第一話 「心が求める一杯を ― インフィナリー・ドリップ」 ep.1-3
“心が求める一杯”を、あなたは信じますか?
それは、誰かが昔、ぽつりと呟いた言葉だった。
名前も、顔も思い出せない。
ただその声だけが、どこか温かくて――不思議と、今も耳に残っていた。
忘れていたわけじゃない。ただ、思い出す必要がなかっただけ。
けれど今夜に限って、その言葉が、何度も胸の奥をかすめた。
雨の音。足音。ひとりきりの夜道。
透月は、足を止めた。
それが“偶然”なのか“必然”なのかを、確かめるように。
——記憶の底に沈んでいた言葉が、静かに灯り始める。
……その灯りが、彼の運命を変えるとは、このとき彼自身も知らなかった。
◇
静かな夜だった。雨が、静かに石畳を濡らしていた。
ぽつりぽつりと灯る街灯の下、透月は、冷えた手をポケットに突っ込みながら歩いていた。
ふとした気まぐれに曲がった路地裏で、彼はその店と出会った。
――CAFÉ LUMINOUS――
木の看板に彫られたその名前は、雨に霞んでほのかに光って見える。
引き寄せられるように、透月は扉を押した。
からん—— 小さな鈴の音が、優しく夜を震わせた。
「いらっしゃいませ」
中は不思議な空間だった。
壁には世界各地の風景を写した絵画。見たことがないような古い珈琲器具が静かに並んでいる。
カウンターの向こうで、ふわりと微笑んだのは、一人の女性だった。 髪は肩にかかるほどの長さで、どこか儚い光を帯びた瞳をしている。
透月は、彼女を見て一瞬だけ言葉を失った。 人間なのかどうか——その境界が曖昧だったからだ。けれど、彼女が柔らかく頭を下げた瞬間、透月はそっと息を吐いた。
どちらでもいい。ここには、静かに座れる空気がある。
「ようこそ、カフェ・ルミナスへ」
彼女は、微笑んだ。
声はどこまでも穏やかで、どこか懐かしい音色をしている。
「……入っても……いいですか?」
透月が戸惑いながら尋ねると、彼女は小さくうなずいた。
「ええ、もちろんです。あなたが求めたものが、ここにあるのなら」
その動きすら、まるで本物の人間のように自然だった。
「ここは、記憶と夢を味わうための場所です。あなたの心が求める一杯を、AIである私、ソラがお淹れします」
「……心が、求めるもの?」
「はい。あなたが今、一番必要としている一杯を」