第六百九話 激情と理性
「いや、知っているとも。彼は先日我が国に迎え入れた新たな国民の一人だ。当然名前は覚えている」
私の言葉が気に障ったようにすぐさま訂正をするコウヤだったが、その返答が尚更私の疑っていた現実を確実にしていた。
「……ひょっとして、イツが私達と一緒にいた事を知らないのか? 彼が、評議会にまで潜入してフレイ達を誘い込んだことも?」
「む、あれは彼だったのか。貴殿を評議会から抜け出させる一助になっていたとは……何とも不思議な偶然があるものだ」
コウヤは一人感心するような素振りを見せて静かに頷く。
だが、彼の動作も、発する言葉も、何もかもが見当違いだった。言っていることが噛み合わない。何かがおかしい。
なんで、そんな平然と感心していられるんだ? ホークアイが死に物狂いで手に入れようとしていた私を逃した男を、どうしてそんな道端で死んでいる芋虫みたいに扱うことができる……?
……いや、違う。コウヤはイツに無関心なんだ。私達と違って、イツの事を、ただ偶然ついてきていた存在程度にしか思っていないんだ。そうとしか考えられない。だって、コウヤは今の今まで、イツの事を何も気に留めていなかった。
不意に、私の内に形容し難い感情が渦巻いた。
身を焦がしていると思う程に炎が燃え盛り、理性や思考を焼き尽くしていく。轟々と音を立てながら、私のうちからこみ上げてくるような抑え難い何かが押し寄せてくる。
「……」
だが、それを表には出さない。出しては、いけない。
焦るな。私が今最もすべきことは、イツを助けることだ。ここで怒りに駆られたままコウヤに襲いかかりでもしたら、もう一生そのチャンスはないだろう。いくら彼が友好的とは言え、元は評議会議長として私達の旅路に苦難を敷いた張本人だ。敵に回れば、徹底的に私達を始末しに来るだろう。
だから、私は激情に駆られてはいけない。フレイもイレティナも、サラマンダーもウンディーネもここにはいない。私を止めてくれる仲間は誰一人としていないんだ。一人でどうにかしなければいけないんだ。
私は、大きく深呼吸をした。コウヤ目も憚らず、自分の内に語りかけるように、自分だけが世界に存在するかのように、瞼を閉じてゆっくりと冷気を吸い上げ、息を吐く。
冷気が鼻腔に満ち、それとともに頭が冷えていくような感覚を覚えた。内側の炎が、一時静まったような気がした。
イツを、私が助けるんだ。
目を見開き、コウヤの目を真っ直ぐと見た。
「コウヤ……記憶の戻しかたを、教えてくれないかな」




