第二十六話 カニカニパニック
「おお〜、終わったみたいですねー」
リミナの者たちがユエルォトルを狩っている様を、穴の外から眺めていたアステルは狩りを終えたのを見計らい立ち上がる。
「かなり早かったね。個の戦闘能力が高いのか、集団戦が得意なのかな?」
アステルは、手をかざして穴の中央の様子を眺めているメモリーをチラと見ると、持っている記録書を閉じバッグにしまう。
「じゃあ3人とも、下に降りようか」
「はい、分かりました」
そうラナデが返事して立ち上がろうと、地面に手をついて腕に力を込めた瞬間──、
「痛ったい──!」
ラナデが突然叫び声を上げた。
「どうかした? 石でも手で押し込んだの?」
アステルが手を擦るラナデの元へと歩いて行く。そして、ラナデの手を取って見ると、手の甲が出血している。
「ラナ君、怪我しているじゃありませんか。何があったんですか?」
横から見ていたメモリーが聞く。
「分かりません。立ち上がろうと地面に手を付いたら、いきなり……」
ラナデは出血する手を眺めながら答える。
ふたりが話している間に、アステルはバッグから長方形のボトルを取り出す。
「手、出して」
ラナデに手を差し出させると、アステルはボトルの蓋を開け、出血している手に中の水を掛ける。
「うぅ……」
傷口に水が染みるようで、ラナデは顔をしかめる。
「我慢してね」
「あの、これは何なんですか回復薬とかですか?」
「ただの水だよ。何かが付着しているといけないから、少しでも洗い落とさなきゃいけないからね。
それと、掛けたら忽ち傷が治る薬なんてあるわけないでしょ。ゲームやお話の中じゃあるまいし」
そう言うアステルを眺めながら、ラナデは「アステル先輩自体がお話寄りの体の造りしてるんだけどな」と思っていた。
アステルが水を掛けるのを辞め、ボトルの蓋を閉めてバッグにしまう。
「それにしても、何だったんですかね」
ラナデがそう呟きながら自身の出血する手を眺めていると、
「ほれ、それやったのはこいつだ」
と老人がラナデの顔の前に槍先を向ける。
その向けられた槍先を見ると、5㎝ほどの甲幅を持つカニのような見た目の生物が貫かれていた。
「何それ」
アステルはその生物を受け取ると、眺めながら老人に聞く。
「さぁ、知らんな。そこの小僧が声を上げたときにこぃつがおった」
老人の言葉に、アステルは「そう」とだけ返事し、カニのような生物を再び眺める。
茶色い扇形の甲幅。
全身に生えた細かい毛。
縦に長いエメラルドグリーンの目。
口と思わしき部位には顎脚の構造はなく、代わりに付いているのはストローのような長い管と、それを収容するであろう腹部の細長い窪み。
6本の脚のうち、鋏脚部には鋏がなく、代わりに丸く硬い灰色の石のような脚が付いており、最後尾の脚は短く脚先が平たくなっている。
「見た目だけで言えば『ワタリガニ』系統に進化した生物だろうけど、六脚なのと、“打脚部”らしき構造があるからちょっと違いそうかな」
アステルは打脚と呼んだ部位を親指と人差し指の側面で挟むと、圧してみる。
「あれ、思ったより硬いな。オニグルミくらいの硬さはありそうかな」
そう呟き、アステルが少し指圧を強めると、パキッと音を立てて殻にヒビが入り汁を出して潰れる。
そして、潰れた打脚の中から白い紐状の筋を取り出す。
「それ、そのカニの腱ですか?」
側で見ていたラナデが聞く。
どうやら手の出血は止まったようで、メモリーがラナデの手の甲をツンツンと指でつついている。
「多分ね。動いているところも確認したいから、どこかにまだ生きている子が居ないか探してくれるかな?
あっちと合流するのはあっちと合流するのは、もう少し後でにしようか」
アステルはラナデたちに同じ生物を探すよう促し、自身も辺りを見回す。
「分かりました。見つけたら呼びますね」
そう言ってラナデも捜索を開始する。
それを確認すると、アステルは老人の方へ顔を向ける。
「君はどうする? 私たちはやることがあるから、先にあっちに行ってて良いけど」
アステルは老人に聞く。
老人はラナデたちを見て、少し考える素振りを見せる。そして、
「そぅか、では先に行かせて貰うとしよう」
と、老人は槍で体を支えながら、穴の中央へと向かっていった。
「さて、私も探そうかな」
アステルが老人を見送り、捜索を開始しようとした瞬間──。
「アステル先輩、見つけました! って、うわわわわ!」
ラナデは目当ての生物を見つけたと報告してきたが、焦った様子でアステルの元に走ってくる。
アステルは何かあったのかと向かってくるラナデたちの背後を見る。
すると直後、茂みの中から地面を埋め尽くさんばかりのカニのような見た目の生物が、ラナデたちを追って前走りで向かってくる。
「シュメちゃん、流石にあの数はラナ君が危ないので逃げましょう!」
メモリーがラナデとともに向かってきながら言う。
「それもそうだね。血が出る程度の攻撃力でも、全身に群がられて浴びたら骨がボロボロになってしまうだろうからね。
正確にどれほどの威力があるのか私も喰らってみたいけど、それは後でにしようかな」
アステルは「早くおいで」とラナデたちに言い、ラナデたちが来ると先に行かせ、自身はラナデたちの後に付くようにリミナの者たちの居る穴の中央へ向かう。
