第二百九話 跳躍と神秘
「任せて! えいやっ!」
私が言い終わるよりも先に、イレティナは私の翼を踏み台にして飛び上がり、イレティナは天井に一瞬足をつくと、獲物を捕らえるカワセミの如く一直線にマントの人へと突撃していく。
イレティナはまさか、あのマントの人に突っ込んで捕まえるつもりか……?
確かに、イレティナなら出来るかもしれない。彼女の脚力を持ってすれば、少しの距離等簡単に縮められるだろう。
だが……それは相手が止まっていれば、の話だ。
マントの人は今、動いている。つまり、今現在目にしているマントの人の位置に向かってイレティナが突っ込んで行ったとしても、すでにそこにあの人物は居ないのだ。
予想しようにも割り出す数が多すぎる。マントの人の秒速、イレティナ自身の秒速……こんなことを一秒程度でできるとは、とても信じられない。
しかし、そんな風に止めようとしても、もう行ってしまったイレティナを止める事ができない私の悔やむ気持ちとは相反して、イレティナは全力で進み続ける。
その素早さは方向が下に向いている事も相まってか、一瞬私達の遥か後ろにおいて行かれたにも関わらず、『仮神翼』を抜く物だった。
だが、それだけでは無い。
イレティナの突き進んでいく先には、何も無かったのだ。
……いや、正確には、未来には有った。
「ま、まさか……!」
私は不意に驚愕の声を漏らす。そのまさかだった。
イレティナが進んでいけば行くほど、マントの人もそこに吸い寄せられるように駆けて行く。
イレティナは、あの一瞬で予想していたんだ、自分自身がマントの人とぶつかることが出来る地点を。
「やああああっ!」
イレティナは雄叫びに似た声を上げ、両腕を広げる。
獲物が確実にくると分かっている狩人が銃を構えて待つように、漁師が地引網を海に落とすように。
それらとの差は、判断力とスピードだ。彼らは前例があり、時間があるからこそ、それを待ち構えることができる。
しかし、イレティナには前例も無ければ時間も無い。
その筈なのに、彼女は確かな自信を持って来るはずの捕まえるべき相手という獲物を待ち構える。
待ち構えた時間は精々十分の一秒。
そして、次の瞬間、彼女の目の前に会ったのは黒いマント。
獲物は、訪れた。
しかし、次の瞬間。
最早、捕らえる事は確実に思えたイレティナの腕の先で、マントが翻る。
マントの裏側は、夜空のような漆黒と、煌く星空のような光が混じり合い、とても神秘的な物で有った。
一瞬それに目を取られ、イレティナが視界から消えてしまう。そしてそのマントの裏側が翻り切り、その先にあった物は。
「え……」
誰がその声を漏らしたのか、もしかしたら私だったのかもしれない。
イレティナも、マントの人の姿も無く、有ったのは白く、巨大な塊だけだった。