第四百五十三話 進む
「……」
私の言葉に、フレイの返答は無かった。彼女は表情すら見えないほど深く俯き、それ以上は語らない。
何も言わないと言う事は、反論ができないと言う事だ。
それを見届け、私は闇を徐々に芦名の頭上へと近づけていく。上の木から舞い落ちる木葉が闇に飲み込まれた。空間と立体的に接する闇はその輪郭を虚ろに、ゆらゆらと黒い炎の如く空間に、ただ在る。
闇が一瞬通り過ぎると、雑草の群れは呑みこまれ、中には一部分だけが残り異様な形状となる草もある。
横から、上からと、闇が芦名の頭部を包むように囲い、彼の髪に触れようとしたその時。
「……フレイ、顔を上げて」
闇の動きはピタリと止まり、代わりに私の口が動いた。私の視線は芦名を呑み込もうとする闇に向けられていたが、意識は、フレイへと向かっていた。
フレイは顔を上げたらしく、彼女の音が鮮明に聞こえる。
顔を上げた彼女に、私は。
「フレイ、泣いてもいいんだよ」
「……いえ、泣く、必要、は……ありません」
フレイははっきりとした語調で返答する。だが、その声色は今にも溢れ出てしまいそうなほどに、震えていた。
さっきの私と同じだ。別れることを恐れて、それを直視することを拒否してしまう。でも、それでは駄目なんだ。それでは別れた事にならない。いつまでもフレイは亡霊に囚われ続ける。だから、私も芦名がしてくれたように……フレイに顔を上げさせる。
「……一緒に観ましょ、フレイ」
「私達も、別れはしっかりするわ」
フレイの横にウンディーネが座り、サラマンダーが寄り添う。私なら泣き出してしまうところだが、フレイはそれでも泣かなかった。唇を引き締めグッと堪え、目尻に現れる煌めきを拭きもせずに芦名の顔をジッと見続けていた。
潮風が、流れてくる。太陽の光が、梢から降り注ぐ。今日は天気の良い、何をするにもいい日和だ。
……だが、私達は、雨が降り仕切ろうとも明日を求める。そのために、今日が辛いものにかわろうとも。
「『無限』」
一瞬にしてローブの内側から溢れんばかりの闇が周囲を埋め尽くす。潮風も、光も、全て闇に呑み込まれる。だが、漂う闇は一点に収束していく、芦名という一点へ。霧のように漂っていた闇は今や一陣の風となり、芦名を、くるんで行った。
「っ……! アシ________」
フレイの堪らない叫び声が聞こえてきたその時風は、芦名を完全にくるんでいた。最早、彼の顔は見えない。元より、何もかも。
風は一点に集中すると、内へ内へと、中の物ごと巻き込んで互いが互いを呑み込む。風は、数秒もしない内に消え去った。
「っ……! 芦、名……!」
そこには、何もない。本当に、何も無かった。
我慢の糸が途切れてしまったようにフレイは草むらのあった地に手を突き、乾いた土塊を湿らせる。私は彼女に見せつけてしまったのだ。人に、もう二度と会えないという実感を。必要だが……それから立ち直るのは、一人では難しい。昔の私が、そうだったように。
ウンディーネもサラマンダーもイレティナも、泣きじゃくるフレイの元へ寄り添い共に地を見つめた。それが自分たちができる最大限のことのように。
……しかし、私は。
「……行こう」
「……え?」
そう言い、立ち上がった。
フレイは涙を流しながらも私を見上げ、私の後ろ姿を瞳に映す。そんな彼女に、私は振り返った。
「芦名の意志は……受け継いだ。でも、私達の旅は変わらない。行こう」
私が言ってあげられる物は、これだけだった。だが、私の存在はこれに限る。
私の白いローブが翻り、裏側は暗く、深い闇だ。だが、そこには無数の星々が輝いていた。




