冥府総督府の今日の事件!?
室内に紅茶のいい香りが漂う。
「ふむ、さすがはアイゼルネ君。とてもいい香りな訳だが」
給湯室にて紅茶を入れる冥王第一補佐官――アズマ・キクガは、カップから漂う紅茶の格式高い香りに心躍らせる。
メモを片手に紅茶の準備に勤しんでいたキクガは、改めて手元のメモに視線を落とす。
そこには紅茶の入れ方を記した文章が丁寧に並んでおり、お湯は何度のものを使って茶葉を蒸らす時間帯まで非常に細かい。適当にやればここまで豊かな香りがすることはなく、せっかく贈ってくれた紅茶の茶葉を台無しにするところだった。
薬缶を片付けるキクガは、
「今日のお茶請けはクッキーにしよう」
飴色の液体が揺れる紅茶のカップを持ち、キクガは足取り軽やかに執務室へ戻る。
数日前に、現世の視察に出かけた女性職員からお土産としてクッキーをもらったのだ。大切に取っておいたのだが、今日はあれをお茶請けとして摘みながら午後の仕事をこなそう。
クッキーを渡してきた女性職員も「紅茶によく合うんですよ」と教えてくれたことだし、地上で今日も元気に働く息子の同僚が紅茶の手引き書を自作してくれたので早速入れてみたのだ。これは午後の仕事も捗りそうである。
鼻歌混じりに執務室の扉を開け、執務机に紅茶のカップをそっと置く。それから戸棚から個包装されたクッキーをいそいそと取り出して、
「補佐官殿、少々よろしいでしょうか?」
「何かね?」
「あ、休憩中でしたか。すみません」
「構わない」
ちょうどそこへ鳥の顔を模した仮面を装着した職員が、書類を片手にキクガの執務室を覗き込んできた。
見覚えのある書類だと思えば、死者蘇生魔法の申請書である。死者蘇生魔法の申請はキクガが許可を出しているので、書類の不備を確認しにきたのだろう。
職員が差し出してきた申請書を受け取り、キクガは内容に目を通す。
「死因に不備があるように見られる訳だが」
「台帳と照合したんですけど、申請者がその被申請者を殺害しているんですよね。証拠隠滅の為に死者蘇生魔法をしたとしか思えないって言うか」
「死者蘇生魔法のふわっとした知識しか持ち合わせない一般人が、魔法使いか魔女に依頼をしたのだろう。最近、金を積めば死者蘇生魔法の代理申請をしてくる輩が多い訳だが」
キクガは申請書を職員に突き返し、
「君は、この申請をどうしたいかね?」
「出来ればこのまま不受理で通し、申請者には反省をしてほしいですね」
「ではその方向で行こう。『申請理由が台帳と照合していない』旨の理由で送り返しなさい。何か文句を言ってくるようであれば私が対処しよう」
「分かりました」
職員は「ありがとうございます」とお礼を告げてから執務室を立ち去る。
執務室に1人残ったキクガは、少しだけ冷めたことでちょうどいい温度となった紅茶を啜る。華やかな香りが鼻を突き抜けていき、落ち着く味わいに息を吐く。
いそいそと個包装されたクッキーも開封し、1枚を摘んで口に運ぶ。サクッとした歯応えとバターの風味の相性がいい。これは確かに紅茶とよく合うお茶請けである。
クッキーを口に運びながら休憩後にやる仕事の内容を頭の中で整理していた、その時である。
――ちゅどーんッ!!
