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記憶喪失の男

不定期です、だらだら始めます

 

 俺は、少し硬いベッドの上で目覚めた。


 知らない天井をじっと見つめ、そうか昨日は親戚の家に泊まりに来ていたんだった、などと考えてみたが、そもそもそんな記憶はどこにもなかった。

 どうやらここは、本当に俺の知らない場所のようだった。


 むくりと体を起こし、肩や首をゴキゴキと鳴らしてみる。

 まだ体をいわすような歳でもなかろうに、と思ってみたが、これまた自分が何歳だったのか、はたまた自分はいったい誰なのか、全く思い出せないから困ったものだ。


 見覚えのない場所、自分の名前や年齢がわからない。

 この状況を一言で言い表すのであれば、それは一つしかない。


 俺は"記憶喪失"だった。


 とはいえ、"記憶喪失"という言葉の意味が分かるほどには、自分に知識が備わっているのは不幸中の幸いだったかもしれない。

 自分の名前もわからないどころか、一般教養さえ記憶から失われてしまっていたのであれば、もう俺はその時点で"詰み"だった。

 きっとこの見知らぬ場所でぼーっとしながら、無垢に死んでいたに違いない。


 俺に少なからず知識、つまりは"考える力"が備わっているとわかれば、ひとまずこの場所がどこかを突き止めることを始めようではないか。

 意気込みは十分だ。


 さてベッドから立ち上がり、辺りを見渡してみる。

 まずここは、7畳ほどのワンルームであることがわかった。

 真っ白な天井に真っ白な壁。

 扉が一つと窓が一つ。

 机と椅子、本棚。

 それが今見渡せる全てだった。


 窓から外を見てみようとするも、その考えはすぐに打ち砕かれる。

 この窓はすりガラスで外の景色は何も見えなかった。

 しかもなぜかはめ殺し、開けることもできない。

 かろうじて明るい光が差し込んでいることから、今は昼間であることがわかる。


 押してダメなら引いてみな。

 とはまた違うかもしれないが、窓がダメならと、扉を今度は開けてみる。

 扉の向こうは短めの廊下の突き当たりにまた扉が一つ、そして廊下の壁沿いにももう一つ扉があった。

 突き当たりの扉は頑丈な鉄でできていてこちらはびくともしない。

 しかし、小さい開閉できそうな小窓がついていたが、構造上こちらから開けることはできなかった。

 ではと、壁沿いの扉を開けてみる。

 こちらの扉の向こうはいわば水場だった。

 洗面台と、その奥に簡易的なシャワーがあり、その横にトイレのようなものも見受けられた。

 それ以外は何もない。


 ここまで調べてわかったことがある。

 それは、俺はこの部屋から自分で出ることができないということだった。


 押しても引いてもびくともしない鉄製の扉が、どうやらこの部屋唯一の出入り口であることが見受けられた。

 天井もくまなく見てみたが、ダクトに繋がるような通気口なども無い。

 水場に排水溝はあったものの、人が入れる幅でもない。

 最悪の最悪、すりガラスの窓を割ることも念頭においてみたものの、拳でコツコツと叩いてみた感じ、かなり分厚いガラスであることがわかる。

 ハンマーでも割れるかどうか。

 そもそもこの部屋にハンマーに相当するものなど見当たらなかった。


 では何があるのか。

 今のところ家具をのぞいてこの部屋にあるものは、"本"だった。

 本棚に並べられた、計9冊の本。

 背表紙には、それぞれ本のタイトルが書かれており、"不思議なことに"俺はそれらを読むことができた。

 何が不思議なことかといえば、俺はその文字を見るのは"初めて"なのに読むことができたからだ。

 しかし記憶を失っている今、何が"初めて"で、何ができないのかなど考えるだけ無駄な話。

 その辺のことは、追々突き詰めていくとしよう。


 まず適当に一冊本を手に取ってみる。

 タイトルは『植物図譜』。

 どうやらこの世界の植物についての図鑑のようだった。

 本を開いてみると、多種多様な植物の図が解説とともにびっしりと描かれている。

 無論、記憶喪失の俺には描かれている全ての植物が初めて見るもので、これは読みがいがあるとワクワクしながらページをどんどんめくってしまっていた。

 ただ図が羅列されているだけでなく、植物の遺伝相関や、薬品としての効能、可食判断なども書かれており、至れり尽くせりな内容だった。


 次に、『植物図譜』の隣に置いてある本を手に取ってみる。

 こちらは表紙にタイトルは書かれておらず、茶色い革の装丁の本であった。

 『植物図譜』同様、いやそれ以上に、重く分厚い。


「これは...」


 本を開いてみて、驚いて思わず声が出た。

 思えば、目を覚ましてから初めて声を出したかもしれない。

 この部屋にも透き通るように響くいい声だ。

 しかし、今俺はそんなことなど全く考える間も無く、本の内容に目を奪われていた。


 開いて最初のページに、はっきりとこう書かれていた。


 『魔術について』



§



 この部屋で初めて目を覚ましてから一週間が経過した。

 いや、はっきりと一週間かどうかはわからない。

 単純にすりガラスから日光が入ってくれば昼、暗くなれば夜と判断しての一週間であった。

 そもそも今この自分がいる世界に、一週間という概念が存在しているのかもわからない。

 わからないが、何はともあれ一週間が経過した。


 この一週間でわかったことがいくつかあるのでここでご紹介しよう。


 まず、食事が一日三食与えられる。

 部屋の扉を開けて、さらに廊下の突き当たりにある鉄の扉の小窓。

 この小窓が開いてこちらに食事が提供されている。


 食事は体感覚でおよそ6時間のスパンをもって配給されるようだった。

 それも驚いたことに、この一週間、一食たりともメニューが被っていない。

 毎回毎回、主菜、副菜、汁物、何に至っても違う料理が振る舞われるので、おかげでまだ食事に飽きることを知らない。

 おまけに美味(ウマ)い。

 これまた、食材に何が使われているか、そもそもこれは食べ物なのか、当初は存分に疑ってみたものの、口に運べばどれも美味。

 とはいえ一応、調理されていても形のわかる山菜などは『植物図譜』で調べてみたりはしたものの、どれも可食であったことから今はすっかり疑うことをやめた。

 おそらく肉、おそらく野菜、おそらく魚、そんな物を毎日たらふく読書の合間に楽しんで食べていた。

 

