第一章 微睡(まどろ)みの朝
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朝の露がまだ葉を濡らす頃――
アツィルト伯爵家の庭園には、笑い声が弾けた。石畳をかすめる靴音。風が白いスカートの裾をふわりと持ち上げる。
香草と花の香りが満ちたその庭は、二人だけの楽園だった。
「リリス、こっちよ!」
エヴァが振り返る。その銀の髪が陽光を弾き、まばゆく揺れた。
一瞬、リリスは目を細める。――その光に、自分は似合わないと思いながら。
彼女たちは双子――だが、誰もがすぐに見分けられた。
姉のエヴァは、陽の気配をまとう。微笑みは柔らかく、仕草は優雅で、空気までも静めてしまう。
妹のリリスは、月の刃。言葉少なに見えて、意志の強さが瞳に宿る。
同じ髪、同じ瞳――けれど印象は、まるで昼と夜だった。
「そんなに急がないで、姉さま!」
リリスもまた、草花の匂いをまとって駆け出す。二人の白いスカートの裾が、風の中でひらひらと踊った。
今日は、アダム様がいらっしゃる。
それだけで、リリスの胸はひどく高鳴っていた。
口にすることはない。でも、たった一言を交わすだけでも心が浮き立つ。エヴァが話しかけられる横顔を見るのは――少し、苦しくなるけれど…。
広間の階段を下りかけたところで、気配がした。
「おはよう、リリス嬢。まだお支度の途中だったかな?」
声の主は、リリスがまさに思い浮かべていた人物だった。若き侯爵アダム・アッシャー。母方から王族の血を引き、王城にも度々召し抱えられる高位貴族でありながら、その物腰はどこまでも柔らかかった。彼はほとんど自領に居る両親の代わりにと、度々やって来てくれた。
アダムは黒髪をきちりとまとめ、肩に羽織るマントを軽く押さえて一礼した。身なりにも隙はないが、彼の目元には他人の緊張をほどくような穏やかさがあった。
リリスは慌ててカーテシーをし、少しだけ唇を噛んだ。
「……おはようございます。ようこそ、お運びくださいました……」
口にしてから、リリスは小さく唇を噛む。
声が震えたのは、単に礼儀を守ろうとしたからではない。彼が、アダム様だったから――。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。君たちの屋敷は、もう何度も来ているからね」
にこりと笑うその顔を、リリスは真正面から見られなかった。
ただその柔らかさが、エヴァの隣に立っているときには、なぜか自分の方に向いていない気がして――胸の奥が、ひとつ沈んだ。
廊下の奥から、エヴァが現れる。彼女の足取りは静かで、所作には隙がなかった。
アダムの視線が、自然と彼女に向かうのが分かった。
「エヴァ嬢。お変わりないようで、何よりです」
「ええ。今朝も、庭の朝露がきれいで……。お会いできてうれしいわ」
そのやり取りは礼儀正しく、冷静で、でもどこか親密だった。
リリスは言葉を挟めずに立ち尽くす。
やがて、エヴァがちらとリリスを振り返った。
「リリス? どうしたの? 髪に葉っぱ、ついてるわよ」
「あ……」
エヴァがさっと手を伸ばし、リリスの髪を整える。アダムが笑った。
「仲の良い姉妹で、羨ましいよ。まるで太陽と月のように影響し合ってて」
「……ええ。私たち、双子ですもの」
エヴァの声に、一瞬の間があった。
アダムはその言葉を優しく受け止めているようだったが、リリスはなぜか、その場の空気が少し冷えた気がした。
どちらが太陽で、どちらが月と思われてるのかしら。
――姉さまと、私は違う。きっと、初めから。
その思いを打ち消すように、リリスは笑って見せた。
でも、その笑顔が誰に届いていたのか、自分でもわからなかった。
リリスとエヴァは要するに髪と目の色は同じだけど、顔貌は違うってことになります。