第二百九十二話 実情
『万物理解』は、あまりにも冷徹に、その言葉を私に告げていた。
ここは……エブルビュート、エヴァーが統治していた国。
彼は、十万の兵と共にエルゲとヘイハチが率いるあの国を攻め滅ぼそうとし……私に倒された。
つまり、ここには統治者がいない。……まあまだ二週間と経たないうちだし、しばらくもすれば新たにそこらの重臣が玉座に着くと思うけども……。
あまり、居心地が良いものでは無い。ホークアイに言われた言葉が、私の頭をよぎった。
『あなたはその国の実態など知ることもなく、ただ淡々と支配者を殺していったのですから』
今目の前にあるのが、ホークアイの言うその国の実態だ。
彼らだって『死神』の話は知っているだろう。……とてもじゃ無いが顔なんて見せられない。
そう考えていると、フレイが訝しむ様な表情をして下を見下ろしていることに気づいた。
「変ですね……ヨシタツと言えば、私が迎え撃った敵の一人です。あれから二週間経っている訳ですから今更情報が来ると言うのも遅い気がしますが……」
「多分だけど、情報があまり行き届いて無いんじゃないかな。
十万も軍を抱えているのに、こんなに文明の発達が遅れている地域があるとはね……」
私の言葉に、フレイは若干納得したような表情を見せる。
……しかし、今私の言ったことが正しいとして、どうやってここに伝わったんだ?
商人? ……いや、そんな影はどこにも無い。むしろ、どちらかと言うとここは西部劇にでも出てきそうな空気感だ。
と、すれば……旅人か、役人か。
どちらにせよ、やはりここが田舎だと言うことに変わりは無___
「やめてくれっ! それまで取られちまったら俺たち食っていけねえよ!」
「うるさい! 命令は命令だ!」
その時、路地から私の耳に二つの大声が飛んできた。
一つは、野太い男の声、もう一つはまだ声の高い、少年の声だ。
「何だ……?」
声の聞こえる方へと首を向けると、そこには先程まで目に止まっていなかったリヤカーの物が有った。
そのすぐ横では、樽を両手で持ち上げようとする男と、それを離しまいと縋り付く少年が揉み合っている。
「あれ……何をやっているんでしょうか……? 止めに入った方が____」
「駄目だ。……私達はあれに手を出しちゃいけない」
あの男……衣服がちゃんとしている。それに物を大量に詰められる様なリヤカーとさっきの“命令”って言葉からして……先程言っていたばかりだけど、あれはきっと役人に近しい立場の人間だ。
となれば彼がああしているのは巡り巡って私のせいになる。
それなのに、彼がしようとしている事を私が止めるなんて言うのは、あってはならない事だ。
可哀想だけど……あれは見過ごすしかない。
「やめろよっ……! やめてくれ! 五年かけてやっと集まったんだ! それがあれば俺たちはっ……!」
「良い加減喧しいぞ小僧! そんなに返して欲しいのなら……!」
その言葉と同時に、男の横へ細身の男がリヤカーの荷台から現れる。
細身の男は少年の掴んでいた樽を軽々と持ち上げ、それと同時に少年が宙に放られてしまう。
「あっ……おい! 何すん____」
その次の瞬間、少年の頭に樽が叩きつけられる。
木材が折れる様な音と、激突する様な音が辺りに鳴り響き、少年は地面に身体ごと投げ出されてしまった。
「っ……!」
樽に開いた穴から僅かに粉の様なものが溢れる。
しかし、それでは飽き足らず細身の男はもう一度振りかぶり、倒れた少年の背へとその樽をぶつける。
「ぐあぁああっ!」
今度は先ほどよりももっと激しい音がなり、木片がバラバラと辺りに飛び散る。
周りに人はいたが、誰も動こうとはしていなかった。……当然だ。
「もう一撃喰らわしてやれ! 二度と生意気な口を叩けない様にな!」
そう男が叫ぶと、細身の男が再び樽を持ち上げる。
少年はなおも震えながら顔を上げ、その樽へ手を伸ばそうとした。
「か……えして……」
「くどぉいッ!」
その言葉と共に、最後の一撃が振り下ろされようとした瞬間。
「……あ?」
樽は空中で砕け散り、攻撃は空振りに終わった。
代わりに、そこに居たのは……
「分かっちゃいるけど……見過ごせないよ!」