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第六百七十二話 いつか、必ず

*


 真冬は明けたが、まだ寒さの抜け切らないキンと張り詰めた空気。

 その寒さにやられないように、この日のために買ってもらった服に俺は身を包んでいる。丈夫で動きやすく、なおかつ熱を通さない。濃い緑色が着色された布地は、生活面も考慮して取り計らわれた、せめてもの着飾りだ。


 その上から土色の外套(マント)を羽織り、首元をきつく締め直せば、まさしく冒険者その物だろう。


「……それじゃあ、元気でね」


 後ろからの声に振り返れば、そこに居たのはアセントだった。先程孤児院を出るまで皆から別れを惜しまれ、やっと外に出たはずなのだが。


 アセントはいつもと変わらない瞳をこちらに向けている。そのはずなのに、彼女が憂いに満ちているように見えて仕方が無かった。


「あの男とは、上手くやっていけそうか?」


 突拍子もない質問にアセントが目を丸くして唖然とする。あの男、というのは最近アセントが森の中で一緒にいる男のことだ。ただの十八歳でも、あの雰囲気を見れば密な関係という事ぐらいわかる。


 唖然とする中、アセントの顔はみるみる内に赤くなっていく。こう言うところが初心なのだ、この人は。

 図星を突かれたアセントはきっとぷりぷりと怒って孤児院の方に戻ってくれるだろう。それでいい。


 ――――それがいい。


「……あの人はね、白髪がすごく綺麗なの。人間だけど、エルフの私よりもずっと綺麗で」


 意識の慮外からの言葉に、今度は俺が目を開いた。

 そして、気づかないうちに俯いていた顔が今度こそアセントの姿をしっかりとその内に捉えた。


 瞳は憂いを帯びたまま。しかし、その口元には、微笑を浮かべて。


「少しお節介なところもあるけど、とっても私のことを大切にしてくれているんだって、分かるの。それにいつもは真面目過ぎるぐらいなのに、私が本当にお願いしてることはどんなことでも信じて手伝ってくれて」


 恋慕のような感情が声の端々からにじみ出てくる。彼女はいい人を見つけたのだと、独り身の親に幸せを願う子どものような気分になっていた。


 だが、この違和感は、一体。


「きっと、きっとね、あの人の子どもはすごく可愛くて、いい子に育つわ。あなたにもいつかきっと見せる。だから――――」


 彼女の紡ぐ言葉に、俺はただただ茫然として耳を傾けていた。だがその言の葉の紡ぎが止まった束の間、意識が瞳へと戻り、視界に映るアセントの顔が虚ろなモザイクから鮮明になる。

 アセントの目尻から伝うように、一筋の光が流れていた。


「だから、絶対見に帰ってきてね。コウヤ」


「……」


 帰って、くる。


 俺がこれから進む道は、果てしなく死と隣り合わせの道だ。途中の到達点などない、ただ魔王を、この世界の脅威そのものを打ち滅ぼす道だ。鍛錬した力が、もしかしたら容易く吹き飛ばされ、俺自身も軽々しく命を吹き飛ばすかもしれない。


 もとよりそのつもりだった。俺は、そうするしかないのだと、休む暇などないのだと。


 だが。


 だが、もし、途中で休んでいいのなら、疲れ果て憔悴しきって、その度に戻り、アセントと、彼女の夫と、孤児院の皆と、――――二人の子どもと、寄り道をできるのなら。


「必ず、帰ってくる」


「……うん、待ってる」


 キンと張りつめた空気は、暖かな心をそのままに、戦意を奮い立たせた。

 朝焼けの陽光は葉にその熱を与え、霜が露となって葉先に玉を作る。


 俺の体は、陽に当てられ、淡く輝いていた。

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