第五百三十話 メンテナンス中
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「コウヤ〜……早く終わらせてよぉ……」
不満げな女性の声が残響を残しつつ空間に響く。
空間は先程二人座していた場とは異なり、金属の壁と床で取り囲まれたボイラー室のような薄暗い空間だ。
その薄暗い中、小さくしゃがみ込み手元を動かす者が一人いた。彼は顔を下から緑色の光に照らされながら、機械に顔を合わせていたのだ。
だが、女性の声の主では無い。だからと言ってここに二人以上の人間がいるわけでは無い。
「そう急かすな、ブリュンヒルデ。この国の中枢であるお前に不備があってはいけない。時間がある分、ゆっくりと一つ一つ丁寧にやるべきだ」
「うぅ……でもやっぱりくすぐったいよ……」
表情を変えることなく、彼が手元から目を逸らすことはない。
そんな彼に対し、また女性の声が聞こえてきた。この空間にあるオブジェクトは限られている。
女性の声の主は、彼と面と向かい合っている機械であった。
さながら駅前のロッカーにでもありそうな直方体の機体。とても女性の声が聞こえてくるような存在とは思えない。
だが、壁にコードを張り巡らせ薄暗さもあいまり不気味さの際立つ機体こそ、それを払拭するように流暢に、日常的に話していた。
それを承知の上で、彼は機体に向かって話しかける。
「メンテナンスは嫌いか?」
彼の問いに機体は少しどもった後に。
「だって……身体だって自由に動かせないし、“私”もバラバラになってるんでしょ?」
「大部分は置き換えたがお前の身体は鉄混じりだからな。潮風に当てられて錆びてしまう前に月一回のケアが必要だ。意識を移せるようになる前は毎月大変だったろう?」
「それはまあ心臓引き裂かれるよりかは全然マシだよ? でもやっと運営の完全自動化に成功したんだから、私ももうお役御免でいいんじゃないの?」
彼は機体の問いに流暢さを失い言葉をつまらせてしまう。
「む、それは……」
「あれ? コウヤ、なんか変な情報が来たんだけど……」
機体がそう呟くと同時、彼の顔の横にホログラムが現れる。
「どうした?」
「入国所で既に完了していた手続きが繰り返され、歩兵機械による損傷アリ、ナノマシンによる修繕を完了……だってさ。珍しいね」
特に気に止めることもないような、新聞でも読んでいるような口調で機体は彼に告げた。
だが、それに対し彼は手を動かすことすらやめ考え込み始めた。
「ん……? どうしたのコウヤ?」
「恐らくサツキだろう。やっとここに来てくれたか……」
ため息混じりに呟くが、どこか喜びの入り混じっている声だった。
機体も合点が言ったように声を漏らしている。だが彼はホログラムを見て眉を曲げた。
「……ブリュンヒルデ、サツキの姿を捉えた映像は無いのか? 全身でなくても良い。髪だとか、ローブとか……」
「……無いね」
「……まさか」
そう言うと、彼は途端に自分の周囲に多重のホログラムを展開する。
指で触れ目で追い、数秒もした後に。
「……ブリュンヒルデ、歩兵機械を三十台程寄越してやれ」
「え?」
「建設空間に迷い込んでいるんだ……。あそこには長居して欲しく無いのでな」