「んん? どぅかしたか?」
途中、まだ穴の中央に向かっている最中であった老人をアステルは肩に抱える。
「なんだ!? お前ぇさん何をする!」
「耳元で騒がないでよ。ちょっと急ぐから大人しくしててね」
アステルは驚く老人に言うと、老人の体に障らないように極力体を揺らさず足を速める。
後ろでは、カニのような見た目の生物の波が、刻々と穴の中央へと迫ってきていた。
──一方その頃、穴の中央に居たアクア・リタたちは、仕留めたユエルォトルばかりを気にしており、迫り来る生物の波に全く気が付いていなかった。
そんな中、リトがふと視線をアステルたちのいる方向へと向ける。
「……何?」
リトは目を細めてアステルたちの後方の物体によく目を凝らす。
「──っ! 全員、こっちを見る。アステルたちが何かに追われている」
リトはその場に居た全員に呼びかける。
呼びかけられた者たちは呼応して視線を向け、槍を構えて待ち構える。
「リト、追っているというのはあの後ろの大きい奴だな? 先程は良いところがなかったからな、助けに行ってくる」
「このパッソとブッセも行くぞ!」
アクア・リタたちがリトに近付き言う。
「待って、あれは大きいのではなく小さく多い。
アステル《彼》が逃げる程の相手。アステルに負けたあなたや少数で行くのは良い考えとは言えない。ここで待つのが得策」
リトは助けに行こうとしたアクア・リタの前に腕を出して制止する。
「そ、そうか、それもそうだな」
アクア・リタは渋々納得し、他の者たちと一緒にアステルたちが到着するまで待機する。
「早く来るんだ! ここまで凝れば俺たちが迎えうっ──」
アクア・リタがアステルたちに呼びかけている途中で、ブッセがアクア・リタの口元を鷲掴みして止める。
「リタ、ちょっと黙れ。お前らも」
ブッセは全員に声を出さないように指示する。
「どうしたブッセ、怖じ気付いたのならこのパッ──」
「黙れっつったろ」
ブッセはパッソを睨み付け、怒られたパッソは悄気込む。
「…………」
周囲は静かになり、ブッセは何かに注意を払っているのか、眉間にシワを寄せて地面を見つめている。
そして──、
「上、何かいんぜ」
ブッセはそう言うと空を指さし、アクア・リタたちもブッセの指先を追って空を見上げる。が、
「上? 何も居ないぞ?」
「ブッセ、今は冗談を言っている場合じゃない」
ブッセの勘違いだったのか、空には何も居ないどころか雲一つない晴天であった。
「やはり怖じ気付いていたのか、ブッセ! ならばこのパッ──」
「うるせぇ黙れパッソ。何かは分からんけど“何か”は居る。気を付けとけよ」
──アクア・リタたちが話している間に、アステルは逃げながら迫り来る先頭の1匹を掴み、老人を落とさないように生物と記録書を持って書き込んでいた。
「やっぱり、この丸いのが付いた脚は打脚だね」
アステルに掴まれている生物は、アステルの手を打脚と呼ばれる脚で何度も打ち付けており、打ち付ける度に打撃特有の鈍い音が鳴る。
「うーんどうだろ、ラナデ君は出血してたけど、少なくとも打たれた部分はどの箇所でも確実に痣はできそうって感じかな? これは他の子が指でも殴られたら簡単に折れちゃいそうだね」
アステルはカニのような見た目の生物を後方へ放ると、記録書に『アザガニ』と書き込んだ。
「打脚部があるから、正確にはカニではないだろうけど、たまには良いかな。エニフルの子たちが楽しんでる生物クイズのネタにもなるしね」
そう呟き、アステルは記録書をバッグにしまう。
後方から迫る大群に放り込まれたアザガニは、その刺激に反応した他のアザガニに殴打されて殻を砕かれていた。
リミナの者たちとアザガニの群れが衝突するまで、時間にして残り数秒──。
第二十六回 メモリーお姉ちゃんの豆知識!
『アザガニ』について
アザガニとは、別名“打撲蟹”と呼ばれる打脚目・打蟹上科・槌蟹科・丸槌蟹属に分類される肉食性の甲殻類です。
全ての分類に“蟹”という言葉が入っていますが、カニよりかはセミの仲間に近いですよー。
打撲蟹の名の通り、獲物を打脚と呼ばれる脚で殴りつけ、傷口にストロー状の口を差し込んで崩れた肉や体液を啜るという食性を持っており、その対象は自身より大きかろうが小さかろうが見境なく襲いかかります。
アザガニは成体でも甲幅10センチ程と、私たちに比べれば小さい分足下から狙ってくることになるので、気付かず足下まで来られてしまった場合、まず足を潰されて動けなくなったところを、全身に群がられて殴られ続けることになる。というわけです。いやー、かなり恐ろしいですねー。
はいはいそして、アザガニは特定の棲み処を持たず、群れで移動する生態を持っており、先程も言ったとおり獲物とする対象は大きさを問いません。
なので、大半の生物はアザガニの群れの気配を察知すると、いち早くその場から離れ、周辺に巣を作っていた生物は巣を捨てまで逃げ出してしまい、逃げ遅れた生物はもれなくアザガニの餌食となってしまいます。
こうしてみると、捕食方法は違えど周囲の生物にとっての危険性は軍隊蟻に通ずるものがあるかもしれませんねぇー。
……グンタイガニ、なんて言ってみたりして。