執務室どころか建物全体を揺るがすような爆発音が轟いた。
「ぶッ」
キクガは爆発音に驚いて、紅茶を噴き出してしまう。
嫌な予感がする、非常に嫌な予感がする。
考えたくはないのだが、おそらくこの爆発音のあとに職員の誰かが飛び込んできて「大変だ!!」と宣うのだろう。悲しきかな、ここまで予測できてしまうとは冥府の仕事にもだいぶ慣れ親しんでしまったようだ。
自分の休憩時間がなくなったことを嘆くキクガのもとに、バタバタバタバタッ!! という荒々しい足音が近づいていた。やはり予想通りである。
「ほ、補佐官殿!! 大変です!!」
「…………またかね?」
「はい、またです!! 申し訳ございません、止められませんでした!!」
キクガの執務室に飛び込んできたのは、顔を溶接面で覆った年若い女性職員である。キクガのように装飾品が限りなく削ぎ落とされた神父服ではなく、何か液体によって汚れた作業着と頑丈な靴だ。
格好が違うということは、彼女は別の部署の職員であるというのが分かる。事実、管轄が違うのでキクガが介入する必要性はないのだが、部署の職員が誰も止められないので同期であるキクガが止める他はないのだ。
深々とため息を吐いたキクガは、
「分かった、すぐに行こう。案内しなさい」
「お手数をおかけいたします!! よろしくお願いします!!」
哀れな女性職員に連れられて、キクガは爆発音が聞こえてきた現場に向かうのだった。
☆
冥府総督府は非常に広い。
キクガは冥府にやってくる死者の魂に判決を下して輪廻転生か、もしくは名府の刑場で生前の罪を清算させる仕事を担っている。だが他の部署の仕事の事情も把握している必要があるので、色々な仕事を請け負っている。
他にも部署はあり、罪人に対して罰を与える『獄卒課』や現世の人間が過ごした生前の記録を正確に書き記す『記録課』など多岐に渡る。それぞれ裁判に関係するのでキクガも仕事の内容は把握しているし、各課の最終的なお伺いはキクガに回ってくるのだ。
その中に『呵責開発課』という部署がある。
いわゆる現場の獄卒が罪人に罰を与える際の兵器や武器などを開発し、その実験などを執り行う部署だ。職員は全て手先が器用で様々な武器や兵器の開発に勤しみ、当然ながら実験も呵責開発課の設定された敷地内にて実行される。
端的に言おう、その実験場の壁が何故かぶち抜かれていた。修理するのが大変そうである。
「オルト、テメェこの野郎!! 絶対に安全だって言ったじゃねえか!!」
「うーむ、やはり獣人は侮れんな。飛び抜けた腕力と身体能力を考慮しなかったから、オレが発明した魔法兵器もドドンと大爆発を引き起こしてしまうとは」
「テメェ本当にふざけんなよ!?」
壁の大穴から怒声と呑気な声がぶつかり合う。
キクガが実験場を覗き込むと、広大な室内は見事に爆発の影響を受けて黒焦げになっていた。割と広範囲に爆発の余波は出たのか、壁は全体的に真っ黒だし天井も焦げ目がついている。床も衝撃で凹んでしまっており、全体的な修繕で果たしていくらになるだろうか。
特に壁の被害は酷すぎる。廊下に面した壁は見事に崩壊してしまっており、瓦礫が散乱している状態だ。職員が掃除道具を片手に集まってきているのだが、果たしてそれで片付くのか。
問題の連中は、黒焦げになった実験場のど真ん中にいた。
「こんなモンを現場で使える訳ねえだろうが!! 俺ならまだしも、部下が使って爆発に巻き込まれたらどうしてくれんだ!?」
「だからお前専用だと言ったろうが、戯け。何だ、そのお耳は飾りか?」
「魔法が使えるのを許されてるからって言っていいことと悪いことがあるぞクソジジイがよ」
「誰がジジイだわざと年老いてる風に見せているに決まってるだろう。オレの手にかかれば年齢など超越できるわ、魔法使いを舐めるなよ」
