第百八十話 盲点
マナティクスは、いかにも当たり前だと言わんばかりに、浮いているのにも関わらず姿勢を崩す。
私の質問への返答は無かったが、イエスだと言うことはわかった。
しかし、まだ私の持つ疑いは晴れていない。
私には……彼、ディオトルが生きているとはとても思えないのだ。確証などないのに、確かに感じる何かが私の中にあるのだ。
「祭祀長様が生きている? ……私の前で戯言を言うな。だったら何故ここに倒れた祭祀長様がいる?」
ヴィリアは鼻で笑い、マナティクスを一蹴する。
嘲笑するような言いぶりではあったが、彼女の顔は口の端まで些かも笑ってなどいなかった。
“軽々しく口にするな”、ヴィリアから、マナティクスに向かってそう言っているようであった。
しかし、マナティクスは物言いたげな目をして、ため息をつくと。
「……脈拍は確認したのか? 呼吸は、血色は?」
「……」
マナティクスの言葉を聞くと、ヴィリアは表情をガラリと変えてすぐさまディオトルの方へ跪く。
ディオトルの顔を見下ろし、ヴィリアは瞳を細かく揺らすと深く呼吸をした。
そうして、ゆっくりと彼の手を取り、指を当てると。
「……!」
一瞬にして、ヴィリアは神妙な顔つきから、愕然とした、何か決定的な事実を得たような表情へと変わる。
……まさか……!
「……ある。小さい物だが、確かに……脈が」
震える声で、ヴィリアはそう呟く。
彼女が顔を少し上げると、そこには目から伝って頬に流れる一筋の物が光っていた。
……生きて、いたんだ。ディオトルは、死んでいなかったんだ!
私はその事実に安堵を覚え、イレティナの背で僅かに脱力する。
不意に、イレティナの嬉しそうな声がか細く聞こえたが、感じ取れたのはその声色だけで、言葉までは聞くことが出来なかった。
私も、ヴィリアと同じくらいに嬉しいのだが、目から涙が出てくるような感覚は覚えない。
実感が、湧かないのだ。あまりにも唐突すぎて。
「この男……血液不足だな。死に至るほどでは無いが、ギリギリのラインで留まっていると言ったところだろう」
マナティクスはふんぞり返ったような姿勢でディオトルを一瞥するとなんでも無い独り言のように呟く。
しかし、ヴィリアはマナティクスの方へ首だけをやり。
「……血液? 何故、祭祀長様が血液を……? ただ、今この机の上に載っている男の治療をしていただけだろう」
訝しむように、心の底から不審げにそう問う。
……私にディオトルが治療できるかもしれないと言うことを伝えたのはヴィリアだ。
そもそも、あの時私に言っていた時点で、彼女はこうなる事が予測できていたはずなのだ。
……なのに彼女は今、何も知ってはいない。つまり……
「ヴィリア……知らないんですか? ディオトルさんの……祭祀長の治癒の仕方を」