第八章 境界線
森のざわめきが遠のいた頃、リリスはまだ薄暗い木漏れ日の中で小さく息をついた。
黙って歩くカインの背中は、まだ遠い。だが、確かな存在感が彼女の胸に残っていた。
「なぜ……俺が、助けなければならないんだ?」
カインは、リリスに向けたのか、それとも自分自身に問いかけたのか、曖昧な声でつぶやいた。
リリスは答えようとして、やめた。
答えは彼の中にあるのだと、なんとなく感じたからだ。
彼は言葉にしづらい感情を押し込め、ただ行動で示そうとしている。
それが、彼なりの「味方」だと知っていた。
「私が生贄と呼ばれても、誰も私のことを知らない」
リリスの声はかすかに震えていた。
「誰も理解しない孤独の中で……あなただけが、“味方”だと言ってくれた」
カインは黙ったまま視線を落とす。
やがて、ほんの少しだけ肩を揺らし、息を吐いた。
「……俺にできるのは、せいぜい、そのくらいだ」
言葉は冷たく響いたが、リリスにはその裏に隠れた強い決意が見えた。
二人は言葉を交わさずに、しばらく歩いた。
やがて森の出口が見え始め、明るい光が差し込む。
「ここを抜けたら、どうするの?」
リリスが小声で訊ねた。
カインは立ち止まり、しばらく空を見上げてから答えた。
「まずは、俺の家に戻る。父に話さなければない」
リリスは不安を抱えながらも、ついていく決心をした。
ふたりの足跡は、静かな森の土に刻まれていく。
過去と未来を分かつ境界を、いま、確かに越えて。