全てを払い除けた、そこにあったモノ
七度、月が太陽を追った時ーーグラーズは再び老人の前に姿を現した。
地平線まで広がる世界は静まり返り、そして淡く霞みがかった月が二人を見守っていた。
「……明日は、雨のようだな」
その日も老人は、何時もと同じ場所に腰を降ろして空を見上げていた。
「……お月様と太陽様が一緒に居られないのは、お互いを嫌ってるからだって」
グラーズは老人の隣に座り込むと同じく月を見上げた。
「なんだぁそりゃあ」
老人は呆れたように溜息を吐く。
そしてグラーズは口を開けた。
「爺ちゃん、どうして死んでしまったの」
「…………転んで頭打った」
「……爺ちゃん、どうして神の国に行けないの?」
「……今日は何時もの馬鹿タレな発言はしないんだな、だが行けるもんなら行きたいもんだ。例え冷たく薄暗い最果てへ堕とされようとも……」
グラーズは暫く黙り込むと迷った末に言葉を紡いだ。
「……あの人が来たら、きっと爺ちゃんは自由になれるよ。待ってるんでしょ?……家族を」
名前を口にしようとした瞬間、老人の怒声が辺りに響く。
「どこでそれを聞いた!?」
「それは……言えない……」
この老人が今まで誰にも明かさなかった己の秘密を、この素っ頓狂な子供が知っている事に焦りと驚愕と怒りが合わさった声色で問い詰めるが、グラーズの口からあの青年について語られる事はなかった。
「儂が彼奴を待ってるだと、ふざけるのも大概にしろ! ああ嫌いだ! あんな奴大嫌いだ! もしも墓前に花でも添えに来て見ろ! 全力で取り憑いて後悔させてやる!」
「じーちゃん、あの人はじーちゃんを憎んでると思ってる?」
老人の眉間の皺が一層深くなる。
「憎んでいないという、もしもの事なんぞ考えたくもない……! アイツは儂を憎み、そして儂もアイツを憎んでいる!」
老人は高らかに叫ぶ、例えその嗄れた声を聞く事が出来るのが目の前の子供只一人だとしても。
「それが正しい在り方だ! それ以外の関係なんざ何も求めていない、殺し殺され憎み憎まれ、事実に綺麗事を並べて過去を美化させようとするんじゃないわ!!」
老人はグラーズの胸倉を掴むように腕を伸ばした。透過してしまい、決して生者に触れる事すら叶わないと知りながらも……グラーズの一言一句が自分を苛立たせるからだ。
「儂は兄貴と共に親父を殺した! 特に啀み合ってる訳でもねぇ、只その方が都合が良かったからだ!だが親父を殺したら今度は兄貴が邪魔になった!だから今度は兄貴を如何にして殺してやろうかと毎日考えた!」
「爺ちゃん……」
「儂は鍛治師としての腕はそこそこあるが腕っ節は弱かった、だから利用したんだよ。血の繋がりもない……餓鬼を!」
「爺ちゃん……!」
「屑の最期はこんなもんだ、屑に育てられたアイツも……やがては……」
ーーー死んでしまうよ。
その時、沸き立つ程激しく燃える感情に、冷水をかけられたかのように老人が静まり返った。
「あの人の運命には過酷な困難が沢山待ち受けてるって……英雄とはそういうものなんでしょう?多くの人々の悲願を背負い、偉業を成し遂げ……業火のように命を燃やし、尽き果てる迄生きる。でも、僕……思うんだ」
グラーズは真っ直ぐ老人を見据えた。
「屑に育てられた人は……そんな生き方しない」
「何を……馬鹿な事を……儂はあいつを道具のように……」
酷く狼狽える、グラーズはまるで墓荒らしだ。その感情を、酷く自分を苦しめる感情を殺してもう蘇る事がないようにした筈なのに。
自分の核を無遠慮に墓場から掘り返そうとしている。
「お願い爺ちゃん……僕もやがては命が尽きてしまう、そうしたらずっと……爺ちゃんは独りになってしまう……最初で最後の本当の気持ちを教えてよっ……爺ちゃんは会いたい? あの人に」
ーー物として育てて来た。最初は思うように育たず生意気にばかりなって……大食らいだわ、直ぐ家出をするわ……途中から、聞いても自分の事を話さなくなりおるわで
でも……。鍛冶場で儂の作業を遠くから見ていたお前……瞳を輝かし、只の玉鋼から出来上がる物は何かと、夢中で見ていたその姿に……ソコに儂を苦しめたらしめる物があったのだ。
確かにソコにこの苦しみの核があり、まるで身体が末端から腐り落ちるように儂を追い詰めた。
目的と感情がずれ始めた瞬間なのだーー。
老人は膝を折り、両の手で己の顔を覆いながら消えてしまいそうな声を搾り出した。
「この目に……アイツの姿を焼き付けたい」




