第十六話 汽水域突入
アステルたちは生物が大量に集まる可能性があるからと、オカピパのあとを追って森の中を歩いていた。
暫く歩いていると、流れはないが辺りの水かさが増してきており、膝下程のまで達していた。
水没星の環境に慣れているアクア・リタとリトや、数多なる星での調査経験の多いアステルは、水に足を取られずに歩いていたが、ラナデだけは水の抵抗に負けて時々転びそうになっていた。
「み、皆さん待って下さいよ! 何でそんなに早く歩けるんですか?!」
ラナデが声を大にしていうと、ようやくアステルが足を止めて振り返る。
「歩きづらいなら、1歩ごとに足を水中から出して歩くと良いよ。流れのある場所だと逆に足が取られて危ないけど、こういった流れのない水場では有用だから。
それに、あんまり音を立てられても困るし」
そう言うとアステルは再び背を向けて歩き出してしまう。
ラナデが先を歩くアステルたちの足下を見ると、全く水が跳ねておらず、まるで水がアステルたちの足を避けているようだった。
「アクア・リタさんたちはともかく、何でアステル先輩はついて行けてるんですか……」
「ラナ君、先ずは行動! 経験を積みましょう! お姉ちゃんもお手伝いしますから!」
「……メモリーお姉さんは歩く必要ないじゃないで──」
「ラナ君! 不満を言っても成長はできませんよ! ほら、姉ちゃんの真似してくださいねー」
そう言ってメモリーは、1回1回膝を腹の辺りまで上げた歩く素振りを見せる。
それを見たラナデは観念したように、1歩1歩水中から足が出るまで上げながら歩き始めた。
「──そう言えば、このオカピパ《カエル》を狙ってくる生物には、どんなのが居るの?」
アステルは水中を泳ぐオカピパを眺めながらアクア・リタたちに聞く。
「そうだな、オカピパはもう少し水の深い場所で繁殖を行うから、普段から水中に居るものも居ないものも色々来るぞ。
だが、狙い目はなんと言っても『フフゥトゥック』だな」
「フフゥトゥック?」
「ああ、大きさは差ほど無いが、目がものすごく美味しいんだ」
「そうなんだ、私も食べてみようかな。お腹空いてきたし」
アステルとアクア・リタが話していると、それまで黙っていたリトが口を開く。
「……リタの口は当てにししない方が良い、何でも美味しいと言う。
私は、『ラナトウ』がおすすめ。取ってすぐ食べられる」
「ラナトウか、あれも良いな。だが、すぐ噛んでくる上に歯が鋭いから、深く刺さって痛いんだよな」
アクア・リタはリトの話にうんうんと頷く。
「既に名前があるのは嬉しくないけど、良かった。何も居ない、ということにはならなさそうかな」
ここまであまり生物が見つからず、密かに少しばかり気落ちしていたアステルだったが、ようやく多くの未記録の生物が見つかるかもしれないと気分が上がる。勿論、表情は変わらぬままだったが。
「──水が増してきたな。そろそろ着くかもしれないぞ」
水かさは更に増し、既にアステルの胸元まで水に浸かってしまっていた。もはや泳いだ方が早いまであるだろう。
「一体どんな生物が居るのか楽しみだね」
アステルは頭に付けているゴーグルを目元にずらす。
そして、アステルたちが話していると、ラナデもようやく追いついた。
「どこまで行く気なんですか? かなり深くなってきましたけど……」
ラナデは転けてしまったのか泳いだのか、頭までずぶ濡れになっており、目元に張り付いた髪を手でどかしながら聞く。
「オカピパを見てみてくれ、1匹増えている。このまま増えてくるようなら、この辺りに繁殖地があるということだ」
「オカピパの繁殖地の条件なら、いくら深くても顔までは浸からない。怖がらなくて良い。気になるなら木に上るまで」
「そうなんですか、分かりました」
──それからは、あとを付けている間にどこからともなく1匹、また1匹と増えていき、いつの間にか数十匹を超えるオカピパが集まって来ていた。
水かさはアステルの胸元辺りから変わらず、代わりに辺りの植物に変化が見られた。
「あれ? この辺りの植物、紅樹林になってる……」
アステルは立ち止まると水中から手を出し、自身の指に着いた水を舐める。
「……薄いけど塩気がある。“淡海水”か、どこから混ざってたんだろう。オカピパをじっと見すぎて気付かなかったな」
汽水とは、潮水と淡水が混ざり合った水域のことを言い、その特徴から独特な生物相を形成している。
普段は汽水域に居ない生物にも、繁殖などの生態の一環として利用されることもあり、豊富な栄養素が幼体の成長を促進させる“ゆりかご”としての大きな役割を持っているのだ。