 次に衣服。

 これは毎日一着、同じデザインのものが小窓から与えられる。

 また、最初は気づかなかったが、鉄の扉の脇に縦長の引き出しが設置されており、これを引いて中に衣服を入れておくと翌日には誰かによって外側から回収されているようだった。

 そのような意図があるとは知らず、単純に溜まった衣類が邪魔だと思い、ちょうど入れられそうなスペースを見つけたので入れてみたらこれが判明した。

 ちなみに服のデザインは、部屋の壁と同様真っ白で、よく汁物を飛ばしてシミを作っていた。

 動きやすい運動着のような素材でできていて、寝巻きとしてそのまま使える。


 外部から与えられているものは食事と衣類のこの二つだけだ。


 加えて初めから与えられている9冊の本について。

 あれから一週間、俺は食事、睡眠、シャワー、排泄以外の時間はほぼ全て読書に費やしている。

 たった9冊といえど、どれも分厚く、内容も難解なものが多いため、とても一週間で全て読み切れるような内容ではなかった。

 初日に初めて手に取った『植物図譜』に加え、この世界の地理気候について事細かに説明されているものや、生物学、宗教観念、言語などジャンル別に一冊一冊、教養本としてこの部屋の本棚に並んでいた。


 そうした中でも特に時間をかけて今もなお読み込んでいるものがある。


 それは、"魔術"についての書物だった。


 記憶喪失ながら、"魔術"というものはどこか空想や妄想の類であるという認識が、なぜか俺には備わっていた。

 ゆえに、他の書物よりも一段と疑ってかかるようにこの書物に目を通している。

 他の本に比べ、用語も多く、説明もどこか回りくどかったりで読むのにも結構体力がいる。

 しかし、俺はどんどんと魔術の世界にのめり込んでくこととなった。


 読んでいくにつれて、宗教観の介在や、生物との共存に触れている箇所など、他の書物に書かれていた内容に近い記述が多く見受けられた。

 加えて、完璧なまでに奥深い魔術の理論。

 これが妄想の類であるなど、到底考えることはできなかった。


 この書物によれば、魔術は大きく分けて2種類存在するらしい。


 "生体(せいたい)魔術"と"干渉(かんしょう)魔術"だ。


 まずは、無から有を生み出す"生体魔術"。

 なんでも人間の体内のエネルギーのみでは、魔術を具現化するという行為は案外難しいらしい。

 そこで基本的には人間の外部、つまりは自然や環境から"生体エネルギー"なるものを拝借して初めて、魔術を具現化することができるらしい。

 生体エネルギーを使って生み出せるものは、具現化が簡単なものから順に、水、土、風、火、雷、植物となる。

 生体エネルギーを持つ自然の産物は魔術との相性が良く、比較的具現化するのが簡単だとするのが、この書物の云うところだ。


 そしてもう一種類の魔術、"干渉魔術"。

 例えば人間、或いは動物、或いは物質。

 こういった、既に存在する"有"のものに魔術を介して干渉する行為、これが干渉魔術だ。

 人間や動物の傷を癒したり、壊れたものを修復したりすることができるのはもちろん、物体を空中で自在に操ったり、あるいは形状を変化させることも修練を積めばできるようになるとのことだ。

 しかしこちらの干渉魔術は、そのあまりの自由自在さから"縛り"、いわゆる禁止事項がとても多い。


 例えば、人体を破壊する行為。

 人間の傷を癒すことができるということは、逆もまた然り。

 人間の体内のエネルギーに干渉して、内側から破壊するという恐ろしいこともまたできてしまう。

 死に至らしめるほどの人体破壊となれば尚更扱うことは許されていない。


 また、人体を生み出す行為も禁止されている。

 宗教観念に基づく倫理によってこれも行うことは許されていない。

 また、個人が多くの人間を魔術的に支配することで、巨大な軍隊を作り上げることができてしまうのも禁止事項とされている所以(ゆえん)だ。

 どうやらこの世界にも軍隊の概念は存在しているらしい。


 この他にも、干渉魔術には多くの"縛り"が存在し、その扱いには十分に注意を払わなければならない。

 それは、さらに書物のページをめくっていくとより明確なものとして現れた。


「なんだこれは...」


 さらに読み進めていく段階で、ページの大部分がインクのようなもので黒く塗りつぶされている箇所に行き着いたのだった。

 どうやら禁止事項を通り越して、知ることすらも禁止される項目が存在しているらしい。

 改稿ではなく、塗りつぶして情報が隠されていることから、この書物はかなり前の時代の書物であることが見受けられる。

 書物の最後の方のページに至っては、全てが黒く塗りつぶされていたり、ページが丸ごと引きちぎられているところもあり、結局書物全体の半分ほどしか読み進めることができなかった。


 予想はしていたが、強い力を有する"魔術"というものはとても厄介な代物らしい。


 ひとまずこの一週間でわかったことはこれくらいのものだった。

 詰まるところ、ここから抜け出す手段は未だ掴めておらず、本当にこのままここで死んでしまうのではないかと不安がよぎる。


 しかしまだ行動できることがある。

 俺は、いくつか考え事をしながら、また魔術について学を深めるのであった。

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