第四百八十三話 執念の剣心
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「っ……! ふ、うっ……!」
夕暮れ時の山の中に、少女の息遣いが響き渡る。
だが、その声の元は遥か上空からだった。およそ十メートルはあるだろう大樹の、太い木の枝。
己が見上げるそこには、年端も行かぬ少女がぶら下がっていた。否、それだけではない。
つい先日できてしまった、一生残ってしまうほどの腹部の大怪我、その生傷を包帯の内から覗かせつつ、少女は自らの腕と腹の筋肉を使い、身体を持ち上げていた。
その一挙一動が重苦しく、痛々しい。少女の手は限界とばかりに悶える如く震え続けている。しかし少女の顔に、辛いなどという感情は決して見えなかった。
目を見開き、歯を食いしばり、顎から額にかけて朱色に染め上げ、ただ一度でも多くと、遥か遠くの空を睨み自身の身体を持ち上げ、ゆっくりと下ろす。
次なる動きが始まろうとしたその時、唖然として見つめていた儂は不意に我に帰った。
「なっ……何をしておるんじゃ! やめんか!」
己で言った事でありながら、そう叫ぶほか無かった。
少女は儂の声を聞くや否や限界まで開いた目玉をギロリとこちらへと向け、腕を枝から離し、飛び降りる。
十メートル上からの落下に儂は声を出しかけた。
だが、目の前には、儂の身長となんら変わり無い、ただの一人の子どもであったはずの少女が、手を、腹を血塗れにし、ただその場に、立ち尽くしていた。
「……ヴィリア……お主は、一体……」
「私は、ただの小娘です。肉体は脆く、経験は浅く、知識の無い、むしろ、他人よりも力が劣る七つのスキルを持つ半端者」
言葉を放つ少女に、儂は目を見開く。言葉遣いによる物では無い。言葉遣いは多少変われど、普段よりこのような物だ。異なっていたのは、彼女の、目だった、顔つきだった、声色だった。目をつければ、一つ一つに違いが見える。しかし、そのどれかが目を見開く理由になるかと言えば、違う。その逆。
何もかもが変わり、彼女を形作っていた。まるで子どもから大人になったかのように、決定的に彼女は変わっていた。
「……先程、お主は儂の弟子になりたい、と言っていたの」
「はい」
「何故じゃ? 儂などただの老人。それほどの腕力を持つお主に教えられる事などないも無いのじゃぞ」
力を欲する者にとって、儂など用無しも良いところ。勘違いをしているのではとも思い、儂はそう聞いた。
ヴィリアはただ、静かに儂を見つめ。
「私は昨日まで、自分の身体を鍛えるような事はありませんでした。この腕には、十歳相応の筋肉しかついていません。現に、筋肉の大部分が断裂しかかっている事が伝わってきます」
「な……。だったら、何故、あんな事を……」
「心の剣です」
うろたえる儂を一喝するかの如く、真っ直ぐとした声でヴィリアは儂へそう告げた。
儂が目を丸くし理解できないまま、ヴィリアは言葉を重ね。
「私は今、執念で鍛えた剣心で一時間懸垂をしました。心の剣とは、その人のあり方です。鍛えるには、心によるものしか出来ません。武力など、剣心だけでどうにでもなるのです。大切なのは、知識を得て、経験を重ねることです。それは、貴方様の所でなければ不可能なのです」