アステルは1本の木に目を付けると、木の中腹から広げた傘の骨組みのように分かれた根を上っていく。
「アステル先輩、オカピパを追いかけなくていいんですか?」
「……」
アステルは聞こえていないのか、黙々と木によじ登っていく。
「これは聞いていませんねー。終わるまで待つしか無さそうですねぇー」
メモリーがアステルの様子を見ながら代わりに答える。
そして、それを聞いたラナデはアクア・リタたちに待って貰うようお願いをする。
「“彼”は色々なものに興味を持つんだな。いつもあんな感じなのか?」
「彼……はい。そう、らしいですね」
アステルはラナデたちの目をよそに、自身の好奇心のまま樹上を動き続ける。
「この木の“支柱根”は頑丈だね。それにかなり広範囲に足が伸びてる」
支柱根。特定の植物に見られる呼吸根の一種で、木の枝や幹から斜めに伸びて地中深くに入り込み、植物を支えるものである。
「まん丸の葉。それに分厚いね、1mm強くらいあるかな」
アステルは葉を1枚取って眺め、半分に折ると葉はパキッという音を鳴らす。
そして、そのまま葉を口に入れて咀嚼する。
「あ、ちょっと塩味があって美味しいかも」
葉は汽水を吸収して成長しているからか薄く塩気があったらしく、創作料理……ではなく、サンプルとして数枚千切ってバッグに入れる。
そして、アステルが葉を採取し、辺りの様子を記録書に書いていると、あるものが目に付いた。
「あれは、この木のつぼみかな? あ、咲いてるものもある、綺麗だね」
更に木の上部を見上げると、生い茂った葉の隙間から卵型のぼみらしきものだけでなく、数多くの海を思わせる青く鮮やかな花が、フジの花のように垂れ下げって咲いていた。
「──シュメちゃーん、少しばかり時間が掛かっているようですが、何か見つけましたかー?」
アステルは木の下で待っているメモリーの声に気が付く。
「ん? そんなに時間掛けたかな?」
近くにあった花に手を伸ばして一房取ると、物音を立てないよう木をゆっくりと降りていく。
「これ、この木の花。中々に綺麗だよ」
そう言って手に持っていた花をラナデに手渡すと、メモリーも近付いて眺める。
「確かに綺麗ですね」
「ですねぇー、お姉ちゃんも青基調の服装でも着てみたくなります。ああでも、そうするとムニミアお姉ちゃんと被っちゃいますね。残念」
ラナデとメモリーが花について話していると、
「さ、花は歩きながらでも見られるでしょ? 行くよ」
と、アステルたちは再び歩き出してしまう。
しかし、アステルは何かを思い出したように「あっ」と声を出して立ち止まると、振り返ってラナデを見る。
「木の名前は『フジヒルギ』だからね。私はもう済ませておいたから、オカピパの繁殖地に着く前にラナデ君も記録しておいてね」
アステルはそれだけ告げると、再びアクア・リタとリトとともに歩き出してしまった──。
「歩きながら見れるとは言っても、水に浸けないようにずっと持ち上げてなくちゃいけないんですけど……」
第16回 メモリーお姉ちゃんの豆知識!
『フジヒルギ』について
フジヒルギとは、別名“垂青紅樹”と呼ばれるキントラノオ目・ヒルギ科・フセバナヒルギ属に分類される、最大約12mまで成長する常緑高木で、花言葉は『忍耐・隠れた自信』です。
汽水域に数多く分布しており、常時水の張っている区域で泥濘んだ地面に根強く繁殖するために支柱根と呼ばれる、その名の通り幹を支えたり、水中から出ている部分で呼吸をするための特殊な根を持っています。
この支柱根は、フジヒルギの幹3m付近から地面に向かってタコ足のように生えています。本数は成長すればするほど増えていきますが、大体10本から20本の支柱根が枝分かれて伸びていますよぉー。
フジヒルギの花は、環境の変化の少ない水没星の乾期、更に乾期の特定の時期にしか咲かない珍しい花です。今回見ることができたのは運が良かったですねぇー。
そして、シュメちゃんが見つけたつぼみ。これは実はつぼみではなくフジヒルギの実でして、花一房の根元部分に種子があります。
成長を終えた花が根元部分へ縮んで丸まっていき、一定期間が経つと萎れた花が落ちてつぼみが現れるのですが、そうなる理由としては、外敵に種子が実に包まれるまで保護しているものだと考えられています。
そう言えば、シュメちゃんがフジヒルギの葉を採取していたようですが、サンプルとして記録研究部にでも提出したのでしょうか?
──ん? 何やらエニフル内が騒がしいですね。様子を見に行かなければならないので今回の豆知識はここで終わりますねー。