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花の贖罪 笑えと貴方は言った  作者: 雛雪
プロローグ
4/13

第三章 森で待つ人

修正しました8/7

風が木々の間を縫って吹き抜け、深い森の中にひときわ冷たく湿った気配を残していった。 

リリスは、息を呑んだままアダムを見つめていた。

彼は黒い外套をまとい、背筋を伸ばしてそこに立っていた。 

けれど、その面差しにはこれまで一度も見たことのない、哀しみと戸惑いが滲んでいた。

「アダム様……どうしてここに?」

誰にも告げず森に来たはずだったのに、彼が先に待っていた。 

リリスの問いに、アダムはわずかに目を伏せ、風を受けるように首を横に振った。

「君が来ると、思ったから……。

来てほしくはなかった。でも、もしも君がこの森を選ぶなら――止めなければと思っていた」

「止める? どうして? 私が“行く”って決めただけです」 

リリスは、かすかに笑った。それは諦めと、自嘲の入り混じった微笑だった。

「……だって、もう決まっているじゃないですか。あなたとエヴァは、互いを選びました。それなら、私が行くのが自然でしょ?」

アダムの喉が、かすかに動いた。 

何か言いたげに唇を開きかけたが、それを飲み込むように沈黙する。

「私、あなたたちの間に入りたいなんて思っておりません。ただ……誰かが犠牲にならなきゃいけないなら、私がいいって思ったの。あの人を泣かせるより、私がいなくなるほうがずっといい」

風が、二人の間をすり抜けた。 

アダムは顔を上げない。ただ、拳を固く握りしめていた。

「……そんなふうに、何もかも納得して、君は……自分を差し出すつもりなのか?」

「納得なんてしてないです。でも、これが“私の役目”だと思ってます」 

リリスは静かに言った。その声音には怒りも涙もなかった。 

ただ、受け入れてしまった人間だけが持つ、静かな決意だけがあった。

アダムの肩が、微かに震えた。

「君に……そんなふうに思わせたのは、私のせいか?」

「ちがいます」 

リリスはそっと微笑む。その目はまっすぐアダムを見ていたが、どこか遠くを見ているようでもあった。

「私はずっと、あなたがエヴァを選んだって思ってきました。それを責めるつもりなんてなかった」

「君がいなくなるなんて、考えたこともなかった……本当に」 

アダムの声は、苦しげにかすれた。

リリスは、ゆっくりと瞼を伏せた。

「でも、お願いです」 

静かに呟くその言葉は、風にさらわれるほど小さかった。

「せめて……時々は思い出して。 

私のことなんて、すぐに忘れてしまうかもしれないけれど……でも、ほんの少しだけでいいの」

アダムは言葉を返せなかった。 

ただ、彼の目の奥に浮かんだものが、どれだけの悔いを映していたか――リリスは知っていた。

「……忘れるわけがない」 

その声は、震えていた。

「君のことは……死ぬまで、ずっと」


そしてリリスは、森をあとにしてまっすぐに帰った。


――そしてその翌朝、 

リリス・アツィルトは王宮に使いを出した。

「私が、ラフレアのもとへ向かいます」 

そう一筆、署名を添えて。


 

 * * *

 


王城の前に設けられた、儀式の様子を映し出す大きなクリスタル。 

空には紅い月が満ち、映像のなかでは、白い花々に囲まれた巨大な赤い花――ラフレアが、今にもその花弁を開こうとしていた。 

群衆は息を呑み、声ひとつ立てず、その異形の花に見入っている。

銀の髪、赤い瞳の少女。 

リリス・アツィルトは、何も言わずにその花の前に立っていた。 

神聖な台座に、ただ一人。


祈りの声が響き始めた。

聖職者たちが口にする祝詞のりとが風に溶けてゆく。

彼女の胸に、迷いはなかった。 

誰かに止めてほしいと願う心も、もう捨てた。 

その代わりに残っていたのは、ただひとつの想い。

 ――私がいなくなっても、どうか、  

あなたの中にだけは、生き続けていますように。

それだけが、最後に残された希望だった。

やがて、空に鐘が鳴り響く。 

瞬間、天地を裂くような咆哮が森の奥から響きわたり、巨大なラフレアがその花弁をゆっくりと開いた。

リリスの身体は、まるで吸い寄せられるように、紅の中心へと導かれていった。 

その瞳は最後まで閉じられることなく、まっすぐ前を見据えたまま―― 

彼女は、花の中へと、静かに消えていった。

 

群衆の中。 

エヴァは必死に、震える体を支えていた。 

傍らのアダムは、まるで石像のように動かない。 

その目には、どうしても拭いきれなかった悔恨と――深く、静かな祈りが宿っていた。

 

それが、すべての終わりだった。 

そして――すべての始まりでもあった。


リリスが消えたあと、国は徐々に平穏を取り戻した。人々の記憶からも、いつしか、彼女の名は語られなくなっていった。


ーー人々は忘れていった。

けれど、すべてが終わったわけではない。


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