片方は銀色の毛皮が特徴的な二足歩行をする狼である。狼の獣人――銀狼族と呼ばれる種族の獄卒だ。制服にしているのは白と黒の縞模様が特徴的な囚人服なのだが、何時間も現場を駆け回る影響で動きやすさが重視された格好にいくらか改造が施されている。足元を守るのは素足ではなく、頑丈な革製のブーツだ。
その狼の獣人は、手に破れた状態の鉄槌を握っていた。ぶっ叩く部分が見事に内側から弾け飛んでおり、すでに使えない状態とされている。鉄槌には加速装置らしい円筒が取り付けられており、おそらくそれが原因であることを告げていた。
もう片方は黒色の髪と黒色の瞳が特徴的な、精悍な顔立ちをした美丈夫である。周囲の職員と同じく作業着を身につけて腕まくりをしており、魔法使いと言う割にはキクガ以上に鍛えられている。筋骨隆々とまではいかないが、動く為に鍛えられたものだと推測できた。
夜の闇の如き黒い髪は異様に長く、しかし艶はある。それを三つ編みに結い上げ、青色のリボンで飾っていた。精悍な顔立ちは『青年』と呼んでも差し支えないほどだが、目元にシワのようなものが見える。消えかかっているので化粧か何かだろう。
黒焦げとなった実験場のど真ん中で激しい舌戦を繰り広げる2人を眺め、キクガはため息を吐いた。
「アッシュ、オルト。そこまでにしなさい」
「おう、キクガか。テメェも何かコイツに言ってくれよ、本気で死にかねねえ」
「私が言ったところで彼が聞くと思うかね?」
「いや、思わねえ」
狼の獣人――アッシュ・ヴォルスラムは真剣な表情で否定した。分かっているなら言わないでほしかった。
「オレは少しでも現場が面白い、いや便利になるように日々魔法兵器の開発へ勤しんでいるだけだ」
「今回の魔法兵器の実験は面白かったかね?」
「それはもう!!」
黒髪の美丈夫――オルトレイ・エイクトベルはイキイキとした表情で頷いた。
毎度こうなのだ。オルトレイが開発した魔法兵器に友人としてアッシュが巻き込まれ、そして実験場を吹き飛ばす爆発をして終わる訳である。
吹き飛ばす回数がとんでもなく多いので、呵責開発課だけは異様に修繕費の予算が嵩んでいく始末だ。もう直すのが億劫になってくる。
「オルト、さすがにこれ以上の修繕費は予算がない。今回の実験から実験場の修繕を自分でやってもらうことにする訳だが」
「何だ、そんなことか。魔法の秀才であるオレにかかれば簡単だ」
オルトレイは「ほほいのほーい」と右腕を一振りする。
すると、どうだろうか。オルトレイの右腕の動きに合わせて、あれだけ荒れ果てた実験場がすぐさま修繕されていった。壁は元の状態に戻り、床も凹みが消え失せ、廊下側に作られた巨大な穴も瓦礫がパズルのピースが嵌め込まれていくように元の位置へ戻って繋ぎ合わさる。
掃除中の職員は驚いている様子などなかった。オルトレイの実力を知ってのことである。実際、彼の自由奔放な性格についていけず下剋上をしようとしたところで返り討ちにされた事件が何度も起きているのだ。
オルトレイは自らを『魔法の秀才』と呼称するが、その呼び方はあながち間違いではない。数々の魔法を自由自在に操るその様は、目を見張るものがある。
「かーッ、魔法の使用が許された奴は違うな」
「元より魔法を使う脳味噌がない奴が何か言ってるわ。負け惜しみか?」
「何だとテメェ、ウチの現場で働かすぞ」
「お前は知らないかもしれないが、オレは冥王様直々に現場への立ち入りを禁止されていてな。何か怖がるんだよ、何でだろうな?」
オルトレイはゲラゲラと楽しげに笑い、アッシュは「もうダメだコイツ」と頭を抱えていた。
いや本当に、実力はあるのにどうしてこんなに自由奔放なのか。
爆発させることは当たり前、時には暴力さえ許容する。魔法使いだから頭はいいし魔法の知識が豊富なのだが、キクガの記憶にある魔法使いや魔女とはそこまで身体能力が高くなかったような気がする。
――いや、例外はいるな。息子の旦那様が身体能力の高い魔女だったか。
