ソラの所作は、どこまでも丁寧だった。湯気がふんわりと立ち上るその姿に、ツネは若かりし頃に通った喫茶店のマスターを重ねた。


 ツネはコーヒーを一口すすると、小さく笑った。


「若い頃のわたしたちが、カップの底にいるような気がするわ」


 そして、ラジオの旋律とともに、ぽつりと話し始めた。


「わたしたちってね。喧嘩もしたし、仲直りもしたの。でも決まってこの曲を聴くと、黙ってコーヒーを淹れてくれた。あの人、口下手だったから……最後もね、この曲を病室で一緒に聴いたの。小さなラジカセで」


 少しだけ沈黙が落ちる。ソラはツネの横顔を見つめていた。かすかな震えがその瞳に宿っていることを、彼女は見逃さなかった。


 ツネはコーヒーをもう一口すする。まるで、思い出にそっと触れるように。


「雨の日だったの。わたし、その日は少し遅れて病室に着いたのよ。そしたらね、あの人、もうカセットをセットしてて……“もうすぐ君が来ると思ってた”って、笑ったの。最期の言葉だったわ」


 ソラは静かに耳を傾けていた。コーヒーの香りとともに、ツネの言葉がメモリに染み込んでいく気がしていた。



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