「オルト、自由奔放な発想は喜ばしいことだが実験場は程々にしてほしい訳だが。君が問題を起こすたびに、君のところの職員が私のところに駆け込んできて可哀想だ」
「ならば力づくでも止めればいいだろう。オレは返り討ちにするがな」
「その精神がよくない訳だが。――ところで」
キクガは赤い瞳を音もなく眇め、
「以前言っていた第三刑場に導入予定の呵責方法は開発できたのかね? まだ計画書すら上がっていない状態な訳だが」
「知らね」
オルトレイはそっぽを向くと、
「気分じゃないからやらない」
「冥府天縛」
「うおおおおお亀甲縛りは止めて目覚めちゃうううううう」
オルトレイを冥府天縛によって一瞬で亀甲縛りにすると、キクガは鎖の先端をアッシュに持たせる。
「アッシュ、冥府総督府を3周ぐらいしてきなさい。これを引きずって」
「あいよ」
「おい、ちょっと待ていくらオレでもさすがにボロ雑巾になるんだけど!?」
魔法を封じる頑丈な鎖に縛られてなお身を捩って抵抗してくるオルトに、キクガは朗らかな笑みで応じた。
「いや何、君には私の休憩時間を邪魔してくれた恨みがあるのでな」
「おおおおい、それ完全に私刑じゃねえかふざけんな【世界抑止】様よお!!」
「アッシュ、その馬鹿を黙らせる為にとっととランニングに行ってきなさい」
「待ってえ!! 靴舐めるから許してえーッ!!」
オルトレイの要求も聞こえず、アッシュがとんでもない速度で走り出してしまう。さすが獣人の身体能力、あっという間に2人が見えなくなってしまった。
数々の職員が奇異な視線をくれてくるが、休憩時間を潰してくれた恨みはここで晴らそう。頼んでいた仕事の進捗状況はだいぶ変更になりそうだ。
キクガはアッシュが捨てた魔法兵器を拾い上げ、
「それで、これは?」
「ああ、第三刑場に導入予定の呵責方法っていうか魔法兵器です」
キクガに通報してきた女性職員が、
「『叩いて潰してまた叩く』という呵責内容なので、では力一杯叩いてもいいようにってことで加速装置付きの鉄槌を作ったんですけど。見事に加速装置が内側から爆発しちゃって、こうなっちゃったというか」
「なるほど」
キクガは納得したように頷く。
一応だが、オルトレイも仕事はしていたのか。それなのに冥府天縛で亀甲縛りにした上に引きずらせてしまったのは悪かったか。
まあでも、素直に報告をしなかったという意味合いでの罰とすれば問題ないだろう。それで解決だ。
「オルトだし、いいか」
「補佐官殿だけですよ、課長にあんな暴力が出来るのは……」
どこか嘆き悲しむ職員に壊れてしまった魔法兵器を預け、キクガは用事が済んだと言わんばかりに実験場から立ち去るのだった。
遠くの方から知った声で「覚えていろ」と聞こえてきたが、無視した。
多分あれは幻聴の類だと思う。
《登場人物》
【キクガ】冥王第一補佐官。一般の獄卒を経験し、叩き上げで冥府総督府のNo.2までにのし上がった実力のある冥府のお役人。愉快な友人関係は楽しんでいるのだが、仕事とプライベートは分けるので同僚には割と容赦はない。休憩時間を邪魔されると根に持つ。
【オルトレイ】呵責開発課の課長。攻撃魔法や魔法での戦闘に秀でた没落一族『エイクトベル家』の当主。身体能力が非常に高く、また優れた魔法の知識も兼ね備えており手足のように魔法を扱う魔法の秀才を自称する。突飛な発想で実験場を吹き飛ばしたりするのだが面倒見はよく家事上手なので、キクガの飯の面倒をたまに見る。
【アッシュ】獄卒課の課長。いわゆる現場を監督する立場にある。銀狼族の族長を務めた経緯も持つのでカリスマ性が高く、身体能力や腕力が非常に優れている。いつもオルトレイの実験に巻き込まれる可哀想な奴だが、実は意外とオルトレイとは馬が合う。喧嘩するほど仲がいい。家族は大事にする方で妻と2人の子供を溺愛している。